「バケモノの子」で起きた"ポスト宮崎駿"問題 決まり文句へのヘイトなぜ募る?
金曜ロードショー「3週連続 細田守SP」の2作目として、今夜放送される「バケモノの子」。
本作は、細田監督が「時をかける少女」、「サマーウォーズ」、「おおかみこどもの雨と雪」の3作を経て、長編アニメ監督としての知名度も広く定着してきた中で公開された作品でした。
そこにはあらゆる期待や評価も集まりましたが、中でも当時、色々な意味で話題となったのが、度々使われた“ポスト宮崎駿”という細田監督への評価です。
何気ない言葉にも思われるかもしれませんが、いま振り返って考えてみると、特にアニメファンの間で現在まで続く“ポスト〇〇”という表現へのアレルギーの発端にもなっていたように思います。
当時何故、本作に対してそうした言葉が使われたのか、そしてその後、何故アニメファンは、その言葉に過剰反応するようになってしまったのでしょうか。
■「バケモノの子」の作品内容
本作は、現代の渋谷と、人間界と裏表のように存在するバケモノ達の世界を舞台に、ひとりぼっちの少年が半端ものの熊男と出会い、、ぶつかりながらも互いに影響し合い、その後もずっと心に残る師弟の絆を、不器用に築いていく物語です。
その他にも、魅力的なキャラクター達やその関係性、時に軽快に時に激しく繰り広げられるアクション、バケモノ界の見慣れないのにどこか懐かしい景色と見慣れた渋谷の異常な光景の面白さなど…様々なエンタメ要素が詰まった幅広い層に響く作品となっています。
こうしてみると、確かに異世界での冒険活劇や幅広い層に向けた作品といった共通点はあるかもしれませんが、それだけで“ポスト宮崎”とばかり言ってしまってもいいものかという内容です。
実際に公開当時、本作に深くハマったファンも大勢いましたが、その理由に“ポスト宮崎”と言われている監督の作品だから、ということは関係していなかったように思います。
では何故本作に対して、そうした言葉が使われたのでしょうか。
■「ポスト宮崎」の背景―興行的な理由と、純粋な期待
「バケモノの子」以前からも少なからず”ポスト宮崎”との声はあった細田監督ですが、その言葉の持つ意味が変わり、世間的な注目がより集まったのが、特にこの時期のことだったと思います。その背景には、当時の興行的な理由があったのではないでしょうか。
本作が公開された、2015年は、丁度前々年の2013年に、宮崎駿監督が「風立ちぬ」を最後に、長編映画制作からの引退をしたばかりのタイミングでもありました。
実は2000年以降、「バケモノの子」が公開されるまでの15年間で、興行収入100億を超える日本のアニメ映画は、引退した宮崎監督の作品のみ。
さらに邦画全体でみても、2003年の「踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」を除いて、100億以上の興行収入を記録したのは全て宮崎監督作品です(一般社団法人日本映画製作者連盟内日本映画産業統計より)。
今でこそ「君の名は。」や劇場版「鬼滅の刃」無限列車編といった記録的ヒット作、あるいは劇場版「名探偵コナン」や「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」といった100億に迫るタイトルも生まれていますが、(その後に引退撤回はされるものの)今後は宮崎監督作品が製作されなくなると分かった当時の映画界全体の衝撃は計り知れません。
それまで宮崎監督作品をみていた観客層が引き続き映画館に足を運んでくれるような作品は生まれないものか…。そうした焦りや祈りの気持ちもあって、最初はただシンプルに、宮崎監督作品と同じくらいの話題性や興行規模が期待できる長編アニメ監督になるのではという期待のもと、“ポスト宮崎”という言葉が本作公開時に広く使われ、人々の印象に残ったのだと思います。
■繰り返される言葉に募るヘイト
しかしそのフレーズの引きの強さもあって、“ポスト宮崎”という言葉は少し過剰に使われすぎてしまい、まるで周りがそう仕立て上げようとしているようにも見えてしまったのか、結果的にアニメファンの多くはその表現にネガティブな印象も抱いてしまいました。
ですがこの出来事はあくまできっかけのひとつでしかなく、現在アニメファンが“ポスト〇〇”という言葉に対して本格的にネガティブな印象を抱くようになった一番の要因は、その後の出来事の方にあったと思います。
細田監督だけでなく、「君の名は。」や「この世界の片隅に」が注目を集めれば今度は新海誠監督や片渕須直監督に“ポスト宮崎”と、(加えて実は「バケモノの子」以前から庵野秀明監督にもその言葉が使われていた事もあってか)次なるそのポジションが渇望されていたとはいえ、少しでも近い出来事がある度に、同じ言葉が繰り返し使われたことで、人々の間にそうした表現が使われることへのネガティブなイメージが着実に募っていったのです。
今でこそ、”ポスト宮崎”や”ポストジブリ”という言葉自体は使われなくなっていったものの、最近の例では、「呪術廻戦」に”ポスト鬼滅”という言葉が使われてどちらの作品のファンからも反発が起きました。
それも元を辿ると、上記のきっかけやその後の経緯によって、外部が作品やクリエイターの後継者を据え置こうとしているかのような動き自体へのマイナスのイメージがアニメファンの間に蓄積されてきた結果でもあると思います。
■何故ネガティブに思われるのか
そもそも代替できない唯一無二の作品同士・クリエイター同士の盛り上がりをひと言で比較すること自体が無理な話ではありますが、作品を全く知らない人達にその人気の規模を伝える際には、“ポスト”や“ネクスト”は確かに便利な言葉なのかもしれません。
しかし客観的な数字や興行規模の比較ならまだしも、具体的な説明もなく単に“ポスト〇〇”と決まり文句のように言われてしまうと、ファンにとってはそれぞれの魅力に目を向けないでただヒットに便乗して盛り上がりを仕立て上げているようにも取れてしまいます。
「呪術廻戦」の際にも書きましたが、一般的な説明として分かりやすくても、その強い言葉は、作品本来の魅力を無視して覆い隠してしまう諸刃の剣でもあるからです。
使いどころを間違えたり、その言葉を乱用してしまったりすることがどれだけ危険でもあるのかは、実際に比較されている作品をみると一番よく分かりますので、この機会に“ポスト宮崎”という見方だけでは説明できない本作ならではの魅力を、ぜひみつけてみてください。
【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】