【京都市西京区】風情ある町家が続く景観整備地区樫原を歩く 石焼き生パスタやランチグルメもあって楽しい
国道9号線千代原口から物集女街道沿いに下がっていくと、樫原という京都市の「界わい景観整備地区」に至ります。交通量も多い道路から少し西に入ると一転、昔ながらの町家が続く風情ある風景が広がっています。2024年1月22日に歩いてみました。
西入すぐに「石焼生パスタ蔵之助樫原本店」(外部リンク)がありました。この地で10年続く蔵之助本店は、「石焼生パスタ」創作の元祖として、今では他府県から来客がある人気店です。冷めにくく石が持つ遠赤外線効果で食材の美味しさを引き出し時間と共に味を深めてくれる石焼の器を使用されています。
さらに進むとトラクターの置かれた民家が見えてきます。今では見かけなくなった「揚げ素戸ばったり床机」が設置してありました。普段は揚げているのを「ばったり」と下げるから通称「ばったり床几」といいます。
室町時代には商品を陳列する棚として使われていて、狭いスペースを有効活用する工夫のひとつ。街道を往来する人々が休息できるように工夫されたものです。郷倉は、江戸時代に村々に設けられた米穀を収蔵する倉。桓武天皇が平安京に遷都し、樫原などの各地に年貢米を納める「郷倉」を造ったことが起源だといいます。
浄土宗西山深草派龍淵寺は、本能寺の変のあった天正十年に樫原の人々と念仏講・地蔵講を作り寺院建立を嘆願したところ、現在の地を明智光秀より賜与された寺院です。当時の名称は紫雲山地福院天正寺と言いました。境内の雲林院には、「樫原辻のお地蔵さん」という地蔵が祀られています。
そして、この地を流れる小畠川は、天正三年に信長に丹波平定を命じられた明智光秀が、樫原を補給基地として整備した時に築造された灌漑用水路です。
樫原宿は、古くから交通の要所とされ、江戸時代には山陰道の一番都寄りの宿場町として栄えました。「樫原本陣跡」(外部リンク)は、江戸時代に参勤交代で往来した大名たちが宿舎とした陣屋遺構です。京都市内では唯一残る本陣遺構で、平成4年に京都市指定有形文化財として登録されています。「本陣」とは、大名・公家などの限られた人々だけが利用できる宿泊施設のことです。
2009年11月創業の「カフェ ちゃーみーちゃっと」(外部リンク)は、築130年の自宅町家を基本構造はそのままにカフェにした店。京のおばんざいと野菜たっぷりのランチと注文ごとに豆を挽くハンドドリップコーヒー、自家製手作りスイーツが地元の人たちに大人気です。時折、地元の逸話で人形劇を作ろうなどの地域密着イベントが行われています。
歩いて楽しい、食べて美味しい樫原界隈へぜひ立ち寄ってみてください!