【寝屋川市】東小学校で創立150周年記念事業! 校舎に映し出された150年の歴史絵巻に感動の声!
2022年11月25日、寝屋川市立東小学校が創立150周年を迎えた記念事業として、校舎の壁に150年の歴史を振り返るスライドショーが投影されました。
寝屋川市立東小学校は、大阪府寝屋川市太秦元町にある公立小学校で、寝屋川市では、寝屋川市立南小学校に次いで2番目に歴史の古い小学校です。
夕暮れ時、準備が進められているところです。
寝屋川市立東小学校は、明治6年に当時の讃良郡秦村に開設された堀溝郷学校の秦支校として始まりました。
堀溝郷学校は当時の讃良郡19か村(現在の寝屋川市南部および四條畷市全域)を校区とし、地域内に複数の分校が設置されていました。
東小学校と同じく堀溝郷学校を起源とする小学校として、現在の寝屋川市立南小学校(堀溝村・堀溝郷学校本校の後身)や堀溝郷学校中野分校 ⇒ 四條畷市立四條畷小学校、堀溝郷学校田原出張校 ⇒ 四條畷市立田原小学校があります。
段々と暗くなり、卒業生や在席の児童が保護者と一緒に集まってきました。
開会式の最初に卒業生や保護者にとっても懐かしい東小学校の校歌が流れました。
広瀬けいすけ寝屋川市長も出席され、150周年の祝辞を述べられました。
「150周年おめでとうございます。明治維新の草創期の混乱の中にあって、先人の努力によって、この地域に子どもたちの学びの場を創ろうということで、東小学校の前身となる学び舎が生まれ、形を変えながら150年の歴史を刻み、多くの卒業生が巣立ち、様々な方面で活躍され、現在に至っていることは地元の市長として大変誇りに思います。これからは、寝屋川の街は新たな時代に入っていくこととなります。寝屋川市がこれからも持続可能な街として発展していくために、今に生きる我々が頑張っていかなければなりません。150周年のこの佳き日を胸に刻み、新たなまちづくりにご協力ください。」と挨拶されました。
いよいよ150周年の歴史のスライドショーが始まりました。
1873年(明治6年)1月25日堀溝郷学校秦支校として開校。
1879年(明治12年)秦小学校は現在の喜多八付近にあったようです。
開校当時の児童数は不明ですが、1882年(明治15年)の児童数は116人と記録が残っているそうです。
小学校が現在の場所に移ったのは明治41年のことです。
1923年(大正12年)豊野の京阪グランドの様子。
1924年(大正13年)東小校舎。
1924年の学級写真。
昭和18年に寝屋川町となります。
昭和26年に寝屋川市が発足し、寝屋川市立東小学校と改称されます。
昭和36年に寝屋川市と水本村が合併し、現在の寝屋川市となりました。
昭和47年に創立100周年を迎えました。
1980年の様子です。
児童数が増え、翌1981年には宇谷小学校を分離します。
コロナ禍においても、オンライン授業や選択登校制などを取り入れながら、現在に至っています。
多くの卒業生や在籍児童、保護者が150年の歴史絵巻に見入っていました。
幾多の困難を超えて150年の歴史を刻んできたことの重みを感じます。
伝統校として、これからも各方面で活躍できる卒業生を輩出していくことでしょう。
東小学校の歩み
1873年1月25日 – 堀溝郷学校支校として開校。
1873年5月10日 – 学制発布により、第三大学区十八中学区堺県河内国第五十八番小学校秦出張校と称する。
1881年1月 – 讃良郡公立秦小学校へ改編。
1889年4月 – 讃良郡豊野尋常小学校に改称
1896年 – 郡の合併により、北河内郡豊野尋常小学校と称する。
1908年3月 – 現在地へ移転。
1913年4月 – 高等科を併設。北河内郡豊野尋常高等小学校に改称。
1941年4月1日 – 国民学校令により、北河内郡豊野国民学校に改称。
1947年4月1日 – 学制改革により、寝屋川町立東小学校に改称。
1951年5月3日 – 寝屋川市の市制施行により、寝屋川市立東小学校に改称。
1967年4月1日 – 従来の校区の一部を、新設の寝屋川市立中央小学校校区へ分離。
1975年4月1日 – 従来の校区の一部を、新設の寝屋川市立国松緑丘小学校校区へ分離。
1981年4月1日 – 寝屋川市立宇谷小学校を分離