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未開拓だから面白い! 無限の可能性が広がる〝函館アウトドアの今〟

阿部光平ライター/『IN&OUT -ハコダテとヒト-』編集長

函館には食や温泉、史跡など、さまざまな観光資源があります。しかし、アウトドアという分野では、あまり知られていないのが現状ではないでしょうか。そうした領域に熱い眼差しを向けているのが、2020年に設立された『HAKODATE ADVENTURE TOUR』です。

同社を運営するのは、道南出身の中田さんご夫婦。幼い頃から自然豊かな環境で育ったおふたりは、カヌー、サーフィン、スノーボードなどを通して、函館の海川山を遊び尽くしています。

アウトドアという視点から見たときに、函館にはどんなオリジナリティとポテンシャルがあるのか。「まだまだ知られていない。だからこそ、可能性しかない」と語る中田さんご夫婦に、お話を伺いました。

中田弥幸さん(右)、寛代さん(左)/HAKODATE ADVENTURE TOUR

共に道南で生まれ育ち、小さい頃から自然のなかで遊ぶのが好きだったというご夫婦。夫の弥幸さんは高校時代からカヌーガイドのアルバイトを始め、妻の寛代さんはアウトドアブランドを扱うアパレルショップからツアーガイドへと転身した。

外遊びで育ったふたりがツアー会社を立ち上げるまで

―『HAKODATE ADVENTURE TOUR』は、いつできた会社なのでしょうか?

弥幸:2020年10月10日に開業届を出したので、今年で3年目になります。ただ、開業届を出す4年ほど前から、函館近郊のスカウティングはしてたんですよ。

―スカウティングというのは、場所探しのことですか?

弥幸:場所探しと、地元の方との関係性作りですね。僕らがカヌーガイドをしている汐泊川は北海道の保護河川で、下流にはサケマス孵化場があります。道と市と漁業組合が絡んでいる難しい場所なので、ツアーをするには各所との提携が必要だったんです。

―難しい場所だったにもかかわらず、この場所でツアー会社をやろうと思ったのはなぜだったのでしょう?

弥幸:もともと汐泊川には、高校生の頃にカヌーで来たことがあったんです。その頃は普通の川だなと思ってたんですけど、大人になっていろんな場所を見てから戻ってきたら、捉え方が変わって。開発が進まないまま残っている自然を見て、すごく特別な場所だと思うようになったんです。だから、守っていかなきゃならないし、そのためには情報発信をしていく必要もあるなと。それで、この場所を拠点にしようと決めました。

―中田さんは高校生の頃から、カヌーをやられていたんですか? アウトドアとの出会いについて聞かせてください。

弥幸:僕は、小さい頃から外遊びしかしてなかったんですよ。実家が中野ダムの近くだったので、畑でミミズをとってきて釣りをしたり、そういう環境で育ちました。

で、高校生のときに友達と遊んでたら、その人の親父さんに「お前ら遊んでばっかりいないで仕事しろ」って言われて。そのときに紹介されたのが『イクサンダー大沼カヌーハウス』という、道南ではレジェンドと言われているアウトドアツアー会社だったんですよ。そこで高校1年生からアルバイトをしていました。

―具体的には、どういった仕事内容だったのでしょう?

弥幸:最初は全体のサポートですね。コップを洗ったりとか、ライフジャケットを用意したりとか。そこの社長さんは、人のいいところを伸ばそうとしてくれる方で、誰かがチャレンジしたいことにはNOと言わなかったんですよ。なので、僕らも徐々にガイドの仕事をさせてもらうようになりました。先輩たちがバックアップしてくれる体制を作ってくれて。

―きっかけは友人のお父さんからの紹介だったとのことですが、実際にカヌーガイドの仕事をやってみていかがでしたか?

弥幸:もう1発目から楽しかったですね。もともと自然で遊ぶのが好きだったし、カヌーって動力がないから自分で漕がなきゃいけないじゃないですか。要するに自然との調和を楽しむ乗り物なんですよ。それが面白かったです。

あとは、お客さんとの会話ですよね。鳥が好きだったり、釣りが好きだったり、世間話が好きだったり、本当にいろんなお客さんが来るんですけど、そういう人たちと話していると、自分も旅をしてるような気分になってきて。それがまた面白かったですね。仕事をしてるのに、自分も楽しんでいるというか。そういう感じにハマっていきました。

―高校卒業後は、どんな進路に進まれたのでしょうか?

弥幸:そのまま『イクサンダー大沼カヌーハウス』に就職しました。「お前働くか?」って聞かれて、「やりたいです!」って即答で。だから、高校2年の暮れには就職が決まっていたんです。その頃はちょうど修学旅行の受け入れも始めた時期だったので、年間で5、6000人はお客さんを案内していたと思います。

―すごい人数! じゃあ、カヌー漬けの毎日だったんですね。

弥幸:基本的にはカヌー中心の毎日だったんですけど、ガイドの仕事以外にもワカサギ漁を手伝ったり、農家さんのところでトマトの選別をしたりもしてましたね。

副業って嫌がる人もいますけど、僕からすると、お金をもらえて、勉強もできて、引き出しが増えていくってことなので、宝物をもらえるみたいなものなんですよ。ガイドの仕事をする上で、地域のことはなんでも知っておいたほうがいいと思っています。実際、ワカサギ漁やトマト農家さんでの経験は話のネタになったし、すべて仕事に返ってくるんですよね。なので、副業っていうより経験値を積む機会という気持ちでやっていました。

―地域での経験や知識は、すべてがガイドとしての血肉になるんですね。

弥幸:今振り返ってみると、地域で何かを始めるために必要なことを学ぶ機会でもあったと思います。アウトドアガイドの仕事って、地元の人にしっかり認めてもらえないとできないんですよ。自分でいろんな情報を集めて、スポットを開拓していくのも大事ですけど、継続していくためには何よりも地域との関係性が重要なので。そういう意味でも、漁師さんや農家さんとのお付き合いから学んだことは多いですね。

―副業を通じて、地域といい関係を築く重要性を学んだと。その経験は、自分の会社を立ち上げるときにも役立ちましたか?

弥幸:そうですね。地域で新しいことを始めるってなると、簡単にはいかない場面もあるじゃないですか。そういうときに一番大事なのって、相手の意見を尊重して、なおかつ自分のやり方を尊重してもらえる関係性を築けるかどうかなんですよ。地域に貢献しながら、自分の事業もしっかり継続していけるというのが理想のかたちだと思っています。

―寛代さんも函館のご出身なんですか?

寛代:地元は大野です。今は北斗市になってますけど、自然がいっぱいな場所なので、小さい頃は同じように釣りや木登りをして遊んでました。その延長でボディボードやスノーボードもやるようになったんですよね。周りにもアウトドア好きな友達が多かったので、近くにあった横津っていうスキー場に行くと仲間がいるみたいな環境でした。

―仕事としてアウトドア関係のことをされていた時期もあるんですか?

寛代:いや、私はないですね。最初は事務職をやってて、その後はずっとアパレルの仕事をしていたので。アウトドア系のブランドは扱っていましたけど、実際に自然のなかに入っていくみたいな仕事は、カヌーガイドを始めてからです。

弥幸:もともと外で遊べる人だし、カヌーのトレーニングも積んできたので、今はツアーリーダーをやってもらっています。ライン取りは彼女に任せて、僕はバックアップを担当することが多いですね。

―今までいろんなアウトドアアクティビティを経験したと思いますが、カヌーの面白さはどういうところに感じますか?

寛代:その日によって天候は違うし、雨が降ると川の流れも変わるんですよ。なので、その日の状況を見ながらコースを考えたりするのが楽しいですね。難しいところでもあるんですけど。

弥幸:ガイドって、言われたことをそのままやるのではなく、変化する自然のなかに自分なりの道を見つけていく仕事なんですよ。常に冒険してる感覚があるので、そういうところが楽しいですね。

アウトドアの観点から見た函館のオリジナリティとは?

―大沼でツアーガイドをしていたときから、独立するまでの経緯を教えてください。

弥幸:大沼ではずっと楽しく働いてたんですけど、22歳のときに交通事故で怪我をしちゃって。全身の骨が折れて、3年くらい入退院を繰り返してたんですよ。今でも、身体中に金属が入ってるんですけど。

そこからリハビリをしたものの、体が言うことを聞かなくて。これではお客さんを安全に案内できないと思って、ガイドを辞めることにしました。もう無理だと思って。北海道最年少でとったアウトドアガイドの資格なんかもあったんですけど、全部更新せずに流しちゃったんですよね。

―それだけ大変な怪我だったんですね。

弥幸:でも、やっぱりスノーボードやカヌーはやりたくて。なので、体を鍛えるために鳶の仕事を始めました。

―へぇー! それはまた全然別の業界にいかれましたね。

弥幸:そうなんですよ。まずは函館で2、3年くらい鳶の仕事をして、東京に行きました。そこからは、半年は東京で鳶、半年は北海道でスノーボードやカヌーをするという、行ったり来たりの生活をしていたんです。

―体を鍛えるために鳶をしていたというのは、その先にまたアウトドアの世界に戻ってこようという想いがあったんですか?

弥幸:もちろん、そうですね。もうサラリーマンをやるイメージはまったく持てなかったし、やっぱり外で遊びたかったので。ただ、怪我をする前は「カヌーやスノーボードを突き詰めたい」って気持ちだったんですよ。だけど、今は「自分が普段遊んでるところで、みんなにも遊んでほしい」という考え方に変わりました。

―アウトドアのフィールドとしていろんな場所に行かれたと思うんですけど、自分でツアー会社をするにあたって函館を選んだ理由は何だったのでしょうか?

弥幸:アウトドアをやるにはピッタリな環境ですからね、函館は。ハードなアクティビティをするなら、やっぱりニセコや知床が最高だと思います。でも、函館には海を渡ってくるフェリーがあって、陸路では新幹線が繋がっていて、飛行機の離発着もある。それでいて、フェリーターミナル、駅、空港のどこからでも、30分圏内に山川海があるコンパクトな街じゃないですか。だから、アウトドア的にもエントリー層向けの玄関口になれると思うんです。

―なるほど。気軽に山川海のアクティビティが楽しめるフィールドなんですね。

弥幸:そう思います。函館ってアウトドアのアクティビティと、食や観光を一緒に楽しめる街なんですよ。カヌーをした後に、近くの温泉に入って、夜は美味しい海鮮を食べるとか。函館を拠点に考えると何通りものツアーが組めるんですよね。それは街のオリジナリティだし、大きな強みだと思います。

―どっぷり自然のなかに身を置くツアーではなく、観光もグルメもアウトドアも楽しめるツアーができる街なんですね。そういう視点で函館を見たことはありませんでした。

弥幸:自然だけでなく、開港の歴史もあるし、世界遺産になった縄文遺跡もありますよね。そういう要素も取り入れて、縄文人が生活をしていた川を下りながら、土地の歴史に触れるというツアーもできるじゃないですか。そう考えると、やっぱ北海道では函館が一番いいんじゃないかなって。僕はそう思っています。

しかも、そういう観光要素は増え続けていくんですよ。自分でも勉強してるし、人との繋がりから新しいことを教えてもらったりもするので。最近だと、世界的に活躍する水中カメラマンの方が函館に来てくれて、スキューバダイビングとカヌーをセットにしたツアーを作ろうなんて話もしています。そうやって、ツアーの領域はどんどん広がっていますね。

―アウトドアツアーという観点から、地域を開拓しているみたいな感じですね。

弥幸:本当にそうなんですよ。自分が知らない新しい要素はまだまだ埋まっているはずなので、それを見つけて組み合わせていく楽しさがありますね。マニュアルはないけど、目の前には手付かずのフィールドが広がっているみたいな。

―一般的に、アウトドアガイドって「自然のことを詳しく教えてくれる人」というイメージだと思うんですよ。だけど、中田さんのお話を伺っていると、単に自然のことを伝える人というより、地域全体の案内人みたいな感じがしますね。仕事の領域が自然に限っていないというか。

弥幸:ガイドとして、自然に対する知識があるっていうのは大前提なんですよね。だけど、函館・道南の観光要素は自然だけではないので、歴史や文化のことも紹介できるトータルガイドになれたらいいなと思っています。

お客さんを案内する上で、僕は常に「地元の自慢をしよう」と意識してるんですよ。それだけはもう徹底してやってます。地元を自慢できなかったら、ガイドなんてやる必要がないとすら思ってますね。やっぱり自分が好きな街だから、人にも教えてあげたいんですよ。地元でもそういう環境のよさってまだまだ知られていないですけど、遊び上手の人が来るようになったら本当にすごい地域になると思いますよ。

―それだけのポテンシャルを秘めた地域なんですね。

弥幸:この前、うちのお客さんが大門横丁でカヌーの話をしてたら、店の人に「函館でカヌー? アンタたち騙されてんじゃないの?」って言われたらしいんですよ(笑)。そういう状況って、僕らからするとものすごく追い風で。だって、地元の人も知らないところで遊べるなんてすごいことじゃないですか。

函館って、今はまだアウトドアのイメージがないですよね。だからこそ、可能性しかないと思っています。

カヌー体験がもたらした地元の再発見

―アウトドアという領域で函館は大きな可能性を秘めているというお話でしたが、一方で少子高齢化・人口減少などの問題も深刻化しています。今の函館については、どのように見ていますか?

弥幸:函館は街がコンパクトで、個性がある人が多いですよね。だから、みんな個々を尊重するんですけど、それ故に距離が生まれて点と点が繋がりにくくなっている部分があるような気がします。出入りが激しくなっちゃう一因も、そういうところだったりするのかなって。それはもったいないですよね。

価値観は人それぞれだから、誰が何を好きで、嫌いでもいいじゃないですか。自分にとってはダサいと思っていても、他の人がカッコいいと思っているなら、それでいいと思うんですよ。目線の違いだけだから。いちいち否定や反発をする必要はないですよね。

―確かに価値観の違いによって敵対したり、分断したりっていう話は多いですよね。点と点が繋がっていくためには、どうしたらいいんでしょうかね。

弥幸:やっぱり街全体が盛り上がっていかないとダメなんじゃないですかね。そうじゃないと、人間関係も盛り上がっていきませんよ。だから、先にやるべきことは、街が盛り上がっていくような取り組みなんだと思います。そのためにうちでは市と協力して体験型イベントをやったりしてるんですけど、それが巡り巡って仕事にも繋がってきたりするわけですよ。

―個々の事業に取り組みながらも、その先に街の盛り上がりを見据える視点を持っておくことが大事なんですかね。

弥幸:その視点は大事なんじゃないですかね、次のステージにいくためには。そうすると今まで接点がなかった人と知り合えたり、この人を紹介したら面白くなりそうみたいな感じで新しい繋がりが生まれて、点と点が線になっていくのかなと。僕らもまだまだできていないんですけど。

それこそ、さっき話した大門横丁とかも、僕らはあまり行ったことがなかったんですよ。だけど行ったらご飯も美味しかったし、カヌーガイドの話をしたら「店に置いてあげるから、すぐパンフレット持っておいで!」って言ってもらったりして。そこは、やっぱ僕らの努力不足だったなと思いましたね。ちゃんと自分たちから動かなきゃダメなんだなって。

―自分たちの領域外に出ていったことで、また開拓の余地が見つかったんですね。

弥幸:そうやってひとつ外のレイヤーに行かないと、横の繋がりにも限界がありますよね。現状で満足しちゃう人は、その先にはいけないんだなと思いました。

だから、自分たちの事業を頑張るのは大前提で、その上で横の繋がりを大事にして、悪天候でカヌーができなかったら別のところに案内できるような関係性を周りと作っていきたいですね。そうすれば、今度は他のところからうちに来てくれるお客さんもいるだろうし。そうやって人も経済も循環して、地元の事業者にもお客さんにとってもいい環境を作れたらなと思っています。

―『HAKODATE ADVENTURE TOUR』のお客さんは、どういう方が多いんですか?

弥幸:観光の方もいますし、地元の方にもたくさん来ていただいてますね。年に6、7回も来てくれる方もいて、本当にありがたいです。地元の人から愛されるのが一番だと思っているので。

―地元の方たちは「今までになかった遊びをしに来る」という感じなんですか?

弥幸:そうですね。初めてカヌーに乗るという方も、「今まではニセコまで行ってたけど、函館でもできるって聞いて来ました」みたいな方もいます。そうやって汐泊川でカヌーを体験した人たちが友達や、函館に来たゲストの人を連れてきてくれるようになりました。そのあたりも、やはりアクセスのよさがひとつポイントになっているんだと思います。

―確かに地元にこういう場所があると、外から来た友達を連れて行きたくなりますね。

弥幸:今までカヌーを体験したことのない方にとっては敷居の高さもあると思うので、道南在住特典も設けているんですよ。カヌーツアーのなかで、ゴミ拾いに参加してくれたら割引しますよっていう内容なんですけど。それを入り口に来てくれる地元の方も増えてますね。あとは、本格的にカヌーにハマって、技術を高めたいという理由で通ってくれるリピーターさんもいます。

―実際にツアーに参加した地元の方からは、どんな感想がありますか?

弥幸:みなさん、地元のよさを再確認してますよ。「近くにこんな素晴らしいところがあったんだ!」って。それは自分たちにとっては最高の褒め言葉ですよね。函館にはアウトドアの可能性もあるんだと感じてくれる人が増えたら、それだけでガイドをやっててよかったなと思います。

―それは、中田さんが高校生の頃に感じていたものと近い感覚かもしれないですね。カヌーを通じて、地元のよさを再発見したというか。

弥幸:それはあると思います。地元の人でも知らなかったと言うくらいだから、もともとある自然だけど見えていた景色が違っていたんだろうなって。

水って一番低いところを流れるので、謙虚に大胆にものを見ることができるんですよ。陸から双眼鏡で見てもわからないけど、カヌーに乗って下からオジロワシを見たら、その大きさに驚かされます。そうやって、陸とは違う目線で自然の素晴らしさを楽しんでもらえるのがカヌーなんですよね。

豊かな自然とアウトドア文化を、次世代に引き継ぐために

―アウトドアといえば、観光と環境のバランスというのも重要なテーマですよね。そのあたりは、どのように考えていますか?

弥幸:それを両立させるためには、やはり少人数制のツアーが大事だと考えています。お客さんが増えているからどんどん来てもらうのではなく、しっかり受け入れられる体制を作って、人数の制限もしながらツアーを組み立てなくてはいけません。それでいて、お客さんにはしっかりと自然の楽しさを味わってもらえるようにするのが重要ですよね。

カヌーツアーの参加者の方々には、「地元の人が一緒にクリーン活動をしてくれているから、この美しい景色があるんです」という話をしています。そうすることによって、お客さんはモラルを守ってくれますし、地元の人たちもこの豊かな自然を誇らしく感じてくれると思うので。

―そういうふうに、ちゃんと土地のことを考えている人が一定の力を持っていないと、利益だけを求めて参入してくる事業者が増えて、オーバーツーリズムや環境破壊といった問題が起こる可能性もありますよね。

弥幸:そうですね。だから、僕らは今、市や地元の方々と協力して汐泊川におけるアクティビティのルールを作っています。遡上してくるサケを刺激しないことや、どこでも勝手に車を停めないこと、川を利用する際にはクリーン活動に協力してもらうことなど、難しいルールではないんですけど。そういう基本的なことでも、改めてルールとして定めておくのは重要なので。

もちろん自然はみんなに開かれているもので、僕たちだけのものではありません。だけど、環境と地元の人に迷惑がかからないようにする最低限のルールは必要だと思っています。

弥幸:最近は次世代の育成にも力を入れています。ただ、僕らが目指しているのは、カヌーのプロを育てることではなく、遊びのプロを増やすことなんです。今の子たちって、道が狭められているじゃないですか。あれもダメ、これもダメと言われて、自由な道が封鎖されている状態だと思うんですよ。だから、自然体験を通じてブロックを解除することで、視野を広げてあげられたらなって。

そうすれば、やりたいことの芽がどんどん出てくると思うんですよね。そこから子どもたちが自然に興味を持ったり、地元を誇りに思ってくれたら嬉しいし、今後の地域も楽しみになるじゃないですか。そういうことをしていかないと、道南のアウトドアアクティビティは自分たちの代で終わってしまうかもしれません。

―そういう危機感もあるんですね。

弥幸:めちゃくちゃありますね。僕が高校生でカヌーを始めてから20年以上経ってますけど、その間に道南で若い世代のガイドはほとんど増えていないですし、カヌーのカルチャーも育っていない状況なので。それはつまり、我々の世代が自然の楽しさをアピールできなかったってことですよね。

子どもたちに興味を持ってもらうためには、親ももっと遊んだほうがいいと思うんです。なので、僕らが今やるべきことはそこかなって。大人も子どもも遊べる場所と機会を作って、時間はかかるけど道南のアウトドアの魅力を伝えていきたいですね。せっかくガイドをやっているからには、やっぱり地域が盛り上がっていってほしいので。

―僕は2年前まで東京に住んでいたんですけど、向こうって消費的な遊びが多かったなと思うんです。お金を払って楽しいことをするみたいな。それはもちろん都会にしかない体験なんですけど、函館に戻ってきてからは、子どもたちも積み上がっていくような遊び方が増えました。釣りができるようになったり、去年より大きな雪だるまを作れるようになったり。そういう身体性を伴った遊びが日常的にできるのって、地方ならではの豊かさですよね。

弥幸:そういう、ちょっとしたことに贅沢さを感じますよね。何をするにも時代に乗っていくことは大事だと思うんですけど、同時に自然のようにマニュアルがないなかで、自分の楽しみを見つけていくのも重要なんじゃないかなって。不便さを楽しむっていうか。その両方が、これからは必要になっていくんだと思います。

―時代感覚と自分で活路を見出していく力が。

弥幸:はい。事業を続けていくには今の時代に合ったやり方が必要ですし、先人の知恵も素晴らしい情報源になります。最近になって思うんですよ、「年寄りの言うことは聞け」っていうのは本当なんだなって。やっぱり昔の人は経験値が高いし、人間としての厚みがあるじゃないですか。自分も周りにペースを乱されず、自然と調和できるような人間になりたいですね。だからこそ、歳をとっても外遊びやガイドの仕事は続けていきたいと思います。

―そのあたりは、寛代さんも一緒ですか?

寛代:私も体が動く限りは、ずっと外遊びをしていきたいですね。「もう歳だから無理」とはならずに。函館でサーフィンをしていると、年配の男性はいるんですけど、女性はいないんですよね。だから、「あの、おばあちゃんかっこいいね!」って思われるような人になれたらなと思っています。

弥幸:『はこだて市民健幸大学』ってご存知ですか? 函館市が主催しているイベントなんですけど、健康づくりを目的とした高齢の方たち中心の集まりがあって。そこの方とお話ししたときに、参加者から「年寄りだけが集まるイベントは嫌だ」って声があると聞いたんですよ。確かに嫌ですよね、そこで線引きしちゃうのは。世代を問わずいろんな人と一緒に楽しめる場のほうがいいじゃないですか。

―そういう見えない壁っていうのは、もしかしたらいろんなところにあるのかもしれないですね。

弥幸:そういうところに僕らが入っていって、年齢問わず参加できる体験型イベントができたらいいなと考えています。自分も歳をとったときに、そういう場があったほうが嬉しいですし。

―お話を聞けば聞くほど、アウトドアにはいろんな可能性があるんだなと感じます。現状では函館のアウトドアガイドは少ないということでしたが、もっと同業者が増えてほしいという気持ちはありますか?

弥幸:あります、あります。自分たちだけではなく、同業者といいライバル関係でやっていきたいですよね。そうすれば函館のアウトドアも盛り上がっていくだろうし、お互いに協力すればもっとお客さんを受け入れられるので。正直、自分たちだけでは限界があって、今も全部は受け入れきれていないんですよ。ツアー会社が乱立するのはよくないと思いますけど、ちゃんと地元を理解して、自然を守っていくためには、同業者も必要ですね。

―『HAKODATE ADVENTURE TOUR』ができたことで、函館のアウトドアが注目されて、若い人たちが興味を持ってくれたり、カルチャーが育っていくといいですね。

弥幸:そうですね。函館は本当にたくさんのアウトドアが楽しめる環境なので、観光の方も地元の方も、たくさん外で遊んでほしいなと思っています。

文章:阿部 光平 (IN&OUT-ハコダテとヒト-

写真:あらい あん

ライター/『IN&OUT -ハコダテとヒト-』編集長

北海道函館市生まれ。大学卒業を機に、5大陸を巡る世界一周の旅に出発。帰国後、フリーライターとして旅行誌等で執筆活動を始める。現在は雑誌やウェブ媒体で、旅行、音楽、企業PRなど様々なジャンルの取材記事を作成。東京で子育てをするなかで移住を考えるようになり、仲間と共にローカルメディア『IN&OUT –ハコダテとヒト-』【http://inandout-hakodate.com】を設立した。2021年3月に函館へUターンした後は、『北海道新聞』でエッセイの連載や、『FMいるか』でのレギュラー出演なども行っている。

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