Yahoo!ニュース

ウイグル問題制裁対象で西側の本気度が試されるキーパーソン:その人は次期チャイナ・セブン候補者

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
新疆ウイグル自治区代表団の会議に出席する陳全国(中央)(写真:ロイター/アフロ)

 欧米諸国がウイグル弾圧に対して行っている制裁の中で、トランプ政権以外は避けている弾圧指揮の張本人がいる。日本がウイグル問題制裁に踏み切るか否かと同時に、バイデン政権が覆すか否かも同時に問われる。

◆その名は陳全国・新疆ウイグル自治区書記

 日本人にはあまり馴染みがないかもしれないが、中国には少数民族弾圧で名高い「陳全国」という人物がいる。現在、新疆ウイグル自治区の(中国共産党委員会)書記をしている。

 彼こそがウイグル民族弾圧の総指揮者だ。

 ところが今年3月22日にEUが発動し、イギリス、カナダ、オーストラリアそしてニュージーランドも呼応して出したウイグル人権弾圧に対する制裁の中身を見てみると、制裁対象となったのは以下の4人と一つの機構に対してのみで、張本人である陳全国の名前がない。

  ●王君正(新疆ウイグル自治区・副書記、新疆生産建設兵団書記)

  ●陳明国(新疆公安庁庁長)

  ●王明山(新疆党委員会常務委員、政法委員会書記)

  ●朱海侖(新疆党委員会前副書記兼政法委員会書記)

  ●新疆生産建設兵団公安局

 (いずれも制裁内容は「ビザ発給禁止および海外資産凍結&取引禁止」)

 これに対してロンドンに本部を置く「自由チベット(Free Tibet Campaign)」やウイグル弾圧に対して抗議運動を展開している多くのウイグル人組織は、「なぜ張本人の陳全国を制裁対象にしないのか」と激しい抗議を表明している。

 一方、2020年7月10日、まだトランプ政権だった時に、アメリカの財政部はトランプ前大統領が2017年12月に署名した「グローバル・マグニツキー人権問責法」(13818号行政命令)に準拠して、以下の4人と一つの機構に対して制裁を行うと発表した。

  ●陳全国(新疆ウイグル自治区書記)

  ●朱海侖(新疆党委員会前副書記兼政法委員会書記)

  ●王明山(新疆公安庁庁長)(2020年9月から現職)

  ●霍留軍(新疆公安庁党委員会前書記)

  ●新疆生産建設兵団公安局

 (制裁内容は「アメリカでの資産凍結、親族のアメリカへの入境禁止」)

 つまり、トランプ政権では「陳全国」の名前が入っているのである。

 バイデン政権は、3月22日のEUやイギリス、カナダなどの制裁を受け、トランプ政権時代にはなかった王君正と陳明国の名前を新たに追加した。

 このときバイデン政権は、「陳全国」の名前を削除してはいない。

 もしそのようなことをすれば、バイデン政権の対中強硬策の本気度が疑われ、今もアメリカ国内に数多くいるトランプ支持派たちの、格好の攻撃材料となっただろう。

◆陳全国とはどういう人か

 陳全国は1955年、河南省駐馬店市平與県の貧困な農家に生まれた。そのためもあってか、文化大革命(文革)時代の唯一の安全地帯で食い扶持も得られる中国人民解放軍に、1973年、18歳で入隊し、1975年になって中国共産党員になっている。文革が終わると1977年(河南省の自動車部品工場工員)から2011年(河南省副書記・省長)まで、ひたすら河南省で仕事をしてきた。

 2011年、胡錦涛政権時代にチベット(西蔵)自治区の書記に抜擢され、以来、チベット族を完膚なきまでに弾圧して、今ではチベット族の抵抗が見られなくなってしまったほどだ。

 河南省の平與県はエイズで知られる街だ。

 胡錦涛政権二期目に当たる2011年には、中共中央政治局常務委員(チャイナ・ナイン)の中に李克強がいた。胡錦涛直系の愛弟子で、当時は国務院副総理だった。

 李克強は1998年(河南省副書記・省長代理)から2004年(河南省書記・河南省人民代表会議常務委員会主任)まで河南省で仕事をしていた。

 河南省でエイズ問題が起きたのは1990年代初期で、まだ江沢民の腹心・李長春がトップにいた時期と一致する。貧富の格差が激しくなり、貧乏で生きていけなくなった人々が売血で生活費を稼ぎ、その結果エイズが流行り始めた。李長春はエイズを隠蔽し、エイズの巣窟となった河南省を逃げ出すために李克強の「出世」を提案して禍の河南省副書記に李克強を「栄転」させたわけだ。

 一方、陳全国は1995年から97年まで武漢汽車(自動車)工業大学交渉管理学院経済学専攻で修士学位を取得し(学部は1978年から81年まで鄭州大学で経済学を学んだ)、1998年からは河南省の副省長を務めている。

 つまり李克強が河南省に副書記として就任した時に、陳全国は少しだけランクが下になる副省長になっていたわけだ。李克強は省長代理。したがって陳全国は李克強の最も近い直属の部下として働いていたことになる。

 エイズ問題を李長春から「譲り渡された」李克強としては、この難問に取り組むために、まさにエイズ村として名を馳せた平與県生まれの陳全国の助けを得ることになったわけだ。

 かくして2009年に陳全国は河北省の副書記に上り詰め、2011年の胡錦涛政権時代に李克強の推薦もあり、チベット自治区の書記に昇進した。

 その頃はチベットにおける抗議運動はまだ盛んで、少なからぬチベット人が天安門広場前で焼身自殺したことは有名だ。しかし2016年ころになると、陳全国による弾圧が功を奏し、ほとんどなくなってしまった。

 そこで習近平は2016年に陳全国を新疆ウイグル自治区の書記に就任させたのである。

◆習近平と陳全国

 そればかりではない。

 2017年10月に開催された第19回党大会で、習近平は陳全国を中共中央政治局委員に抜擢したのだ。政治局委員までなら、地方における他の職位に就きながら中共中央の業務にも同時に従事することができる。

 したがって陳全国は新疆ウイグル自治区の書記を務めながら、中共中央政治局委員の仕事も同時にしていることになる。

 陳全国が生まれたのは、中国政府および中国共産党側の公式情報では1955年11月。それが正しいとすれば、現在65歳。

 となると、もし2022年に開催される第20回党大会で中共中央政治局常務委員会委員(チャイナ・セブン)に昇進するとした場合、66歳ということになり、年齢的にはセーフだ。

 というのは常務委員会委員には、一応これまで「七上八下」という原則があり、党大会の時に67歳あるいはそれ以下ならば「上に上がることができる(常務委員になれる)」が68歳だったら「下がるしかない(常務委員になれない)」ということになっているからだ。党大会が11月に開催されたとしても、ギリギリ67歳手前で第20回党大会を迎えることになろう。

 陳全国はチベットとウイグルという、中国共産党の統治にとっては最も手腕が試される地区で書記として功績を上げたとなると、中共中央政治局常務委員になる確率がグッと高くなる。

 つまり来年の党大会で、陳全国はチャイナ・セブンになる可能性が大きいのである。

◆日本にとっては「踏み絵」のような陳全国

 4月11日のコラム<ウイグル人権問題、中国に牛耳られる国連>に書いたように、日本では、そもそもウイグル人権問題に対して中国に制裁を科すか否かに関してさえ意思表明されてないが、明日16日には菅総理はバイデン大統領と対面で会談することになっている。

 バイデンはウイグル人権問題に対する西側諸国の制裁に日本が足並みをそろえるよう求めて来るだろうが、日本が果たしてバイデンの意に沿う回答を出すか否かが注目される。

仮に制裁を科すという決断を迫られた場合、日本が果たして「制裁対象に陳全国を入れるか否か」が、次の段階として試される「踏み絵」となる。

 これによって本気度が測れるのである。

 もし陳全国を制裁対象に入れるなら、2022年の党大会が始まる前でなければ、ハードルはもっと高くなるだろう。

 トランプ政権時のアメリカ以外の西側諸国が制裁対象者に張本人の陳全国を入れなかったのは、「中国へのさじ加減」であり、「習近平への忖度」としか思えない。何しろ陳全国は習近平が中共中央政治局委員にまで昇進させている人物だからだ。これが、その上の政治局常務委員になれば、チャイナ・セブンとして党の最高の中核グループで君臨することになる。制裁対象として、そういう領域にまで踏み込めるか否か、西側諸国の本気度が試されるということだ。

 バイデン政権およびアメリカ以外の西側諸国の今後の動きとともに、日米首脳会談後の菅総理の決断に注目したい。

 なお、習近平の父・習仲勲は少数民族を弾圧することに激しく反対し、生涯を賭けて少数民族を愛し、融和策を主張し続けた。父の理念に背いてまで、習近平が少数民族を弾圧するということは即ち、一党支配体制を維持するなら少数民族弾圧は不可避だということの証左である。習近平のアキレス腱だということもできよう。習近平がウイグル弾圧を始めた経緯とともに、これに関しては拙著『習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』で詳述した。

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『中国「反日の闇」 浮かび上がる日本の闇』(11月1日出版、ビジネス社)、『嗤(わら)う習近平の白い牙』、『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。

遠藤誉の最近の記事