朝日・毎日は甘利氏の疑惑追及を幕引きしないと信じる
甘利明・経済再生大臣が業者からの献金疑惑で引責辞任しました。週刊文春のスクープが大臣を撃沈した格好です。
甘利氏の疑惑については、大臣辞職の外に、元検察官で弁護士の郷原信郎氏が、週刊文春の報道を前提にすると、「絵に描いたようなあっせん利得」になる旨、述べています。
郷原信郎が斬る甘利大臣、「絵に描いたようなあっせん利得」をどう説明するのか
ここでいう「あっせん利得」とは、「公職にある者等のあっせん行為による利得等の処罰に関する法律」に定められた以下の罰条のことを指します。
(公職者あっせん利得)
第一条 衆議院議員、参議院議員又は地方公共団体の議会の議員若しくは長(以下「公職にある者」という。)が、国若しくは地方公共団体が締結する売買、貸借、請負その他の契約又は特定の者に対する行政庁の処分に関し、請託を受けて、その権限に基づく影響力を行使して公務員にその職務上の行為をさせるように、又はさせないようにあっせんをすること又はしたことにつき、その報酬として財産上の利益を収受したときは、三年以下の懲役に処する。
2 公職にある者が、国又は地方公共団体が資本金の二分の一以上を出資している法人が締結する売買、貸借、請負その他の契約に関し、請託を受けて、その権限に基づく影響力を行使して当該法人の役員又は職員にその職務上の行為をさせるように、又はさせないようにあっせんをすること又はしたことにつき、その報酬として財産上の利益を収受したときも、前項と同様とする。
甘利氏やその秘書がこの罪で有罪になると3年以下の懲役という重い刑罰が待っています。
郷原信郎氏の上記ブログを引用すると、罪に問われるか否かのポイントは「1秘書のURの職員に対する行為が、法人の「契約」に関するものと言えるか、2「請託」があったと言えるか、3「権限に基づく影響力を行使」したと言えるか」となり、週刊文春の報道を前提にすると、その可能性がある、ということになるのです(原文は丸数字)。
この点については、疑惑の渦中にあるURが、甘利氏の会見の裏側でかき消されそうになりながら、甘利氏事務所と頻繁に接触していたことを認める報道も出ています。
甘利氏は記者会見で、違法な献金ではない、と釈明していますが、犯罪行為をしたと疑われる側の人間が違法性を否定してもそれ自体に意味はないわけで、疑惑はますます深まっていると言えるでしょう。
新聞社が幕引きをしたがってようにみえる
一方、甘利氏の会見後の大手新聞社の報道は最初から白旗を揚げているような、目を疑うようなものでした。
甘利氏の会見については、大手新聞社から事前に「続投」の方針が報道され、甘利氏が辞任を口にしたときは記者から「えーっ」と声がもれたと言われています。想定外だったのでしょう。また、会見時の記者からの質問についても、フリージャーナリストが果敢に切り込んだ一方、大手マスコミの消極姿勢が目立った、という指摘が見られます(甘利氏「釈明会見」でしつこく質問した元朝日記者「ジャーナリズムの力が落ちている」)。
安倍首相は、従前から、大手マスコミ幹部と頻繁に会食しており、政権とメディアの蜜月が疑われる状態です。安倍首相は、甘利氏の件が表沙汰になって以降も、大手マスコミ幹部と会食をした、と伝えられています。
筆者が思うに、報道機関は、国民の知る権利に奉仕するために、甘利氏の疑惑の真相を地獄の底まで追及し、白黒つけるべきです。そして、結果がシロだというのなら、ザル法の改正を迫るべきでしょう。そういう責任を担うマスコミから、疑惑追及について幕引きをはかるかのような報道がなされると、それこそ、政権との癒着が疑われてしまうのではないでしょうか。
実際のハードルはどうなのか
先に紹介した郷原信郎弁護士は、甘利氏立件の可能性について、ブログ「郷原信郎が斬る」で以下のように述べています。
また、やはり元検察官で弁護士の落合洋司氏は、昨日書かれた「あっせん利得処罰法の「権限に基づく影響力を行使して」の解釈」というブログ記事で以下のように述べています。
お時間のある方は、いずれのブログについても、直接読んでみることをおすすめします。確かに、甘利氏の疑惑は、犯罪類型としては起訴に持ち込むのが難しいものだと思います。そのことは上記二つのブログも触れています。しかし、疑惑が明らかになってからまだ10日も経っておらず、今後の追及や、週刊文春の引き続く“爆弾投下”で、新たな事実が判明する可能性があります。そもそも、検察庁による捜査がされるとしてもこれからでしょう。法律的には、現状で幕引きをはかれるような段階では到底ないことは明白だと思います。
一方、政治家の汚職事件については、政権側から検察庁に凄まじい圧力が掛かり、立件に慎重にならざるを得ない事情があります。つまり、法律的に白か黒かとは別次元のところで、起訴に持ち込めるか否かが決まる可能性すらあるのです。
そういう状況で、大手新聞社が幕引きをはかるかのような(少なくともそう取られても仕方ないような)記事を書くのはやはり、おかしなことだと思います。報道機関が、本来の力を発揮し、国民の知る権利に奉仕することを切に願います。