【堺市】堺散歩~秋のザビエル公園で歴史散歩
堺っ子ならお馴染みの「ザビエル公園」です。正式名称は「戎公園」って言うんですけどね。
ここ「ザビエル公園」、あらためてなんで「ザビエル」なのか、調べてみることにしました。
宣教師フランシスコ・ザビエルが1550年に堺に立ち寄った際に、手厚くもてなしたとされる豪商・日比屋了慶の屋敷跡付近が今の「ザビエル公園」です。1949年に公園が開設され、その年がフランシスコ・ザビエル来航400年であったことから、それを記念して「ザビエル公園」という名称が使われるようになったそうです。
屋敷跡、という観点であらためて公園を見てみるとかなり広く、日比屋了慶がいかに有力者だったかが伺えます。
「ザビエル公園」の象徴、南蛮船をイメージした遊具です。この日も子どもたちが遊んでました。
また、この公園には屋敷跡と思われる記念碑や石が多くあるのですが、ひときわ異彩を放っているのがこの橋柱。
「旭橋(あさひばし)」と刻まれているこの橋柱。「ここに橋があって川は埋め立てられたんだろうな」と単純に思いますが、なぜわざわざ橋柱をここに残しているのか?という理由を知りたくなったので、こちらも調べてみると、この「旭橋」は「アサヒビール」の名前の由来となっているという説があるとか。
なんでも、「旭橋」は昭和30年に埋め立てられた「旭川」に架かっていたようで、この橋のたもとには「旭の家」というお茶屋があったとか。とても繁盛したその「旭の家」を含めた有力者たちが社交クラブ「旭館」を開き、その中心人物がアサヒビールの創始者である鳥居駒吉だったそうです。この「旭館」については、堺の他の地にもその足跡が残されているようなので、これからも調べてみたいと思います。
ザビエルをもてなした豪商や社交クラブの存在は、堺の町の当時の華やかさや影響力を示す証ですね。
ザビエル公園(戎公園)
堺区櫛屋町西1丁1
交通案内:阪堺線 花田口駅下車すぐ