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北朝鮮の高速道路で「金正恩氏の愛車」に道を譲らないとどうなるか

高英起デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト
金正恩氏

北朝鮮の金正恩党委員長は大の車好きとして知られ、エピソードも少なからず漏れ伝わっている。

本欄でも少し前に、高速道路で正恩氏の愛車を追い越してしまった朝鮮人民軍(北朝鮮軍)師団長の悲惨な運命についての話を紹介した。

ほかにも、普通の人と同じトイレを使うことのできない正恩氏が、専用車にトイレの代用品を乗せているとの話も伝わっている。

(参考記事:金正恩氏が一般人と同じトイレを使えない訳

今回、紹介するのも、正恩氏と軍との間のエピソードである。

韓国の全国紙、東亜日報の記者で、脱北者であるチュ・ソンハ記者によれば、平壌と元山(ウォンサン)をつなぐ高速道路の「ムジゲ(虹)トンネル」で、こんな出来事があったという。

このトンネルは全長が4キロもあるのに、道幅が狭く換気設備も整っていないため、エンジンの性能が悪かったり整備状態が悪かったりする車両が通るたび、ばい煙で充満する。

ある日、このトンネルで金正恩党委員長が愛車を走らせていた。その前方では、軍のトラックが真っ黒な煙を吐き出しながら、ノロノロと走っていた。

しかも、正恩氏がいくらクラクションを鳴らしても、軍の運転手は気にする風もない。正恩氏の愛車は、一目で「乗っているのはタダ者ではない」とわかる高級ベンツなのだが、軍の運転手も暗いトンネルの中、バックミラー越しでは車種が判別できなかったのかもしれない。

(参考記事:金正恩氏の「高級ベンツ」を追い越した北朝鮮軍人の悲惨な末路

それに、正恩氏が最高指導者になる前の話である。その当時、北朝鮮はすべてに軍事が優先する「先軍政治」の真っただ中で、保安員(警察官)も軍の車両を取り締まることはできなかった。クラクションを鳴らされた運転手も、「軍を何だと思っていやがる」ぐらいに考えたのかもしれない。

これに、正恩氏が切れた。

2010年5月5日、軍に「青年大将同志の方針」なるものが下された。軍の車両といえども、交通ルールに違反すれば取り締まりの対象とするとの内容である。

この日から、保安員は軍幹部の車両も容赦なく取り締まった。

従来、将軍クラスの専属運転兵ともなれば、様々な恩恵があり、支給品ではなく市場であつらえた軍服を着て肩で風を切って歩いていたとされるが、そんなステータスも、正恩氏の下した方針で崩れ去ってしまったという。

このエピソードは些細な話に思えるが、実は見逃せない要素をはらんでいる。祖父や父にも増して軍事力に権力の基盤を置いているように見える正恩氏が、実は軍に対し、若い時から冷淡とも言える態度を貫いているということだ。

こうした正恩氏の姿勢は後に、軍事行政のトップを文字通りミンチにして処刑するという、より極端な行動により世間に認識されることになる。

(参考記事:玄永哲氏の銃殺で使用の「高射銃」、人体が跡形もなく吹き飛び…

このようなエピソードを拾って見ていると、正恩氏は決して支離滅裂な人間ではなく、ある種の一貫性を持って行動していることがわかってくる。つまり彼がいま見せている行動の中には、彼の将来を見極めるための伏線が隠されているかもしれないということだ。

ならば我々はいま、正恩氏の行動から、近未来のどんなリスクを見極めるべきなのだろうか。

デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト

北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。関西大学経済学部卒業。98年から99年まで中国吉林省延辺大学に留学し、北朝鮮難民「脱北者」の現状や、北朝鮮内部情報を発信するが、北朝鮮当局の逆鱗に触れ、二度の指名手配を受ける。雑誌、週刊誌への執筆、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に『コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記―』(新潮社)『金正恩核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』(宝島社)『北朝鮮ポップスの世界』(共著)(花伝社)など。YouTube「高英起チャンネル」でも独自情報を発信中。

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