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<GAMBA CHOICE19>おかえり、白井陽斗。

高村美砂フリーランス・スポーツライター
右膝の大ケガを乗り越え、J1リーグデビューを飾った。写真提供/ガンバ大阪

 4年越しに待ち焦がれた瞬間だった。

 10月16日、J1リーグ32節・浦和レッズ戦で白井陽斗はJ1リーグデビューを飾った。プロ4年目、練習から好調をきたしていた中での先発メンバーへの抜擢。前日練習でスタメン組に入った時は「まさか」と驚いたが当日は、緊張もなく楽しめたと振り返った。

「1年近く、ピッチから離れていたので、最初は感覚を取り戻すのに苦しんだところもありましたが、10月に入って特に体のキレが戻ってきているのを感じていたし、プレー時間が増えるにつれて『これはこうだな』という感覚的なものを思い出して、プレーと直結するようになっていました。以前から松波(正信)監督には『調子がいい選手を使う』と伝えられていたし、実際、レッズ戦の週の練習では自分でも調子がいいなと感じていた中でチャンスをもらったので、応えたいと思っていました。前日はそれなりに緊張したけど、埼玉スタジアムに入ってからはリラックスできていたし、いつも通り平常心でいこうと心がけました。監督には僕の特徴であるスピードの部分を活かすことと、前からの守備でチームを楽にして欲しいと言われていたので、その役割を心がけていました。デビュー戦であり、復帰戦でもあったので自分の中ではうまくやれたかなと思う部分もありましたけど、後から映像を見たらもっと要求して、もっと貪欲にできたなと思ったし、チャンスがないなら自分で作らなければいけなかったという課題も残りました」

 その言葉にもある通り、白井にとっての浦和戦は、長期に及んだリハビリからの復帰戦でもあった。

 昨年10月。ガンバU-23で出場していたJ3リーグ20節・SC相模原戦の試合中に、右膝を痛め、前十字靭帯損傷と診断された。8月の終わり頃から得点を重ねつつ好調をアピールしていた中での長期離脱。手術を経て、本格的にリハビリを開始した今シーズンは、序盤の活動休止もあり、ケアや治療もままならない時期も乗り越えながら復帰を目指してきた。6月末から約1か月間、チームはAFCチャンピオンズリーグを戦うためウズベキスタンに滞在していたが、その間も一人大阪に残り、孤独な戦いを続けたことも。それでも練習時には、ウズベキスタンにいるチームメイトと同じACL仕様の練習着を着用して気持ちを高め、SNSでも「場所は違えど気持ちは同じ」とチームと共に戦っていることを伝えていた。同世代の若い選手がACLを含めた連戦の中で経験を積む姿に焦りも、悔しさもあったはずだが「今の自分にできること」に目を向けた。

「ACLの間はさすがに寂しかったですけど、大阪で僕の練習に付き合ってくれたスタッフもいたし、何より復帰して試合に出ることを想像すれば、全然、頑張れました。リハビリ期間はむしろずっと復帰した未来を想像していたというか、常に試合に出ている自分、点を決めている自分を想像していたので耐えられました」

 その言葉に見るマインドの成長も、長期リハビリを乗り越えられた理由の1つだろう。昨年末、ガンバU-23としての活動を終える最後の日。チームを率いた森下仁志U-23監督(現ユース監督)が白井について話していた言葉を思い出す。

「この1年、いろんな状況の中でたくさんの選手が本当に成長してくれた。その中でも一番、変化したというか、自分を見つけて成長したのは陽斗。僕が監督に就任した当初の5〜6月は思い悩み、グラウンドでふさぎこんで座り込んでいる姿もたくさん見てきましたが、そこから彼自身が『このままじゃダメだ』と気づいて、行動を変えて、プレーが変わっていく姿を見てきたし、去年から今年にかけて成長のスピードが目に見えて上がった選手だと思います」

 事実、プロ1〜2年目は荒削りな部分も多く、アカデミー時代から培ってきた自信と現実がリンクせずに好不調の波に苦しんだが、3年目に入り気持ちの揺れがなくなったからだろう。本来のスピードや足元の技術を安定して発揮できるシーンが増え、なおかつそれが結果に繋がるようになったことが、先に書いた昨年8月末頃からの好調を裏づけていた。

 そのガンバU-23での経験は今も心に刻まれていると話す。

「例えばプレー中、自分が裏に抜けてもパスが出てこなかった時に『出さなかったパサーのせいにするのではなく、自分の動きをどうすればよかったのかを見つめ直せ』と仁志さんに教えてもらった。仁志さんに出会って、矢印を常に自分に向けられるようになったことが、自分が一番、変われた理由だと思います」

 もっとも、ピッチに戻った今、ここから先は厳しい競争にさらされることも覚悟している。白井が戦うのは、昨年までの彼が主戦場にしてきたJ3リーグではなく、J1リーグの舞台。大事なのは、J1デビューではなく、この舞台で結果を残すことに他ならない。本人もそれができてこそ本当の意味での『復活』だという自覚もある。思えば、U-23では本来のFWのみならず、ウイングバックやサイドMFなどポジションの幅も広げたが、その経験も含め、どんなプレーを見せてくれるのだろうか。

「チームがACLとかハードな連戦を戦っている間、僕は戦列を離れていたので、ここから先は、自分が少しでも他のチームメイトを楽にさせてあげられるように、なおかつ自分が結果を出してチームを勝たせたられる選手になりたい。どのポジションで出場しても結果を残すことは常に考えていますし、僕がチームのために走ることで少しでもチームが楽になればいいなと思っています。相手の裏は積極的に突いていきたいし、そうすることで周りの選手にもスペースが生まれると考えても、とにかく走ること。そこが自分の長所でもあるからこそ、スプリント回数は常に意識してプレーしたいと思います」

 約1年に及んだリハビリ生活では、それまで以上にコンディショニングへの意識が高まり、練習後のケアや食事、睡眠時間を見直した。「スピードを落とさないようにしながら強さを備える」ことを目指した日々の筋トレによって、体も一回り大きくなり、線の細かった体には強さが備わるようにもなった。J1デビュー戦の前には2トップを組んだ宇佐美貴史から何度も「リラックス、リラックス」と声をかけてもらって気持ちを落ち着かせたらしく、試合中も改めて周りのチームメイトの心強さを実感したそうだ。この1年「焦らずに頑張れ」と声をかけ続けてくれた家族にもJ1デビューを喜んでもらい、また新たなパワーをもらった。

 とはいえ、彼が楽しみにしていた「1年以上、(ピッチに)立てていないパナスタでのプレー」はまだ実現できていない。浦和戦のあと、2試合続けてメンバー入りは果たしたものの出場チャンスは訪れなかった。残り少なくなったシーズンではサッカーができる喜びをプレーで表現するとともに、貪欲にそこを求めることになるだろう。もちろん次なるステップ、『J1初ゴール』を刻むことも意識しながら。

フリーランス・スポーツライター

雑誌社勤務を経て、98年よりフリーライターに。現在は、関西サッカー界を中心に活動する。ガンバ大阪やヴィッセル神戸の取材がメイン。著書『ガンバ大阪30年のものがたり』。

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