皆が納得の日銀による政策変更
読売新聞社が22~24日に行った全国世論調査で、日本銀行が大規模な金融緩和策を転換し、マイナス金利政策の解除を決めたことを「評価する」とした人は60%で、「評価しない」の24%を上回った(24日付読売新聞)。
6割程度の人が「評価する」と答えていた。
19日に日銀はマイナス金利政策の解除とともに、イールドカーブコントロールの撤廃、ETFおよびJ-REITについて、新規の買入れを終了する。CP等および社債等について、買入れ額を段階的に減額し、1年後をめどに買入れを終了する。
フォワードガイダンスも中立に戻した。これらについて植田総裁は会見で正常化との言葉は使わず、「普通の金融政策」にしたとした。
2000年8月と2006年7月のゼロ金利解除の際には、政府とは対立姿勢を強めることとなった。つまり政府は時期尚早として反対姿勢を示していたのである。
2000年8月に日銀はゼロ金利政策の解除を決定した。しかし、この際に政府からの出席者は、議決延期請求権を行使したのである。「議長提出の金融市場調節方針の決定に関する件に係る政策委員会の議決を次回金融政策決定会合まで延期すること」との議案が提出された。これは否決されたが、わだかまりが生じたこともたしかである。賛成多数で議長案のゼロ金利解除が決定された。反対者は中原委員と植田委員(現日銀総裁)であった。
2006年7月14日にもゼロ金利政策を解除した。このときの総裁は福井氏であった。この際にも「極めて低い金利水準による緩和的な金融環境は当面維持」との日銀からの発表があった。ただし、議決の前に政府は議決延期請求権は行使こそしていないが、財務大臣および経済財政政策担当大臣と連絡を取るため、会議の一時中断の申し出があり、実際に確認が行われていた。
この2度にわたる政府との対立が、日銀にとって大きなトラウマになったとされた。だからこそ今回、日銀は政府の了承を得ることが最大のポイントとなっていたものとみられる。
しかし政府も一枚岩ではない。特にアベノミクスを推進していた政治家は、最後まで反対姿勢を崩さなかった可能性があった。しかし、こちらは政治資金問題も絡んで、大きなプレッシャーとはならなくなっていた。
結果として国民の理解も得た格好ながら、ここまでに至る場面で、日本の債券市場を機能不全にしかねない状況となるなどの副作用が生じていたのもたしかである。
今後の利上げについても慎重となる懸念がある。しかし本当に「普通の金融政策」に戻したのであれば、物価が2%を超えているなかにあり、普通の利上げはあってしかるべきとなろう。