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シリーズ・生きとし生けるものたちと 今井友樹監督 人間は「わからない世界」を持っている(前半)

藤井誠二ノンフィクションライター
今井友樹監督 (東京都町田市鶴川にて) 撮影・藤井誠二

映像ドキュメンタリー作家の人々にインタビューをしていこうと思う。とくに、時代の流れとともに消え行く、可視化されにくい人々の営為に目を向けている作家に。人間以外の動植物たちの命とも、密接なつながりを持つことにより、先達たちは生きてきた。そこには近代的価値や視点からすれば看過できないものも含まれているだろうが、原初の私たちの姿をあらわしているともいえ、「魂」とは、「人間」とは何かを考えさせる複雑な要素がつまっていると思う。映像業界ではどちらかというと「周縁的」なポジションに位置する作家たちへのインタビューを通じて、ぼくは多くの気付きをもらうことができると考えた。

第一回目は今井友樹監督にお話をうかがった。プロフィールなどに関しては、あえて文中で触れることにする。

■ドキュメンタリー映画『夜明け前』■

藤井 「精神障がい者」がこの百年、日本でどのような差別的な扱いを受けてきたかということを記録した、今井さんの作品『夜明け前』は、タイトルはやはり島﨑藤村の『夜明け前』から取っているのですか。「木曾路はすべて山の中である」で始まり、後半では主人公・青山半蔵は精神を蝕まれ、村人たちによって「狂人」として座敷牢へ閉じ込められます。最後は廃人になっていくのですが、江戸期から明治期へ激しく移り変わる時代のうねりに人間が翻弄されていく。今井監督が作られたドキュメンタリー映画『夜明け前』でも、沖縄のやんばる(山原)にあった「私宅監置」の粗末な小屋が登場しますね。粗末な見栄えだけどコンクリートブロックでつくられていて牢獄感に戦慄が走りました。

今井 タイトルは藤村から取っています。もともとあれは仮タイトルでぱっと思いついたといいますか、藤村のことを知っていたので、『夜明け前』という仮タイトルにしましたが、最終的に映画を作り上げるときに、間違いなく『夜明け前』だなと思ったのです。

藤井 ぼくも先達のタイトルを借りてきてまして、本多勝一の『殺される側の論理』をもじって、犯罪被害者遺族のルポ集『殺された側の論理』を書きました。既存のタイトルを借りてくることによって全体が見えてくるというのはありますよね。

今井 藤村は木曽(中津川)の出なので、ぼくの地元とも縁深い文豪の一人だということで、子どもの時分から知っていました。だから、藤村の『夜明け前』が先にあった。青山半蔵という主人公が最後、集落の人たちの手によって幽閉されるというラストも知っていたので、ドキュメンタリーの話をいただいたときに、すぐにそれを思い出しました。最初、『夜明け前』のことも少し作品の中で触れようと思ったのですがやめました。

藤井 日本において精神障がい者が、どう社会や政治の中で非人間的な扱いを受けてきたかというテーマをやろうと思ったのはどういう動機からですか。

今井 ぼくはフォークロアのほうの民俗の映像記録を主にやってきて、そういう先輩たちからも教わってきましたが、先に『鳥の道を越えて』(2014)という作品を作っていて、『鳥の道を越えて』を見たプロデューサーの方がぼくに声を掛けてくださったのです。

藤井 いきなり話がずれますが、フォークロアというのは、古くから地域に残る風習や伝統のことをいいますよね。不勉強なのですが、今井さんは映像人類学ということをずっとやってこられた。

今井さんのプロフィールには、[姫田忠義(ひめだ・ただよし:1928–2013年)は、民俗学者・宮本常一に師事し、50年以上に渡る活動の中で日本各地の消えゆく生活や文化を映像に残した。民族文化映像研究所(設立1976年)は、自然に依拠した人間の精神文化(基層文化)を映像で記録することを目的に、これまでにフィルム作品119本、ビデオ作品150本以上を制作してきた。姫田らが映像による記録を始めたのは、高度経済成長期であり、日本が大きく姿を変えてく時期であった。姫田らは、当時のメディアが目を向けようとしてこなかった農山村漁村の暮らしに焦点を当て、記録し続けてきた。対して、今井友樹が2004年に入所して以降は、既に変容し、あるいは消滅したものをどう記録するかが課題となっていた。そこで今井は、変容や消滅の過程を紐解き、そこに底流する文化や営みを掴み取り、未来を考える手がかりとして、いかに映像で現代社会に提示できるかを模索している。]とあります。

姫田忠義さんにはついてあとで触れていただくとして、映像人類学というのはわかりやすくいうとどういう学問なのでしょう。

今井 映像人類学の分野があることは知っているのですが、じつはぼく自身は定義などよくわかっていないです。日本や世界において、自然の中に依拠しながら生きてきた人間の生活や精神文化を、姫田さんは「基層文化」と表現していました。それを映像で記録し、今を生きる人々にとっての明日を考える手がかりとする手段が映像人類学であるということですかね。

■ドキュメンタリー映像作品『鳥の道を越えて』■

藤井 なるほど、話を戻します。かつては存在した野鳥(渡り鳥)などを網で捕獲して食べるという猟の歴史を追い続けた『鳥の道を越えて』は多くの賞を受賞をしています。それを観たプロデューサーから声がかかったのですね。

今井 「こういう映画をお願いしたい」と依頼を受けたのですが、聞けば、呉秀三が出した著作刊行100周年を記念した映画を、節目に合わせて作りたいということでした。確かその3年ぐらい前に話をもらいました。

 さすがにぼくよりも適任者がたくさんいるだろうと思ってお断りしようと思っていたら、その映画のプロデューサーから、そもそも企画者の方とまず三人で話をしようと言われて、その方に会いに行くことになりました。

 その方が、「きょうされん」の常務理事の藤井克徳さんという方です。もう全盲になられていましたけれども、その方が、きょうされんのことは、共同作業所全国連絡会と昔は旧称で呼んでいて、今は略して「きょうされん」という名前になっていますけれども、そこの40周年の記念も含めて、呉秀三を題材に取り上げたいという経緯があったことを知りました。

 その「きょうされん」の藤井さんが、「差別の反対は何だと思う?」という質問をぼくにされたのです。ぼくは、とっさに差別の反対は平等かなと思って「平等ですか」とお答えしたら、「それも確かに正解の一つといえるけど、障害者福祉に長年取り組んできたわれわれにとってみたら、差別の反対は無関心なんだよ」と言われました。「特に世間の無関心があるがために、なかなかわれわれだけで取り組んでも越えられない壁がたくさんある」と教えてもらって、断ろうとしていたぼくは間違いなくその無関心の側にいたので、それが恥ずかしかったという思いがありました。

 あとはやはり妹のことです。てんかんの病を抱える妹をずっと見てきました。てんかんというのは、突然発作を起こしたりして、ぱっと見るとすごく不思議といいますか、怖い印象だけが残ります。ぼくも民俗取材でいろいろなところのお祭りを見させてもらってきて、お祭りの神事の最初に、「警蹕(けいしつ)」といって神をむかえる際に神主さんが「うーっ」という声を出すのですが、あの声と全く同じ声で妹に何かが憑依したような感じの姿になるのを、当時はただ怖いと思っていました。

 彼女の置かれていた状況をどうしたらいいのだろうと思っていたのですが、彼女はその後、霊感が強くなっていき、いろいろな大人たちが彼女を頼ってくるようになりました。そういうのを間近に見てきて、この映画を作ったら妹のことがもう少し分かるのではないかと思ったのです。その二つがありました。

■妹さんの存在が影響をあたえた■

藤井 それはとても個人的な動機ですね。何歳違いの妹さんですか。

今井 たしか、三~四歳違い。(笑)大人が頼ってくるというのは、要するに、いろいろ「見える」のです。妹に霊感があると周りの人も思い始めたのです。彼女自身もだんだんそういうのが「見える」ことを自覚できるようにすらなってきて、とくに二十歳を過ぎた辺りから、「あの人に事故が起きる」というようなことを予見するようになって、それがそのまま実現してしまったりということで、彼女も自分自身の保ち方のようなことに混乱してしまったのでしょう、社会と距離を置いて内にこもった時期があったり、また荒れていた時期もありました。

藤井 そのとき妹さんは、仕事は何かされていたのですか。

今井 学生でしたが、それも辞めて、フリーターのような感じでいろいろしていました。彼女は実家の岐阜を離れて、名古屋に住んでいました。そういう彼女をシャーマンのような感じで、少し重ねて見ているところがあります。藤井さんは月のうちけっこうな日数を沖縄にいるから、ユタなどと遭遇する機会があるでしょう。

藤井 普通に人々の日常というか、人生の中に存在しているというか。世代によって大きな違いはあると思いますが。ユタにも「専門性」があって、不動産専門とか結婚運専門とか、仕事運専門とか。得意不得意があるんだそうです。ユタそのものと出会うことはぼく個人ではないですが、「ユタ的」と言われる女性にはたまに会います。というのは友人の妻がユタだったり、スナックのママさんがユタ的なことをやっていたりすることがままあるからです。霊感が強いと感じる人はたまに遭遇しますね。東畑開人さんという臨床心理学者が沖縄で働いていたときに書いた『野の医者は笑う』という本は実際に心理のプロがそういう人をたずねまわった記録で、沖縄の特異性、そして心理学的な普遍性のようなものがわかります。

今井 沖縄の社会の中に当たり前に位置付けられているでしょう。妹はああいう感じで、現代の拝み屋さんのような感じになっています。一見するといないようにみえるけど、社会には必ずいます。この街にだっていると思います。普通の人が「いないもの」として認識している世界の中にも、ちゃんと存在している。でも恐らく近代以降、そういう人たちはどんどん社会の隅に追いやられていきました。だから妹に対してはすごくいろいろな意味で、兄貴としてもそうですけれども、関心があります。あとは「きょうされん」の藤井さんの「差別の反対は無関心」という言葉で、今まで自分の中のベクトルが全然向いていなかった世界に飛び込んだのです。

藤井 てんかんというのは病の一種ですよね。ぼくの友人も何人か抗てんかん薬を飲んでいます。子どもの頃、同じクラスにもてんかんのあるの子がいて、突然けいれんが始まるのですが、先生は放っておくのです。みんなは見ているだけで終わっていく感じでした。てんかんと霊感が強いということは何か関係があるのですかね。霊感が強いということが分かり始めてから、後付けで「そういえば」というようなことがいろいろあったのですか。それを今井さん自身は何か実感されたとか。

今井 彼女が十代の頃は、やはり憑依、何かが乗り移ったような感じの姿を見て、ぼくも客観的にそのようなことは思っていました。要するに人格が変わってしまう、1~2分の間、そういう状況になることがあったのです。普段の妹ではない、おとなしい妹ではない、何か例えば動物のようなものです。四つ足で動き回ったりしていました。

藤井 いわゆる、「きつねつき」のようなものですね。

今井 そうです。これがいわゆるてんかんだということは後で分かりました。てんかんの発作のときには放っておくのがいいということを両親は知っていたのですが、ぼくは「そういうのあるけど気にしないでおこう」というような感じで、ぼくは妹のてんかん発作の現場を全然見ていなかったのです。だから妹のそういった現場を初めて見たときに、ぼくは力ずくで彼女を押さえようとしてしまいました。でも、彼女とは思えないような力で振り払われたのです。

 本当はそういうことをしてはいけないんでしょうけれども、ぐっと押さえ込んだりしました。それで「やめろ」というような感じで妹から言われたときに、異様な感じを受けたことがあります。また、おじいちゃん、特におばあちゃんなどは思わず手を合わせて、「何とか孫を守ってください」と神頼みしていました。そういう光景を俯瞰して見ていると、「これは何なんだろう」という思いがありました。

■人間は「わからない世界」を持っている■

今井 そういった彼女に対してぼくは一度、映画学校を卒業してから、カメラを向けようとしたことがあります。そうすると、充電したばかりなのにカメラが止まってしまうのです。

藤井 本当ですか。

今井 本当です。ぼくにはわからない何かの「世界」があるんだろうなと不思議に思っていました。

藤井 そういう経験が民俗学的な、例えば宮本常一さんや赤坂憲雄さんの調査や研究領域に興味を持ったきっかけですか。

今井 全くないです。霊感とかもあまり信じません。どちらかといえば、ないほうだと思っています。妹の「世界」とは切り離していたのです。

 合理的に考えていくと、やはり切り捨ててしまう世界だし、分からないものは分からないのですが、身近にそういう妹がいると、やはり切り離すことができないものもありました。『夜明け前』では、特に近代以降の医学や近代科学が入ってきたことによって、修験者や民間療法がいろいろと排除されていくのです。例えば、修験者が御祓いをすれば、時には治ったかもしれません。でもそういう人たちは、まがい物として扱われ、どんどん排除されていって、近代的な西洋医学が優位に立っていきます。

 それでも治せない精神疾患などと向き合ったのが呉秀三です。やはり取材をすればするほど、ぼくの中で消化し切れない部分が出てきました。それはやはり妹の存在だったのです。だから『夜明け前』を作りましたけれども、一方の妹側のような、近代合理主義が排除していったもののほうに目を向けていくと、自分たちが見ようとしてこなかった世界の中にこそ、何か大事なものがあるのではないかと思うようになりました。かねがね、ずっとぼくは民俗の映像記録でそういうものばかりを記録してきたので、自分の取材してきたことをヒントとして生かせないかなと考えています。

■どうして妹にはわかるんだろう■

藤井 今井さん自身は妹さんに頼ったことがありますか。

今井 あります。

藤井 たとえばどういうときですか。いつ取材や撮影に出発したらいいかなど、そういうことですか。

今井 余計な話をたくさんしてしまっていいですかね。(笑)10年以上前なんですが、年末に妹が急にいなくなってしまったことがあるのです。いなくなって、親が少し心配していたのです。それで彼女は正月の夜中の3時ぐらいに帰ってきました。彼女には頼りにしているお地蔵さんがあって、そのお地蔵さんのところに、何か困ったことがあったら行くようなのです。彼女は導かれてそこに行くらしいのですが、多分、夜中にそこに行っていたのだと思います。それで帰ってきたら、彼女は覚えていないのですが、実家の机の上に結構なぶ厚さのA4の紙の束があって、梵字のようなものが書かれてありました。何十ページにもわたってびっしり埋まっているのです。「これは何だ?」と思いました。

 後になって『夜明け前』の取材過程でいろいろな精神科医に聞いたら、それは多分、自動書記だろうと言われました。例えば大本(教)の出口なおがそうです。

藤井 降りてくるものを筆記する。

今井 そうです。「何かそういうことをやってたんでしょう」と先生からは言われました。

 妹を頼ったという話で言えば、自分のプライベートな話ですけど、彼女とうまくいっていないなど、そのような話を妹にはしていないのに、妹に指摘されたりしました。後付けかもしれないけれども、いろいろとそういうことが重なって、「何で妹は分かるんだ」と思っていました。だからある種、疑い深く彼女を見ていたわけではなく、「そういうもんだ」という感じで彼女と向き合っていました。

 ぼくが一番彼女に頼ったのは、やはり妻を亡くしたときです。自分が回復していくプロセスの中で、彼女にはかなり助けられました。

藤井 奥さまを亡くされたのですか。

今井 妻が統合失調症が原因で自殺したんです。あのときは、やはり自分の中でも(妻が自殺したことについて)なかなか立ち直れないことがたくさんあって、記憶が飛んでいる部分もあるのですが。そういうときに妹が、本当かどうかは分かりませんけれども、何か彼女の言葉をイタコさんのように伝えてくれたり、ぼくの心の支えになってくれました。おかげで随分助けられました。

 妻の「死」をきっかけに、暗闇が怖くなったんです。子どもの頃に夜が怖いというように、単純で素直な気持ちにもなれていた時期だったので、そういった時期の中で多分、妹の存在に助けられたし、自分がやってきた民俗関係の記録の意味も見いだせたということがあります。だから今、民俗の映像記録だけでご飯は食べられないけれども、記録はし続けようと思えているのは、多分そういうことなんだと思います。

藤井 すごく微妙な関係ですね。何でもかんでも妹さんのところに頼ってしまうわけではなく、近代というものが排除してきたものとして、それをきちんと記録として撮ることによって昇華していこうとしている。切り離してきた自分もいますし、それをつなぎ直そうと思っている自分もいるのですね。

ぼくも実は、昔一緒に暮らしていた女の子に自殺されました。その人も統合失調症があったし、医者からはAC(アダルトチルドレン)と言われていました。その子の精神状態に引っ張られて、ぼくも一時、何か心がおかしくなっていました。その子が亡くなってから、同じクリニックに通っていた子も後追い自殺をしてしまったりしてしまいました。何でもかんでも病名を付けて済むという問題ではないですよね。もっと違う何か複雑な要素があります。特にACという概念はアメリカの指標から輸入したものですし、世界標準のようなものがあって、世界中が同じような薬を出すだけでいいのかと思うこともあります。

今井 妻を亡くしたことも『夜明け前』の映画を作る動機になっていました。でも制作当時、それを自分が意識していたかどうかは分かりません。でも意識していたかもしれないです。妻が統合失調症のとき、近くに有名な病院があったのですが、病院に行くこと自体、彼女は嫌がっていました。精神科は怖いというイメージが、患者といいますか当事者にもあるので、行きたくないということで、多分、それが悪化させた一因でもあると思います。ぼく自身も精神科に行くぐらいだったらカウンセリングなど、そちらのほうがいいのではないかと、いろいろ思っていました。

彼女の過去をあまりぼくは知りませんでしたが、いろいろ聞くと、何か物事がうまくいくと、そこから逃げ出すかのように誰も知り合いがいない別の場所に移ったりしていたようです。彼女が亡くなった後に、彼女の知り合いがいろいろと彼女の過去を教えてくれて、不思議な感じでした。1回婚約者もいたりして、自分の知らない彼女の人生を見ている感じでした。

藤井 ぼくも似たような経験があります。彼女が亡くなった後、後追い自殺した人とは別に、何かデイケアのようなところに一緒に通っていた子を探し出したり、あるいは、向こうからたまたま連絡が来たりして、一時期離れていたことがあるのですが、その間どういう生活をしていたのかということを聞きました。俗っぽい感じですが、ぼくの知らないところで借金がすごくあったり、男がたくさんいたことなど、何かそういうのを聞きました。

(後編に続く)

ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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