Yahoo!ニュース

集団的自衛権と内閣法制局ーー禁じ手を用いすぎではないか

南野森九州大学法学部教授

以下は、雑誌「世界」(岩波書店発行)の2013年10月号に掲載された拙稿を、ほぼそのままに掲載するものです。集団的自衛権の行使容認に反対する人のみならず、むしろ行使を容認すべきであると考えている人にこそ、はたしてそのような重大な政策の変更を「解釈変更」という手段で実現して良いものかどうかを考えるために、是非読んでいただきたいと思います。

* * * * *

第2次安倍内閣は、去る2013年8月8日、内閣法制局の山本庸幸長官を退任させ、後任に元外務省国際法局長で駐仏大使の小松一郎氏を任命した。この人事は、内閣法制局の次長や部長どころか参事官すら経験したことのない完全に「外部」の人間が、しかも2000年まで他省庁とは異なる独自の採用試験を実施していた外務省の人間が、いきなり長官ポストに抜擢されたものであり、戦後の内閣法制局の歴史において異例中の異例、初めてづくしの驚愕人事であった。かかる人事が行われた背景には、集団的自衛権の行使を違憲とするこれまでの政府解釈を、何としても自らの政権で破毀し正反対の解釈を打ち立てようという、安倍首相その人の強い政治的意志があるのだろう。

日本という国が集団的自衛権を行使すべきか否かは、日本の国柄と将来を劇的に変える論点であり、賛否様々な見解があるだろう。本稿では、政策論ではなく、法理論の観点から、安倍首相がいま取ろうとしている手法について考えてみたい。

内閣法制局とは?

内閣法制局は、1885(明治18)年、内閣制度の発足とともに作られた大変由緒ある組織である。いわば政府・内閣の法律顧問団であり、その主な業務は、閣議に付される法令案を審査する「審査事務」と、法律問題につき首相や各省大臣等に意見を述べる「意見事務」の2種である。

法令案の審査では、細かく念入りな逐条審査を通して、当該法令案は、憲法を頂点とする国法体系との整合性や、政府見解や判例との適合性が確保されたものとなる。憲法適合性について言えば、日本は諸外国に比べて違憲判決が少なく、違憲審査制が十分に機能していないと批判されることがあるが、実際には、このように事前に法の専門家が厳しく審査するため、裁判官が違憲と考えるような法令がもともと少ない、という事情がある(実際、過去に最高裁が違憲と判断した法律の多くが、戦前から存在していたものか、内閣法制局の審査を受けない議員立法によるものである)。日本の立法のレベルは非常に高く、整合性や一貫性が充分に確保されている点が誇るべきところの一つであるが、それは、このような立案段階での精緻な準備に負うところが大なのである。

審査事務が法の制定前の業務だとすると、意見事務は主に制定後のそれである。省庁からの法令解釈に関する照会への回答のほか、国会議員の質問主意書に対する答弁書案の作成・審査、法令解釈に関する国会での答弁や政府見解の調整・作成も担当する。もちろん、集団的自衛権に関する政府見解も、ここに淵源がある。

内閣法制局は不要か?

世間には、集団的自衛権行使に踏み切るべきなのに内閣法制局だけが頑迷に抵抗しているとか、たんなる一官庁が政府の政策実現を妨害するのは不当だとの主張がある。自由党時代の小沢一郎氏らが「内閣法制局廃止法案」を国会に提出したこともあるし、民主党政権では「政治主導」のかけ声のもと内閣法制局長官による国会答弁を禁止したこともあった。

しかし、内閣法制局の果たす機能は、まっとうな法治国家には必要不可欠である。「人の支配」ではなく「法の支配」を実現するためには、「法」が安定していることは最低限の必要条件である。朝に許されていたことが暮れには禁止されるようでは、いくら法を用いた支配とはいえ、それは「人の支配」である。そして法とは、議会等で制定された法文が、それを適用する機関(行政や司法)によって解釈されることで効果を生むものであるから、仮に法文が安定していてもその解釈が不安定であれば、結局は法が不安定であることになり、法の支配は成立しえない。一見単純な法文であっても、その解釈が専門家のあいだで分かれることはしばしばある。学者のあいだで解釈が分かれているだけなら勝手に論争しておけば良いと突き放すこともできようが、法適用にあたる国家機関によって解釈がばらばらであれば、国家は国家としてたちゆかなくなるし、国民も安心して暮らせなくなるだろう。法治国としては二流三流に成り下がることになる。

裁判所に任せるべきではないか?

それは裁判所の役割だとの意見もありえよう。たしかに、法の適用をめぐる争いに決着をつけるのは裁判所であるし、最終的には最高裁である。ところが、日本の裁判所は法令案の事前審査を行えないし、事後的にも法的問題の全てに判断を下すわけではなく、下すとしてもいつ下すかは分からない。また、裁判所、とくに最高裁の判決が法令や政府の行為を違憲とするものであれば、その影響は深刻である。最高裁が自衛隊の海外派遣を違憲と判断すれば、その善後策には、内政・外交いずれにおいても、膨大なエネルギーが必要となるだろう。政府としては常に、事前に、そして法の専門家の視点から違憲と判断される可能性が限りなくゼロに近づくように、法の適用・解釈を統一しておく必要があるのである。

つまり、内閣法制局が法治国家の安定のために果たしている役割は、大方の想像以上に重要である。仮に同局を廃止するとしても、代わりにその役割を担う組織が必要となるだけであって、かかる制度改革の準備もせずに、その廃止だけを先行させるのは非現実的であり無責任である。いくら政治主導の理念は正しくとも、それではたんなる「壊し屋」の所業と非難されても仕方がない。法とは高度に専門的なものであって、法を作る段階においても、法を適用する段階においても、法の専門家による一貫性、整合性、論理性の確保のための関与が必要なのである。

もちろん、いくら法的安定性が重要とはいえ、時代や社会の変化に応じて真に必要な法解釈の変更はなされるべきであるし、そもそも法の支配といってもそれはあくまでも社会全体の幸福実現のための手段なのであるから、法を墨守することで国益ーー言葉の厳格な意味でのそれーーを損なうことになっては本末転倒である。だからこそ、最高裁が判例変更を行うことも時にはあるし、内閣法制局自身、たとえば文民条項(憲法66条)についての解釈を変更したこともある(文民条項の解釈変更については、拙稿「内閣法制局の憲法解釈が時代の変遷により変わってきたという事実はあるのか?」を参照)。

しかし、集団的自衛権についての解釈は「別格」である。それは、あまりにも長いあいだ、一貫して、しかも国会で、繰り返されてきたものなのである。

「政府の」集団的自衛権解釈史

集団的自衛権に関する政府見解が確立したのは1980年代初頭でありさほど古くはないと言われることがある。たしかに、質問主意書への答弁書として明確な定義を含む見解が出されたのは1981年5月であるが、それ以前にも、国会答弁等で、集団的自衛権の行使を違憲とする政府解釈が繰り返し表明されていたことを忘れてはなるまい。たとえば1972年10月には、参議院決算委員会に対してそれまでの政府答弁等を整理した文書が提出されているが、この段階で既に、政府は「従来から一貫して」集団的自衛権の行使を違憲としてきたと述べられている。

もう一点確認しておくべきことは、内閣法制局がひとり独自の立場を固守してきたということではなく、あくまでも政府の立場というものがまず形成され、それを法的に国会で説明する役割を主として担ってきたのが内閣法制局であるに過ぎないということである。それは、同局の歴代長官のほかにも首相や関係閣僚、そして小松一郎新長官の古巣である外務省国際法局(2004年以前は外務省条約局)の歴代局長によっても説明されてきたのである。

古いところでは、1954(昭和29)年6月3日の衆議院外務委員会における下田武三条約局長の答弁がある。下田は、集団的自衛権「つまり自分の国が攻撃されもしないのに、他の締約国が攻撃された場合に、あたかも自分の国が攻撃されたと同様にみなして、自衛の名において行動するということは」認められず、「現憲法のもとにおいては、集団的自衛ということはなし得ない」と言う(会議録)。下田に続いて条約局長となった高橋通敏も、その5年後、1959(昭和34)年9月1日の同委員会で「相手国の権利が侵害された場合にこれに援助におもむく(…)これが一般的な集団自衛権の実体的な解釈たと思いますが、そのような意味における日本国側における集団(的)自衛権は、われわれ(に)はないものである」と答えている(会議録)。

激動の安保国会においても政府見解は揺るがない。歴代の内閣法制局長官で最長任期を誇る林修三といわば二人三脚で厳しい国会に対応した岸信介首相は、たとえば1960(昭和35)年2月10日の参議院本会議で、「自国と密接な関係にある他の国が侵略された場合に、これを自国が侵害されたと同じような立場から、その侵略されておる他国にまで出かけていってこれを防衛するということが、集団的自衛権の中心的の問題になると思います。そういうものは、日本憲法においてそういうことができないことはこれは当然でありま〔す〕」と述べている(会議録)。

紙幅の関係上これ以降の答弁の紹介は断念するが、一点だけ、1990年代に入り、湾岸戦争を機に「国際貢献」が叫ばれた後でも、政府見解は変わっていないことを確認しておきたい。安倍首相の設置した「安保法制懇」の座長を務める柳井俊二氏が条約局長として1990(平成2)年9月7日の衆議院外務委員会で行った答弁は、「従来より(…)集団的自衛権の行使は憲法上認められないという政府の一貫した立場がございます」と言う(会議録)し、また1992(平成4)年5月22日の参議院の国際平和協力特別委員会でも、やはり柳井局長が、「政府といたしましては、憲法9条のもとにおいて許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであるというふうに従来から解しておるわけでございまして、集団的自衛権を行使することはその範囲を超えるものであって、憲法上許されないという考えをとってきているわけでございます」と答弁している(会議録)。そしてこの点での政府見解は、「安保再定義」や「テロとの戦い」、そしてイラク戦争を経た現在でもなお変わってはいない。

解釈改憲は可能か?

このように、集団的自衛権の中核部分が憲法により否定されているとの解釈は、1980年代どころか、1950年代から、少なくとも半世紀以上、政府が一貫して繰り返してきたものなのである。国会の会議録を読めば、首相、閣僚、内閣法制局長官、外務省条約局長らが、政府として一丸となり、時として「物わかりの悪い」議員たちの執拗な追及に対して、苦心しながらも丁寧に憲法解釈を説明してきたことがわかる。政策論としては、安倍首相の祖父を始めとする歴代の首相、そして歴代の長官や局長のなかにも集団的自衛権の行使を支持する人間はいたかもしれない。しかし政府は、国会に対して、半世紀間、集団的自衛権は憲法により禁じられていると説明し、それを前提として国会はこれまでの立法活動を展開してきたのである。

集団的自衛権という、日本という国家の命運に直結する、憲法上最も重要であると言ってもよい論点で、半世紀以上維持してきた解釈を、しかも法の専門家がこぞって誤りだと指摘しているという状況があるわけでもないのに、一時の政権が変更することは、明白に重大な危機が差し迫っている例外状況でもない限り、とても正当化することはできない。そしてこれほどまでの大問題を、憲法改正もせずに断行する国家は諸外国からの信頼も失うだろう。この問題での解釈改憲は、失うものがあまりにも大きすぎる。

筆者には、安倍首相の言うように「集団的自衛権を行使できるなら、日米は圧倒的に対等になります。日米が対等になれば、アメリカに対してもっと主張できるようになる」(「論座」2004年2月号)とは到底思えないし、これほどまでに近隣諸国との関係が悪化しているタイミングで集団的自衛権行使の容認へと政策転換することが得策とも到底思えない。とはいえ、民主的に正当な政権がそう考えて決断することは許されるだろうし、そのために国際政治や外交の専門家の意見を聴くことも賢明であろう。著名な国際政治学者をメンバーに含む「安保法制懇」がそのような役割を自任し、集団的自衛権行使の容認を提言するのであればそれはそれで良い。しかしそのような政策を実現する手段は、法的に正当化できるものでなければならない以上、今度は法の専門家の意見に耳を傾ける必要がある。政策上の必要性から、過去半世紀の歴代内閣の憲法解釈は誤っていたなどと嘯くことほど大きな誤りはないだろう。そしてそれはあまりにも先人への礼を欠く。

安倍首相は、集団的自衛権行使のための憲法9条改正が現状では困難とみるや、憲法96条から先に変えようとした。それも評判が悪く想定した支持が得られないとなると、今度は解釈改憲を先行させようとしている。内閣の法律顧問団がそれに法的観点から抵抗するや、そのトップの首を、先例にも慣行にも反して「お友だち」にすげ替えることで強行突破しようとする。このように次々に禁じ手を用いて伝統を破毀しようとするのは、つくづく美しい国に相応しくない。壊し屋ではなく、真の保守政治家として歴史に名を残すためにも、正攻法での政策実現を目指すべきではないだろうか。

九州大学法学部教授

京都市生まれ。洛星中・高等学校、東京大学法学部を卒業後、同大学大学院、パリ第十大学大学院で憲法学を専攻。2002年より九州大学法学部准教授、2014年より教授。主な著作に、『憲法学の現代的論点』(共著、有斐閣、初版2006年・第2版2009年)、『ブリッジブック法学入門』(編著、信山社、初版2009年・第3版2022年)、『法学の世界』(編著、日本評論社、初版2013年・新版2019年)、『憲法学の世界』(編著、日本評論社、2013年)、『リアリズムの法解釈理論――ミシェル・トロペール論文撰』(編訳、勁草書房、2013年)、『憲法主義』(共著、PHP研究所、初版2014年・文庫版2015年)。

南野森の最近の記事