「オーダー(静粛に)」1万4000回 あの下院議長は「EU離脱は大戦後、外交上最大の過ち」と断言した
異彩を放った議長
[ロンドン発]「静粛に、静粛にぃぃぃー(Order, Order)!!!」の掛け声で欧州連合(EU)離脱(ブレグジット)を巡る議事を進行し、世界的に有名になった英下院のジョン・バーコウ前議長(56)が6日、ロンドンの外国特派員協会で記者会見しました。
バーコウ氏は11月4日に10年間務め上げた議長職を辞任したばかりです。新しい議長には労働党出身のリンゼイ・ホイル副議長が選出されました。
報道陣の求めに応じてバーコウ氏は気さくに「オーダー。オーダー」を連発。時にエキセントリックに、そしてユーモアや風刺を交えてショーマンシップを存分に発揮してくれました。
「下院はブレグジットを巡り完全に分断して対立しているが」という質問には「議会はこの問題を巡り、数年にわたって分断と対立が続いている。議会が分断しているのは国が分断しているのを反映しているからだ。だからこそ私は下院議長として政府、野党、小党、下院議員にできる限り発言する時間を与えるように努めた」と答えました。
「3年前の国民投票の後に総選挙が行われ、選ばれた議会は国民の声を反映している。ジェフリー・コックス法務長官は『(英国のEU離脱を妨げる)この議会は不名誉だ』となじったが、不名誉でも何でもない。私の意見では、審議したり分析したり修正案を出したりするのがまさに議会の仕事」
「総選挙の結果、EUから離脱できたとしてもそれはフェーズ1に過ぎない。そのあとEUやそれ以外の国々との通商協定や安全保障の交渉が続く。そうしたことを今後も議会で審議していかなければならない。少なくとも5年、おそらく10年、いや15年かかるかもしれない」
「最高裁は11対0で首相の議会閉会を違法と判断した」
「政府を守るのが議会の仕事ではない。議会の審議を最優先にするのが議長の務めで、そのことについて謝るつもりは毛頭ない」。バーコウ氏はEU離脱を巡る審議を避けるため議会を閉会したボリス・ジョンソン首相について「最高裁は11対0で違法と判断した」と3回も繰り返し、強引な政権運営を痛烈に批判しました。
ブレグジットについて「議長として強硬離脱派の議員にも修正案の発議を認めるなど残留派と同じように十分な機会を与えてきた。もう議長を辞めたので中立を守る必要がなく、自分の考えを表明できるが、今EUから離脱するのが正しいかと言えば、グローバル・スタンダードからすると正直に言ってノーだ」と断言。
「ブレグジットは第二次大戦後、外交上最大の過ちだ。個人的な考えだが、ブレグジットは私たちの助けにはならない。私たちは世界の一部だ。そして世界は今、貿易圏、パワーもブロック化しているので、ブロックから出るよりその一部に残るのが良い。不確実性を長引かせるのは何一つ英国のプラスにはならない」と不安をのぞかせました。
下院議長は13世紀に遡(さかのぼ)る英国議会制度において重要な役割を担ってきました。そのため議長の権限はルール、伝統、歴史、慣習に縛られていますが、いまだに迷走を続けるブレグジットが審議されたとは言え、アクの強いバーコウ氏が異彩を放つ議長であったのは間違いありません。
英BBC放送によると、バーコウ氏が在任中に「オーダー」という言葉を発したのは1万4000回近くにのぼっています。バーコウ氏が議長に就任してから発言回数は急増し、EU離脱交渉が下院で審議されるようになってからその回数はハネ上がりました。
党内からEU残留派を一掃した保守党
バーコウ前議長は与党・保守党出身ですが、議員経費の不正請求スキャンダルのあと、最大野党・労働党からも支持を受けて下院議長に就任。
EU離脱の議事進行を巡っては保守党内の強硬離脱派から「残留派寄りで、中立ではない」と激しい反発を招き、自分の選挙区に離脱派の対立候補を擁立するとまで脅されました。
議長の選挙区には主要政党は対立候補を立てないのが長年の慣習でしたが、保守党内の強硬離脱派はこの禁を踏みにじりました。保守党は今回の総選挙に合わせてEUとの合意に達した離脱を完遂するため党内から残留派を一掃しました。
新党ブレグジット党は相変わらず市民生活や企業活動を大混乱に陥れる「合意なき離脱」を主張し、一方、保守党は「合意なき離脱」では下院の過半数は取れないとみるやEUと距離を置く「強硬離脱(ハードブレグジット)」に舵を切りました。
英下院のホームページを見ると、現在と同じ称号を持つ下院議長の歴史は1377年のトーマス・ハンガーフォードが始まりです。それ以前の同等の議長職はピーター・デ・モントフォートが1258年にオックスフォードで議事進行役を任された「狂った議会」にまで遡ります。
当時のイングランド国王ヘンリー3世の度重なる外征、欧州への介入で財政難に陥り課税を強化しようとしたのに対し、諸侯らが反発し、ヘンリー3世に議会の権能を認めさせました。欧州と税金の問題が英国の議会制民主主義を発展させるきっかけになりました。
過去7人の議長が斬首された英国
17世紀まで議長は国王の代理人に過ぎないとみなされていました。国王にとって耳障りな議会の言葉を伝えた議長は容赦なく処刑されました。1394年から1535年までの間に実に7人の議長が斬首されたそうです。
チャールズ1世が1642年、反逆罪で下院議員5人を逮捕するため議会に乗り込んできた時、議長のウィリアム・レントールは「私は下院の下僕」と議長として初めて国王の意思に背いて議会に忠誠を尽くす考えを明言しました。このあとイングランドは内戦に突入します。
以来、君主は下院に足を踏み入れることはできなくなり、今でもエリザベス女王の演説は上院で行われています。
1660年の王政復古の後、議長は政府と政治的な関係を持ち、政府にポストを持った時期もありましたが、高潔で知られるアーサー・オンズローが1728年から33年余にわたって議長を務める間、政府と距離を置き、議長に関する多くの慣行を確立しました。
19世紀半ばまでに、議長は党利党略を超越した存在であるべきだという規範が確立されます。
「議会を貶めれば私たちを脅かす」
バーコウ氏は議場で辞任演説をする際、傍聴席の妻のサリーさんと3人の子供に感謝の言葉を述べ、大きな目に涙を浮かべました。「私はバックベンチャー(平議員)の砦になることを心掛けてきました」「この議会を貶めれば私たちを脅かします」
ジョンソン首相の上級アドバイザー、ドミニク・カミングス氏は白人英国人の高齢者、低所得者や失業者の不満を煽り、ソーシャルメディアを駆使してありもしない「英国民vs議会」の対立構図を作り上げました。怒りやヘイトは投票行動の決定要因になるからです。
バーコウ氏は格好のターゲットでした。
テリーザ・メイ前首相はEUとの離脱協定書と将来の関係に関する政治宣言の採決を巡り、下院で3連敗。1度目は史上最悪の230票差、2度目もワースト4の149票差という歴史的な大差で敗北を喫し、3度目も58票差で否決されました。これに対してジョンソン首相の新しい合意の基本方針は30票差で承認されました。
EU残留派として敵視されていたバーコウ氏
2016年のEU国民投票では残留に投票し、車にブレグジットに反対するステッカーを貼っていたことから残留派とみなされてきたバーコウ氏。首相の暴走を止め、与野党が議論を尽くせるよう首相への野党の質問時間を長くとったため、首相や保守党からにらまれました。
辞任演説で労働党からはスタンディングオベーションで送られたものの、保守党からは無視されました。「合意なき離脱」とEUの関税や規制を維持するメイ前首相の自由貿易圏構想は下院で何度も否定され、英国のテーブルに残っているのは以下の3つの選択肢です。
(1)EUから離脱して自由貿易協定(FTA)を結び直す=ジョンソン首相
(2)EUの関税同盟に留まる案を2回目の国民投票にかける=労働党
(3)EU残留=自由民主党、スコットランド民族党(SNP)、その他
英国が3つの選択肢のうち、どれを選ぶかは12月12日投票の総選挙の結果次第です。保守党が勝ってジョンソン首相の新しい合意に基づいて離脱が進められた場合、スコットランドや北アイルランドが英国から離脱するリスクが膨らみます。
「政府vs議会」の対立を際立たせたバーコウ氏の議事進行が正しかったかどうかは、もうしばらく様子を見てみないことには何とも言えないでしょう。
(おわり)