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保守はなぜ同性愛に不寛容なのか?~渋谷区パートナーシップ条例をめぐる怪~

古谷経衡作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長
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画像:canstok photo(権利許諾済)

・LGBTを嫌悪する保守派

渋谷区でのパートナーシップ条例が同区議会に提出されるやいなや、いわゆる保守界隈や、右派から、この条例が猛烈な抗議の対象となっていることは、知っている方も多いと思う。

この条例には、「結婚に相当する関係」を同性カップルに対し証明する証明書の発行が可能となる条項が含まれているのだが、このことに対し、保守派からの猛烈な抗議の声はとどまることを知らない。

3月10日には、右派系市民団体である「頑張れ日本!全国行動委員会」(以下、同委員会)が、JR渋谷駅前の広場で”渋谷区「同性パートナーシップ条例」絶対反対緊急行動”と題して、大々的な反対の抗議街宣を行い、話題となった。同会は、右派系のCS放送局である「日本文化チャンネル桜」(スカパー528ch)と密接に関連する政治団体である。

同委員会は、2014年2月に投開票された東京都知事選挙で、元航空幕僚長の田母神俊雄氏を擁立した最大の支持母体として知られ、いわゆる保守・右派界隈では、大きな行動力を持つ行動組織として認知されている。同委員会が、保守、右派の全てを代表しているとは言わないものの、保守、右派界隈全般の空気感を如実に代弁する存在であることは確かだ。

同性愛、同性婚をめぐる問題は、日本においては一貫して保守派、右派が「我が国の伝統的な家族観を破壊する」と称して、反対の立場を鮮明にしている場合が圧倒的である。

同委員会が3月10日に行った渋谷駅前での抗議活動について、同会の幹事長らは、スカパーの番組内で次のような趣旨で、重ねて渋谷区のパートナーシップ条例への激烈な反対の意見を鮮明にした。

「(この渋谷区のパートナーシップ条例は)ジェンダ―フリーの流れで、左翼の人たちがやっている」

「日本の伝統的な家族観が破壊されていく」

この見解はおおよそ、忠実に保守派、右派の同性愛・同性婚への嫌悪の感情をトレースしたものであると言って良い。これに先立つこと約2年前の2013年12月7日、当時の石原慎太郎知東京都自治は「(同性愛者は)どこかやっぱり足りない感じがする。遺伝とかのせいでしょう。マイノリティーで気の毒ですよ」と発言して、大きな問題になった。

言わずもがなその後、石原氏は都知事を辞職して「太陽の党」を立ち上げ、橋下徹氏率いる維新の会に合流。その後、「次世代の党」として分離した同氏は、保守系論壇誌などに精力的に登場し、保守派、右派の中心的論客として知られるキーマンである。このことからも分かるように、保守、右派全般が同性愛やLGBTに嫌悪や偏見のニュアンスを少なからず抱いていることは、疑いようもない。

渋谷区のパートナーシップ条例が話題に上がってから、多くの保守系活動家や言論人が、「感情的」と形容するのにふさわしいほどに、この渋谷区のパートナーシップ条例に対し、反対の声、ないしは嫌悪の感情を表明していることは疑いようがない。

・「伝統」と相容れない保守派の同性愛、LGBT嫌悪

私個人としては、渋谷区のパートナーシップ条例は、自治体の条例のレベルなのだから手放しで大絶賛するほどのことではないにせよ、別段、問題だとは思わない。制定するなら、私は微温的に支持しようと考えている(私は残念ながら区民ではないが)。同性愛、LGBTの人々が、絶対数は少ないにせよ、異性結婚と同等の権利を欲するのは、別段不自然なことではない。同性が同性を好きになり、事実上の家族関係を有することに、なにか大きな社会的弊害が発生するとは到底思えない。

そんな私は、前述した「日本の伝統的な家族観が破壊されていく」という保守派による、この条例へのトリッキーな反対の姿勢が、よく理解できないでいた。「日本の伝統的な家族観が破壊されていく」という理屈は、「同性愛やLGBTは、日本の伝統的な家族観とは相容れない」と言っていることに等しい。

が、言わずもがな織田信長と森乱(森蘭丸)&前田利家や武田信玄&高坂昌信など、ややもすればBL(ボーイズラブ)のネタにされそうな、(余りにも有名な)日本の中世期における同性愛関係をなんとするのだろうか。或いは、江戸幕府三代将軍の徳川家光の性癖をなんと解釈するのか、など、日本の「伝統」を持ち出すのならば、現在の保守派や右派による同性愛やLGBTへの嫌悪や禁忌の情は、全くその「伝統」を踏まえない異質のものであると思う。「伝統」を殊更となえるのなら、「衆道」の伝統を踏まえないのは、嘘だろう。

だから、なぜ現在の保守派や右派がここえまで激烈に同性愛やLGBTを嫌悪するのか、彼らのささやかな権利獲得に、ここまで苛烈に反駁するのはなぜなのか、それが、私を含め多くの人にとっては謎だと思うのである。

・保守派が同性愛を嫌悪する理由 1)保守の高齢化が原因

保守派や右派がここえまで激烈に同性愛やLGBTを嫌悪する理由には、大きく別けて二つの理由がある、と私は考えている。一つは、大前提的に保守派、右派の高齢化がその要因である。YAHOOニュースの過去エントリーや、拙著『若者は本当に右傾化しているのか』に詳述しているとおり、現在の保守派や右派は高齢化が着実に進展している。

彼らの主要な支持層は、40代以上の中・高年であり、場合によってはボリュームゾーンは50代や60代以上である。これらの中・高年が世代的な風潮として、同性愛者やLGBTに対し、辛辣な姿勢を堅持しているのは、時代的な要請とはいえ、しかたのないことだろう。現在、60代の世代が青春時代を迎えた1960年代から1970年代の高度成長期は、まだまだ前近代的な差別と古い因習がこの国の中に残置されていたのは、言うまでもないからだ。

特に地方では、明治時代から続くような、旧い因習としきたりが支配的だった。このような世代の人々が、同性愛やLGBTを禁忌のもの、としてとらえ、「正常な恋愛の形ではない異常なもの」とみなすのは、世代的な要因が大であると思う。現在の保守派や右派の年齢的ボリュームゾーンを考えると、理屈としてそのような性的マイノリティーに対する差別的感情が根強いのは、得心が行くものといえよう。

・保守派が同性愛を嫌悪する理由 2)宗教右派からの照射

もう一つの理由だが、その前に今一度、上記の「ジェンダ―フリーの流れで、左翼の人たちがやっている」「日本の伝統的な家族観が破壊されていく」という、保守派・右派による反対理由を少し検証してみることにする。この考え方は、「ジェンダフリー(教育・政策)」に強い反対の立場を採る「日本会議」の思想的影響を強く受けていることは間違いはない。 

「日本会議」は、保守系最大の行動団体として、旧軍遺族会やその他旧軍関係団体を始め、神社本庁や仏教系宗教団体など、おもに「宗教右派」とよばれる保守的な傾向を持つ宗教団体によって形成されている。さらにこの日本会議が、主に自民党のタカ派議員を支援したり、自民党のタカ派議員自らが会員となっている例は、公然の事実である。

また、保守系の論客や文化人などの講演会などを頻繁に行うなど、保守業界のありとあらゆるところに「日本会議」は入り込んでいる。「日本会議」が、保守や保守運動に有形無形の形で絶大な影響力を与えていることは、紛れも無い事実だ。

勿論、現在、渋谷区のパートナーシップ条例に反対の立場を採る人や団体の全てが、「日本会議」と直接の人的・物的なつながりがあるわけではない。が、保守、保守運動団体の背後に、隠然たる影響力を行使し続ける日本会議の思想的源流をたどることで、保守がなぜ同性愛に不寛容なのか、その答えが見えてくるのだ。

・保守派が同性愛を嫌悪する理由 3)戦後新宗教と同性愛

特に、「日本会議」の中枢をなすのは、神道系の「神社本庁」の他に、「霊友会」、「念法眞教」、「新生佛教教団」、「佛所護念会」、「生長の家」など、大なり小なり仏教を源流とする仏教系新宗教団体である。「日本会議」における仏教系宗教団体の力は、非常に大きいものがあるのは、誰しも認める所だ。

しかし本来、仏教の教えは「同性愛には至極寛容」であることを根本とする。事実、敬虔な仏教国であるタイ王国は、同性愛者に寛容な気風であることは、広く知られている。仏教の開祖ブッダは、出家する前まで、インドの地方豪族の皇子として自由奔放な生活を行ってきた。「伝統的な家族観」をそもそもブッダ自身が体現していないのだが、なぜかことさら、日本の仏教系新宗教を主力としてから構成される「日本会議」は、仏教本来の教えを部分的にせよ照射されているはずなのに、この仏教の「伝統」を否定しているようにも思える。

ともあれ、この仏教を源流とするこれら仏教系の「宗教右派」の支持の上に成り立っている日本会議は、「伝統的家族観」を最重要視し、従前から「夫婦別姓反対」「ジェンダーフリー反対」、の立場を堅持してきた。つまり、現在、保守派や右派が渋谷区のパートナーシップ条例に反対するロジックとして使用している、前述の「ジェンダフリーの流れで…」の基本的な反対の構造は、正しくこの「日本会議」の一貫した姿勢を忠実にトレースしたものと同じものなのである。

・保守派が同性愛を嫌悪する理由 4)儒教と保守

なぜ、本来仏教系団体を基礎とする「日本会議」が、ジェンダーフリーや、ひいては同性愛に不寛容なのか。

これについて私は、宗教問題に詳しく、仏教関係で数多くの著作がある著述家の星飛雄馬氏に詳しい話を伺った。星氏によれば、

1.そもそも日本の仏教は、元来のインド仏教の理念以外に、その伝播の過程で朝鮮半島や大陸から来た儒教の影響を強く受けている

2.そのため、元々インド仏教にあった「輪廻」(生まれ変わり)の思想になじみのない日本では、儒教などに由来する祖霊崇拝の傾向が強く、家父長制度を基礎とした長男継嗣の「墓守り」の思想がある

3.それゆえ、現在でも地方などでは仮に家督を継ぐべき長男がゲイだとすると、「誰が先祖の墓を守るのか!」と問題視されるような話もあるという

4.つまり、日本の仏教系の新宗教では、儒教の家父長思想の影響を色濃く受けているがゆえに、本来の仏教の教えとは外れた、同性愛への蔑視や禁忌の発想が生まれるのではないか

ということなのである。なるほど、日本のみならず、朝鮮半島や中国など、いわゆる「儒教文化圏」では、同性愛に対する社会的差別が温存されているのは、このせいかと納得した。

こうした日本における宗教勢力、とくに保守や保守運動に隠然たる影響を与えてきた「宗教右派」としての「日本会議」が、仏教と儒教の混交体として、家父長制の思想を元にした、同性愛に対して辛辣な思想的源流が、有形無形の形となって保守と保守運動に照射されているのが、現在の状況を読み解く上でのカギとなるのは間違いはない。

繰り返すように、上記で例示した保守運動組織や団体が、「日本会議」の傘下にあるといっているのではなく、書類上は別個の存在であっても、「日本会議」に多くの保守系の政治家や文化人が集う現状を鑑み、この動きが一種、大きな保守界隈の潮流となって、無意識的にも、各人に強い影響を与えていることは間違いのない事実なのである。

ここで断っておくが、私はこのような、仏教徒儒教が混交した日本の仏教系新宗教のあり方や「日本会議」の構成要素を、「悪い」と言っているのではない。あくまでも、事実としてそのような傾向があると、指摘しているだけだ。

・宗教化する保守~アメリカ「福音派」と日本の保守

今回、渋谷区のパートナーシップ条例への保守派、右派の激烈な反対の姿勢は、ある意味、日本の戦後保守を考える上での分水嶺的事件になり得ると、私は考えている。

何故ならば、戦後における日本の保守は、一貫してして「反共保守」というイデオロギーの産物だった、ということだ。「反共保守」とは、読んで字のごとく反共産主義、つまりアンチ・ソ連だが、ソ連が崩壊して消滅した後、「反共保守」は敵を失い、漂流するに至った。

その過程で、つまり新しい敵を見つけるための運動が起こったのが、「ポスト・反共保守」以後の保守や右派界隈の動きである。その中から登場してきたのが、いわゆる「嫌中・嫌韓」のたぐいだった。

しかし、この度の渋谷区のパートナーシップ条例反対という動きは、これまでのイデオロギーに染め上げられ、イデオロギーの理屈で行動してきた保守・右派の中にあって、きわめて異質な、観念が優先する宗教色が強い姿勢であると言わなければならない。そこにあるのは、理屈抜きにして、宗教的で、観念的な感情である。

アメリカの「宗教保守」といえば、聖書原理主義者の「福音派」を指すことが多い。彼らは、「同性結婚」、ひいてはLGBTの問題に対し、激烈な反対の姿勢を示す原理主義者で、その大多数は、保守派である共和党の支持基盤になっている。科学的な理屈、政治的なイデオロギーよりも、宗教性が優先されるという、福音派にまま垣間見える性質が、いま、確実に日本の保守、右派の中に芽生えようとしている。

仏教と儒教の混交として生まれた日本の「宗教右派」と保守・右派の関係は、その両者を書類上は別個の存在としながらも、あきらかに同一する形で進んでいる。日本の右派も、アメリカの「福音派」のようなエッセンスが、いままさに一気呵成に注入されようとする、その契機を迎えていると私は感じている。

それが「良いことだ」とか「悪いことだ」とか言うつもりはない。ただし現状が、そうなっているの疑いが強いと、多くの人に知ってもらいたい、ただそれだけである。

願わくば性的マイノリティーの人々が、雑音に惑わされることなく、慎ましやかな生活を送れることができるよう、祈るよりほかない。

作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長

1982年北海道札幌市生まれ。作家/文筆家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長。一般社団法人 日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。テレビ・ラジオ出演など多数。主な著書に『シニア右翼―日本の中高年はなぜ右傾化するのか』(中央公論新社)、『愛国商売』(小学館)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)、『女政治家の通信簿』(小学館)、『日本を蝕む極論の正体』(新潮社)、『意識高い系の研究』(文藝春秋)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『ネット右翼の終わり』(晶文社)、『欲望のすすめ』(ベスト新書)、『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)等多数。

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