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40年前の今日、ドラマ『北の国から』と「黒板五郎」に出会った!

碓井広義メディア文化評論家
「五郎の石の家」(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

10月9日は「五郎記念日」

『北の国から』(フジテレビ系)の放送が始まったのは、1981年10月9日のことでした。

そこに、初めて目にする、あの「黒板五郎」がいたわけで――。

 四十年前の今日

 初めてゴロさんに会ったから

 十月九日は五郎記念日

「五郎記念日」は勝手なネーミングで、元ネタはもちろん俵万智(たわら まち)さんの有名な短歌です。

 「この味がいいね」

 と君が言ったから

 七月六日はサラダ記念日

ちなみに、この歌を収めた歌集『サラダ記念日』が出たのは1987年。なんと280万部という大ベストセラーになりました。

夜になったら眠るンです

81年10月9日(金)の夜10時からオンエアされた、連続ドラマ『北の国から』の第1回。

黒板五郎(田中邦衛)が、息子の純(吉岡秀隆)と娘の蛍(中嶋朋子)を連れて、故郷の北海道・富良野へと戻って来ます。

東京にいる妻・令子(いしだあゆみ)とは距離を置き、子どもたちと富良野で暮らすためでした。

しかし、住もうとする家には電気も水道もガスもないことを知って、純は愕然とします。それが以下の場面です。(シナリオより)

家・二階

 純の驚愕(きょうがく)の顔。

純「電気がないッ⁉」

 トイレの板壁をはり直している五郎に、純、もう然とくい下がる。

純「電気がなかったら暮らせませんよッ」

五郎「そんなことないですよ(作業しつつ)」

純「夜になったらどうするの!」

五郎「夜になったら眠るンです」

純「眠るったって。だって、ごはんとか勉強とか」

五郎「ランプがありますよ。いいもンですよ」

純「い――。ごはんやなんかはどうやってつくるのッ!?」

五郎「薪で炊くンです」

純「そ。――そ。――テレビはどうするのッ」

五郎「テレビは置きません」

純「アタア! けど――けど――冷蔵庫は」

五郎「そんなもンなまじ冷蔵庫よりおっぽっといたほうがよっぽど冷えますよ。こっちじゃ冷蔵庫の役目っていったら物を凍らさないために使うくらいで」

生きるべき座標軸

この時、五郎が言った、「夜になったら眠るンです」の言葉に驚いたのは、純だけではなかったはずです。

80年代初頭、すでに街は24時間、休みなく稼働していました。不夜城こそ、「豊かな日本」を象徴する風景だったのです。

一方、五郎が目指していたのは、一種の原点回帰ともいえる、人間らしい暮らしでした。

何でもお金に頼るのではなく、自分の力の及ぶ範囲で「自足」しようという生活。

バブルが始まり、人々が「欲望の発露」を競い合っていた当時は、それこそ時代錯誤に見えたかもしれません。

しかし、40年を経た今、五郎の「生き方」が示唆(しさ)しているものは、少なくないように思います。

働くこと。

家族のこと。

社会のこと。

自然や環境のこと。

人間と文明のこと。

以前、倉本聰さんにインタビューした時、『北の国から』について、こんなふうに語っていました。

「自分で書いておいて変だけど、いま思えば、あのドラマは我々の生きるべき座標軸を示していましたね」

ドラマ『北の国から』と「黒板五郎」に出会った、その40周年という節目の10月9日。

今日一日だけでも、「五郎記念日」と呼びたくなってくるのです。

メディア文化評論家

1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶大助教授などを経て、2020年まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。著書『脚本力』(幻冬舎)、『少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉』(新潮社)ほか。毎日新聞、日刊ゲンダイ等で放送時評やコラム、週刊新潮で書評の連載中。文化庁「芸術祭賞」審査委員(22年度)、「芸術選奨」選考審査員(18年度~20年度)。

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