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漫才師のルーツは陰陽師? 笑いと呪術の意外な関係

桑畑絹子脚本家・ライター
安倍晴明神社:写真AC

はじめまして。桑畑絹子と申します。
エンタメ好きと歴史好きが高じて、古代から現代までの「芸能人」の歴史を探究しているライターです。
今回は、おなじみの芸能「漫才」の意外な歴史についてお話しします。「大昔、陰陽師が"まんざい”をやっていた」という話です。


しゃべくり漫才の歴史は祝福芸から始まる

【陰陽師】と【漫才師】

イメージも世界観も全く違いますね。

ところが双方の歴史を辿ると、交差する点が見つかります。それは時代区分でいえば中世、鎌倉時代と室町時代のあたり。

この時代、一部の「陰陽師」が「千秋万歳(せんずまんざい)」と呼ばれる芸能を披露していました。この千秋万歳(「萬歳」とも表記)は、現代の「しゃべくり漫才」のルーツとされる芸能です。

千秋万歳は平安時代までに成立したとされ、のちに「千秋」がとれて「万歳」とも呼ばれるようになりました。内容は時代や場所によって変化しますが、基本形は以下のようなものです。

・「太夫と才蔵」の二人一組で、鼓を鳴らし、舞い、新年を言祝(ことほ)ぐ芸能。

・門付け芸であることが基本で、お客の家の玄関先で披露する。

言祝ぐとは、喜びの言葉を述べること、祝うこと。
万歳は「祝福芸」や「予祝芸」に分類されます。「良いことが起きます!」「この家は繫栄します!」と予め祝福しておくから「予祝芸」。先に祝っておくと、その通り幸せなると信じたんですね。
これは、いわば呪術です。といっても人を呪う恐ろしいものではなく、幸せを招くためのおまじないです。
正月の風物詩であり門付け芸であるあたりは、獅子舞に近い面もあります。とにかく、おめでたい芸能です。

ちなみに千秋万歳は、すでに「ボケ役とツッコミ役」が存在していました。才蔵がおかしなことを言って太夫がたしなめる」という形式なのです。
そもそも「芸能」は神様を楽しませるためのもの。神事の一部でしたが、時代とともにエンターテインメントの要素が強くなります。なかでも万歳は、もともとエンタメ感が強めだったようです。

そんな万歳は、江戸時代には「尾張万歳」や「三河万歳」などに受け継がれました。明治・大正と時代が進むにつれ枝葉が分かれ、エンタメ要素が膨らんだ寄席芸「万才」に変化し、昭和初期にしゃべりがメインの「しゃべくり漫才」となったのです。
エンタツ・アチャコのネタ『早慶戦』が、ラジオを通して大ヒットしたことが嚆矢でした。ここから、しゃべくり漫才隆盛の時代が始まります。

(尾張万歳や三河万歳などの伝統的な万歳も、現代に受け継がれています)

ボケとツッコミは”まんざい”の基本:写真AC
ボケとツッコミは”まんざい”の基本:写真AC

かつて、いろんな陰陽師がいた

さて、陰陽師と漫才の関係です。一般的に陰陽師といえば、呪術を操り魔物や怨霊と戦う、クールなイメージが強いと思います。

それがなぜ、おめでたい芸能を? その謎をひもとくために、まずは陰陽師の実像を探ってみましょう。

小説やマンガやアニメ、実写映画やドラマでもおなじみの陰陽師。その代表は安倍晴明でしょう。

晴明をはじめとする陰陽師は、陰陽寮という役所に勤める公務員でした。大河ドラマ『光る君へ』でも描かれているように、主に天皇や貴族のために働いていたのです。
実際は、天体観測や暦づくりなどの仕事もありましたが、イメージ通り占いや呪術を用いた仕事もしていたようです。

実は、これら公務員陰陽師の他にも陰陽師がいました。一言でいえば「民間陰陽師」。町や村に存在し、一般庶民に向けて祈祷やお払いなどを行っていたのです。

いろんな呼び名や種類があり、仏教と陰陽道を併用する「法師陰陽師」なんてものもありました。

彼らは身分も低く「下級の陰陽師」といえる存在でした。「拝み屋」といってしまった方が、わかりやすいかもしれません。

平安時代の邸宅のイメージ(いわき市・吹風殿):写真AC
平安時代の邸宅のイメージ(いわき市・吹風殿):写真AC

そんな中に「声聞師(しょうもんじ)」と呼ばれる者たちがいました。主に、現在の京都や奈良に存在した民間陰陽師です。(「唱門師」「しょもじ」などいくつかの表記と読みがあります)
声聞師の生業は多岐にわたります。祈祷やお祓いばかりでなく、寺社に隷属し掃除や土木工事などにも従事していました。その生業の一つが「芸能」でした。神事や呪術の延長としての芸能です。

鎌倉時代の頃から、彼ら声聞師は千秋万歳を演じ始めます。平安時代までは、様々な芸能者が千秋万歳を行っていたのですが、いつしか声聞師が主な担い手となりました。

下級の民間陰陽師ながら、声聞師の記録は貴族の日記に残っています。なぜ貴族なのでしょう。それは千秋万歳が正月の芸能だからです。
正月には、身分の低い声聞師も貴族の邸宅に参上し、おめでたい芸を披露し新年を言祝いだのです。さらに千秋万歳は禁裏、つまり天皇の住居においても披露されていました。
千秋万歳は高貴な人々にとって欠かせない行事であり、楽しみだったようです。だから声聞師の来訪を日記に書いたのです。事情があって訪れないことがあれば、それもしっかり記録しました。「千秋万歳のない正月なんて物足らない」と、寂しく思ったのかもしれません。

「まんざい」は幸せになるための呪術だった

千秋万歳は神事や呪術の一種といえるものでした。それが「陰陽師が”まんざい”を行った理由」の答えの一つです。ただし万歳は、幸せになるよう祈るポジティブ呪術だったのです。
同時に千秋万歳は楽しいエンタメ要素が強い芸能でした。その楽しい部分が時代とともに膨らみ、変化し、大正から昭和にかけて「しゃべくり漫才」という芸能が完成することになるのです。

現在、神事や呪術の要素はみられない「漫才」ですが、正月番組には欠かせないあたりは、元祖の「千秋万歳」の遺伝子を引き継いでいるかもしれませんね。

年末はテレビの賞レースに熱くなり、正月は演芸番組で笑う。動画サイトにも漫才関連のコンテンツは無数にある。さらに尾張万歳や三河万歳などの伝統も受け継がれている。

なぜだか、とにかく、日本人は“まんざい”が大好きなのです。

いろんなことがある世の中、お笑い業界、芸能界。それでも、これからも日本人は笑顔になるために“まんざい“を求め続けることでしょう。

脚本家・ライター

アニメ制作会社の文芸部に勤務後、ライターとして活動。アニメ脚本・児童書・ノベライズ・WEBマガジンの記事などを執筆/大衆芸能の歴史の深いところを探求中。こちらでは「教科書に載らない、エンタメの歴史の裏側」をお伝えします。