龍馬暗殺のキーパーソン!新時代の幕開け直前に暗殺…幕末を支えた影の英雄とは
坂本龍馬といえば、新しい時代の幕開けを信じて幕末の世を奔走したサムライです。
同じように新時代の幕開に尽力したにもかかわらず、幕末の英雄・坂本龍馬の影に隠れてしまい、あまり注目されていないのが「中岡慎太郎」。
今回は、「坂本龍馬(近江屋)暗殺事件」の現場にいた唯一の人物であり、彼の活躍がなければ明治を迎えることは難しかったとされているその生涯に迫ります。
・中岡慎太郎について
中岡慎太郎は、坂本龍馬と同じ土佐藩(現在の高知県)で生まれた人物です。
坂本龍馬とは幼馴染であり、ライバルのように切磋琢磨してきた仲だといいます。
命を投げ出して国のために尽くす「志士」という活動に生涯を捧げており、本名を隠すために、寺石貫夫・石川誠之助・大山彦太郎・横山勘蔵など多くの変名を名乗ったことで有名です。
また諸説ありますが、土佐が凶作に落ちいた際に柚子(ユズ)の栽培を推奨。現在の高知県の特産品を誕生させたキッカケの人物だとも言われています。
・近江屋暗殺事件とは
1867年12月12日、新時代の幕開けに伴う活動によって、一部の幕府関係者から反感を持たれていた坂本龍馬や中岡慎太郎が京都の宿場で暗殺される事件が発生しました。
この事件は、幾つもの証言が残っているにもかかわらず犯人が特定されていない近代史を代表する未解決事件です。
坂本龍馬は事件直後に即死。中岡慎太郎は一命は取り留めたものの、2日後に息を引き取りました。
・事件の真相を知る唯一の人物
近江屋暗殺事件の犯人は捕まっておらず、現代でもさまざまな説が囁かれています。
つまり、この事件の真相を知るのは当事者であり、唯一の生き残りである「中岡慎太郎」のみ。
中岡慎太郎は事件解決のために、自身が知りうる襲撃の様子などを話しましたが、犯人については見当がつかなかったようです。
しかし、「坂本と俺を襲撃できる男がいるとは驚いた。敵はなかなかの剣豪だぞ。」と語っていたことから剣術の達人であることは間違いないでしょう。
・現代を見つめる中岡慎太郎像
皮肉なことですが、新時代「明治」が幕開けとなったのは、坂本龍馬や中岡慎太郎らの死から約20日後のことでした。
もし、新時代にも坂本龍馬や中岡慎太郎が生きていたとしたら、どのような歴史を紡いでいったのでしょうか?
現代の高知県室戸市には、「中岡慎太郎像」があります。
近くにある室戸岬とともに、ぜひ足を運んでみてくださいね。