「ノーマルとかアブノーマルとかいう言葉が大嫌いでした」。今から約30年前、性のタブーに挑んだ理由
都会の片隅で生きている兄と妹。兄を深く愛していた妹は、兄が記憶喪失になったとき、恋人になりすました。こうして始まった二人の関係は永遠に続くかに思えた。しかし、兄の記憶が戻ったとき……。こんな兄と妹の想いが交差する映画「三月のライオン」。
約30年の時を経て、デジタルリマスター版となって甦った同作について、矢崎仁司監督に訊くインタビューの第二回へ。
あの頃、僕は性器をめぐる冒険の三部作を作るようなことを言っていたらしい
今回は、その物語の成り立ちの話から。デビュー作『風たちの午後』を経て、次に向けて矢崎監督はこんなことを考えていたという。
「『風たちの午後』で主演を務めてくれた綾せつこさんが、『スティルライフオブメモリーズ』(2018年)を観てくれたあとに、僕に言ったんです。『おめでとう、あの時、矢崎さんがやろうとしていたことがやっと完結できたね』と。
僕はすっかり忘れていたんですけど、 当時、僕は『風たちの午後』の女性同士の愛の次に、兄と妹の愛(『三月のライオン』)、そして、もう1本で、性器をめぐる冒険の三部作を作るようなことを綾さんに言っていたらしいです。
あの頃の僕は、いわゆる世界がタブー視するような、やってはいけないことを描いていこうという気持ちがありました。ノーマルとかアブノーマルという言葉が大嫌いでしたね。
近親相姦的な物語や映画はたとえば心中といった悲劇的な結末で終わることが多いんですね。
僕はこのことをちゃんと肯定するものにしたいと思いました」
僕は男性だからとか、女性だからとか、性別で考えたりすることがない
近親相姦といったテーマとなると、たとえば「禁断愛」といった刺激的なワードが並んだような内容の物語になりがちだ。
ただ、「三月のライオン」は、許されぬ愛であることを示しながらも、人が人を愛する心は誰も否定できないことを物語り、ひとつの愛の物語へと帰結させる。
それは「人が人を愛することに理由はない」「どんな関係においても愛は生まれ、存在する」という、矢崎監督作品の根底に常に流れているテーマに結びつく。
「いまもそうですけど、僕は男性だからとか、女性だからとか、女らしさとか、男らしさとかいった、性別で考えたりすることがないです。
セックスは俳優さんの仕事だと考えています。
だから、女性だからとか、男性だからと俳優さんに言ったことはないです。どの役も、その人であってくれればいい。僕は出会ったその俳優を映し撮りたいだけです」
「三月のライオン」にも携わっている長崎俊一、石井聰互(現・岳龍)など、この時代は、日大芸術学部から新たな才能が次々と現れていた。
あくまでイメージに過ぎないが、彼らの作品はどちらかというと若い男性に熱い支持を集めていた印象がある。
ただ、日大芸術学部で彼らと同じ時代を過ごしながら、矢崎監督の作品は少し色合いが違う。どこか取り残された人々の声にならない声に耳を傾けたような作品は異色の存在だったといっていいかもしれない。
「石井監督や長崎監督の作品には常に憧れていましたね。
彼らの新作を観ると自分も『ああいう映画が撮りたい』と思っていましたけど、自分が撮ると彼らのような映画にはならないんですね。
でも、いま準備している作品は、殺し屋が出てきたりするハードボイルドなものですけど。これはきっと、あのころの憧れを実現しようという部分もありますね」
解体される家やビルを舞台にした理由
こうして、タブーやモラルを壊し、世に問う兄妹物語を書き上げた矢崎監督だが、その舞台には取り壊される寸前のアパートと建物の解体現場を選んだ。この意図はどこにあったのだろう?
「解体現場では、家やビルが取り壊されていく。
それは、どこかそこに住んでいた人や働いていた人たちのすごした時間や記憶を壊しているようにも映る。
ハルオは記憶喪失になってしまうわけですけど、ある意味、記憶を失くした彼が、誰かの記憶が沁み込んだ家を壊しているところで働くというのがおもしろいと思った。そこからシナリオが動き出している。
一緒に脚本を書いてくれた小野幸生さんが、実際に解体現場で働いていたのでアイディアを出してくれたんです。
たとえば、口に関する物、茶碗とか鍋などは決して持ち帰ってはいけないとか、ふだんは気を付けてまず釘を踏まないんだけど、なにか気がそれたときに釘を踏んでしまうと、必ず二か所、手とか足に刺さるとか、小野さんの解体現場で働いた経験が映画に生きていますね。
撮影に関しては、東京中の解体業者に連絡をして、土日をまたぐ工事現場を教えてもらい、まずロケハンにいって、気に入った場所が見つかると、前日の金曜日に現場に行って、働いている人たちに重機を置く場所などをお願いして、それで、土日の間に、撮影するみたいなことをひと夏繰り返していました」
このスクラップ&ビルドがそこかしこで行われていた当時の東京の街は、ハルオという人物にも重なるのではないかと思ったという。
「このときの東京は、たとえばリテイクしようと思ったら、同じ場所にいってももう風景が変わっているみたいなスピードでいろいろなものが壊れては建つという時期でした。
その街の過去が失われて新たな現実が浮かび上がる感覚が、ハルオの心境をなぞっているように思いました」
早世の名優、趙方豪との出会い、そして別れ
この記憶喪失のハルオを演じたのは、早世の名優、趙方豪。彼との出会いをこう語る。
「『風たちの午後』がヨコハマ映画祭で自主製作映画賞を頂き、授賞式に出席したときのこと。趙さんも井筒和幸監督の『ガキ帝国』で新人賞を受賞されていて、そこで初めてお会いしました。
その後、大阪の映画祭でも、趙さんも僕も受賞して、そのとき、二度目の顔合わせになったので朝までいっしょに飲んで、『次の僕の映画に、出てください』とお願いしました。
それから6,7年ぐらい空くわけですけど、ようやく脚本が書き終わったときに、真っ先に趙さんの自宅に届けにいきました。
そのときは、留守でドアノブにシナリオを入れた袋をかけてその場を去ったんですけど、少ししたら事務所の方から、趙さんが手術して入院していると連絡があったんです。
無理かなと思ったんですけど、事務所の社長さんが脚本を読んでくださって、『セリフが少ないから、退院後のリハビリにいいんじゃないか』と趙さんに勧めてくれたんです。趙さんも脚本を気に入ってくれて、出演が決まりました」
趙さんの死はほんとうにショックでしばらく何も手が付かなかった
ただ、「三月のライオン」出演から約7年後に、趙はこの世をさることになる。
「趙方豪は、成瀬巳喜男監督の『浮雲』の森雅之さんみたいな俳優だなと僕はずっと思っていて。品のある控えめな 表情が好きでしたね。濡れている俳優ですね。
だから、『三月のライオン』で趙さんと出会い、このあとの僕の作品はすべて彼で考えていたんです。実際『100年前』という映画の資金集めの為に予告編を撮ったり、趙さん家に泊まりに行ったり、深大寺で蕎麦を食べたりして、映画の話をいっぱいしてました。僕がロンドンで『花を摘む少女 虫を殺す少女』を撮影しているときに、再入院の連絡が来て、急いで帰国してワンシーン出演してもらったのが最後になってしまいました。趙さんの死はほんとうにショックでしばらく何も手が付かなかったです。
最後に、病院で趙さんに、『矢崎さんが光と場所を大切にしているのは分かるけど、一番は、人を大事にしろよ』って言われたんです。
それで、『ストロベリーショートケイクス』を撮ることになったとき、『人を大事にする』という趙さんの言葉を忘れないように、趙さんの遺品のネクタイをして、現場に挑みました。今では趙さんのネクタイはボロボロになっちゃったので、でもあの言葉を思い出すためにネクタイをして、常に人を一番に考えて撮ることを心がけています」
アイスことナツコ役の由良宣子との巡り合い
一方で、妹のアイスことナツコで鮮烈な印象を残すのは由良宣子。このキャスティングは悩んだと明かす。
「いろいろとオーディションをしたんですけど、どの人も趙方豪の妹役にしっくりこない。
すごく困ってたときに、趙さんから、今村昌平監督の『女衒』に出演した由良宜子さんを紹介されたんです。
それで、まずはオーディションをしたんですけど、芝居はすごくいい。
それで電話ボックスの隣のガードレールに座ってもらったときに、由良さんのたたずまいが抜群によかった。
『これだ』と思って、由良さんにお願いしました」
ここでみせる彼女の演技は切なさといじらしさが滲みでていて忘れがたい。すばらしい才能の持ち主に思えるが、その後はこの道から去っている。
「ほんとうにすばらしい俳優さんでした。でも、スパッと俳優業は辞められました。
ほんとうに才能あふれる女性で、劇中のウサギと少女の絵もすべて彼女が描いています」
(※第三回に続く)
「三月のライオン」
監督・脚本:矢崎仁司
脚本: 宮崎裕史、小野幸生/撮影監督:石井勲/音響:鈴木昭彦/美術:溝部秀二
/記録:青木綾子
助監督:石井晋一/編集:高野隆一、小笠原義太郎/製作:西村隆
出演:趙方豪、由良宜子、奥村公延、芹明香、内藤剛志、伊藤清美
石井聰互(友情出演)、長崎俊一(友情出演)、山本政志(友情出演)、他
全国順次公開中
上映劇場の詳細は公式サイトにて
場面写真はすべて(C)Film bandets