【神戸市】3月17日の神戸大空襲の遺跡 大輪田橋
1945年3月17日の神戸大空襲から遺る大輪田橋
1945年3月17日に起こった神戸大空襲では、多くの市民が大輪田橋に避難した際に炎にまかれて犠牲になられました。この川には水を求めて多くの犠牲者が出たと記録されています。ところどころに黒ずんで見える箇所は空襲により燃えた跡が残っているとのこと。この橋から当時の被害の大きさが今でも思い起こせます。
この橋の通りに置かれている親柱は空襲により炎に見舞われ、阪神大震災より倒れて折れるという二度の苦難に遭って現在に至っていることから復旧モニュメントとして設置されているもの。
復旧モニュメントに付けられた解説が書かれた銘板がこちら。
現在再構成された親柱の上部には、星座がかたどられています。これは戦災と震災があった時期の星座を照明として作られたもの。犠牲者への鎮魂を込めて作られています。
大輪田橋のたもとには、戦災殉難者慰霊碑が設けられています。第二次大戦から月日は経ちましたが空襲があった同日にこの戦災を思い、改めて哀悼の意を捧げたいと思います。