【ウルトラマンが悪者に?】悩める超人、ウルトラマンとプリキュアが直面した子ども達の楽園とは?
みなさま、こんにちは!
文学博士の二重作昌満です。
特撮を活用した観光「特撮ツーリズム」の博士論文を執筆し、大学より「博士号(文学)」を授与された後、国内の学術学会や国際会議にて日々活動をさせて頂いております。
爽やかな風が吹くようになり、秋を肌身で感じられるようになりました。
皆さまいかがお過ごしでしょうか?
さて、今回のお話のテーマは「遊園地とテーマパーク」です。
突然ですが、皆さまは遊園地やテーマパークと聞くと、どんなイメージや記憶を思い浮かべますか?
ジェットコースターや観覧車といった遊具を設置した娯楽施設であり、特定の場所を拠点化するだけでなく、移動遊園地をはじめその種類は多種多様である遊園地・・・。
これに対し、「映画」等をはじめとする特定のテーマに基づき、遊具や施設を設置しながら非日常的な空間を創出しているのがテーマパークです。
私達日本人の感覚だと「どちらも同じでしょ?」と区別が難しいのですが、欧米圏では両者は異なる施設としてはっきり区別されています。英語で遊園地は「アミューズメントパーク(amusement park)」、テーマパークは「テーマパーク(theme park)」と呼称されます。
両者は一定以上の装置や設備を整えれば、ある程度の成果や収益が期待できる装置産業であるという点は同じですが、細かい点を含めて実はその違いは多種多様。上述したようにテーマパークは、映画をはじめとする特定のテーマを掲げて運営されているのに対し、遊園地は施設をテーマで固定化するのではなく、自由な振り幅で営業されています。
また、アメリカのディズニーランドのように特定の場所を拠点に何十年と運営をするテーマパークに対し、遊園地の中には特定の場所を拠点に運営するのではなく、施設そのものを移動させながら運営していく移動遊園地という施設も存在します(※わかりやすい例を挙げると、ディズニー・ピクサー映画『トイ・ストーリー4』では、移動遊園地を舞台に物語が展開されており、当遊園地にて主人公のウッディはかつて恋仲であった羊飼いの人形、ボー・ピープと再会します。)。
このように様々な娯楽資源をフル活用して、子ども達だけでなく、大人も魅了するのが遊園地とテーマパーク。少し個人的な話ですが、私も子どもの頃から遊園地やテーマパークが大好きで、コロナ前まで東京ディズニーランドやディズニーシーの年間パスポートを13年以上保有し、一時期は毎日通っていたほか、現在もユニバーサル・スタジオ・ジャパンの年間パスポートを購入して、大阪への出張の際は欠かさず訪れています。
今回はそんな遊園地とテーマパークに焦点を当て、我が国で制作されたアニメ・特撮ヒーロー番組において描かれた2つの異なる物語を覗いてみたいと思います。
※本記事は「私、アニメや特撮にくわしくないわ」という方にもご覧頂けますよう、可能な限り概要的にお話をしておりますので、ゆっくり肩の力を抜いて、気軽にお楽しみ頂けたらと思います。
※本記事における原作者「東堂いづみ」の表記ですが、東映アニメーション様による共同ペンネームであります。しかし本記事では当ペンネームに敬意を表し「先生」という呼称で統一をしております。本記事を通じてはじめてアニメ・特撮ヒーロー番組に触れる方もいらっしゃいますので、ご配慮を頂けますと幸いです。
【宇宙に架ける友情の橋】遊園地に迷い込んだ宇宙人と地球の子どもの悲しき友情物語とは?
さてこの章では「遊園地」に焦点を当て、日本を代表する特撮ヒーロー番組である『ウルトラマン(1966)』シリーズにおいて描かれた、とある遊園地の物語をご紹介します。お話の本題に入る前に、少しだけウルトラマンシリーズについてご説明をさせて頂きたく存じます。
ウルトラマンシリーズは、株式会社円谷プロダクション制作の特撮ヒーロー番組『ウルトラマン(1966)』(及び特撮怪獣番組『ウルトラQ(1966)』)を起点とする特撮シリーズです。
1966年に『ウルトラマン』が放送され、M78星雲「光の国」からやって来た身長40mの銀色の宇宙人が巨大な怪獣と戦い、最後は必殺光線(スペシウム光線)で怪獣を退治するという物語はたちまち子ども達の心を掴み、最高視聴率42.8%、平均視聴率36.8%を記録する大人気番組となりました。
大衆的な人気を博した『ウルトラマン(1966)』の放映終了後も、その次回作である『ウルトラセブン(1967)』、『ウルトラマンタロウ(1973)』、『ウルトラマンティガ(1996)』、『ウルトラマンコスモス(2004)』と世代を跨ぎながらシリーズが続いていき、現在は『ウルトラマンブレーザー(2023)』が好評放送中です。
そんな約60年にも渡る長い歴史を持つウルトラマンシリーズの中から、今回ご紹介するのはウルトラマンシリーズ第7作『ウルトラマンレオ(1974)』。1974年から約1年にかけて放送された本作は「ー生きる厳しさと哀しさを鮮烈に謳うー」というキャッチコピーのもとで制作されました。
「もしかして・・・けっこう重いお話?」と言われると、確かに重く厳しい展開が多かったのが本作の特徴でした。『ウルトラマンレオ』の主人公であるウルトラマンレオ(おおとりゲン)は、獅子座L77星と呼ばれる惑星の出身であり、故郷を凶悪なマグマ星人によって滅ぼされた悲劇のヒーローとして描かれました。つまり、これまでテレビで登場してきたウルトラマン達がM78星雲「光の国」出身であったのに対し、レオは違う星の出身で孤独のファイターだったのです。さらに、歴代のウルトラマン達との決定的な違いは故郷の違いに留まらず、これまでのウルトラマン達が「地球を守る」という使命的な役職で地球に滞在していたのに対し、レオは「第二の故郷として平和に暮らす」という目的で地球を訪れていたため、戦闘に馴れておらず毎週怪獣や宇宙人に敗北し、厳しい特訓を経て勝利するという異色の展開だったのです。
そしてそのレオ(ゲン)を鍛え上げたのが、かつて地球を守ったウルトラマンの一人であるウルトラセブン(モロボシ・ダン)でした。ダンは宇宙パトロール隊MACの隊長であり、自身がとある事件でウルトラセブンへの変身ができなくなってしまったため、ウルトラマンレオであるゲンを隊員として迎え入れ、自分に代わって地球を守るよう説得します。毎週怪獣に敗北するレオ(ゲン)をダンは厳しくも温かい眼差しで鍛え上げ、レオは一人前の戦士として成長していきます(いわば「ウルトラマン版スポ根モノ」とお考え頂ければ伝わりやすいかもしれません。)
そんなウルトラマンレオ達と敵対するのが、悪役である怪獣や宇宙人達。『ウルトラマンレオ』に登場する宇宙人達も個性的な面々が登場しますが、彼らの特徴を包括するとひとりひとりが「愉快犯的」だったことが挙げられます。これまでのウルトラマンシリーズに登場する宇宙人達は地球侵略が目的だったり、資源の搾取が目的だったりと動機が明確であったのに対し、本作の宇宙人達は何を考えているのか不透明な連中が多く、自分と出会した人を無差別に殺していく凶悪な者達ばかりだったのです。ある者は夜道を歩いている父子を襲い、父親を真っ二つに切断して殺害、ある者は女性ばかりを付け狙い巨大化して踏み潰す凶行に出たほか、MACの隊員でさえ凶悪な宇宙人達の猛攻で何人も命を落としていきました。
しかもなぜ彼らがなぜこのような残虐な行為に出たのか、明らかになっていません。ただ人を狙っては殺害に及ぶという愉快犯的な連中を相手にウルトラマンレオは戦うわけですが、レオは未熟なウルトラマンであるため何度も敗北します。凶悪な宇宙人ばかりやって来る上、頼みの綱であるウルトラマンでさえ100%当てにできない・・・そんな状況ですから、地球を守る人達の集団であるMACが宇宙人に対して非常に疑心暗鬼になるのも無理はありません。
しかしある日、日本のとある遊園地に宇宙人がやってきました。名前はギロ。ギロはなぜか遊園地(二子玉川園)に潜伏し、現地で行なわれた怪獣ショーを通じて地球人の少年(トオル)と出会います。トオルにソフトクリームを貰って喜ぶギロに対して、親しみを感じたトオル。しかし、トオルの保護者として同伴していたゲンはギロが着ぐるみの怪獣ではなく、本物の宇宙人であることを見抜きます。ギロはトオルを連れて逃げますが、必死に追いかけるゲンに怒ったギロは、トオルを懐に保護し巨大化して暴れます。ゲンはウルトラマンレオに変身しますが、ギロはトオルごと逃走。なんの作戦も無しに変身したゲンをダン(ウルトラセブン)は叱責します。
「ゲン。怪獣の手でトオルが宇宙へ連れ出されたらどうなるか、お前そこまで考えたか?」(ダン)
その夜、ギロとトオルはMACにより発見されます。場所は同じ遊園地でした。遊園地の回転木馬で二人で楽しそうに遊ぶトオルとギロ。ゲンはトオルを説得し、一旦トオルをギロから離します。その期に乗じて回転木馬を円形に取り囲んだMACはギロに一斉に発砲します。
「やめろー撃つのはやめろー!やめてくれー!あぁーーーーーー!」(トオル)
動揺したギロは逃走し、トオルは無事に保護されます。
「殺しちゃダメだ。ギロを殺しちゃダメだ。ボクはギロと仲良く出来るんだよ。ギロはただ、アイスクリームやお菓子が好きなだけなんだ。」(トオル)
ゲンはダンに対し「自分が変身しなければギロはなにもしないため、特別な怪獣ではないか」と訴えますが、しかしダンは「この地球はお菓子で出来た夢の国ではない」とゲンの提案を却下し、ゲンにギロを倒すための特訓を命じます。その頃、ギロは病院からトオルを連れ出してしまいます。
「ギロは平和な怪獣です。地球の人間が攻撃しなければ、決して暴れません。いつまでも人間と仲良く出来るのです。」(トオル)
その夜、ギロはまたしても遊園地に現れますが、MACの攻撃を受けて巨大化して暴れます。
「やめろぉー!ちくしょー!ギロはなにをしたっていうんだーーー!!!!」(トオル)
ダンに命じられた特訓を完遂させたゲンは、ウルトラマンレオに変身します。
「レオーーーー!やめてくれぇーーーー!」(トオル)
レオは持ち前の格闘術を駆使してギロに応戦し、トオルをギロから引き離します。そしてギロの弱点である頭部の2本の角をたたき折りました。これが致命傷となりギロは絶命。かけよるトオルが見たのは、等身大の大きさに戻ったギロの亡骸でした。泡まみれの物言わぬ死体となったギロに、トオルは泣き崩れます。そんなトオルの周りをトオルの家族(両親は死去)やMACの隊員達が囲みます。
「トオル。泣くのはよせ。MACの隊員の仕事の意味はわかってるはずじゃないか!」(大村:トオルの通うスポーツセンターの責任者)
「わからないよ!隊長は・・・どんな怪獣だって全部敵だと思ってるじゃないか!ギロは地球ではなにも悪いことはしなかった。攻撃したのはいつもMACの方が先だったじゃないか!僕はもうMACなんかいらない!レオもいらないよ!」(トオル)
「トオル。君は確かに、(ギロ)星獣と仲良く出来た。そして、広い宇宙に平和で易しい怪獣のいることを知った。それだけでも大発見じゃないか。我々大人もね、君から大事なことを教わったと思ってるんだよ。」(大村)
「だけど・・・だけどギロは死んじゃったじゃないか。やっぱり僕は、ギロと一緒に宇宙に行けば良かったんだ。」(トオル)
悲しむトオルのもとに、ダン(ウルトラセブン)は歩み寄ります。
「トオル君。私からのお願いだ。ギロを生き返らせたらMACを許してくれるか?ただし、1つだけ条件がある。たとえ生き返っても、怪獣を地球に置くことは許されない。ギロ星獣は宇宙へ帰って貰うが・・・いいか?」(ダン)
ゲンはウルトラマンレオに変身し、特殊能力を使ってギロを生き返らせます。ギロはトオルと握手を交わし、レオの手の上に乗ります。「もう一度ボクと遊ぼう」とギロに呼びかけるトオルをダンは制止します。
「私は・・・君とギロ星獣の友情に打たれた。君は怪獣を愛し、怪獣もまた人間を愛することを覚えた。トオル君・・・ギロに、この美しい気持ちを持って宇宙へ帰ってもらおうじゃないか。」
レオはギロと共に大空へと飛び立ちます。涙を流しながらさよならを言うトオル。
「ギローーーーーーーー!さよならーーーーーー!さよならーーーーーーーー!」(トオル)
ギロはウルトラマンレオによって宇宙へと運ばれ、その後地球に帰ってくることはありませんでした。ギロは、はたして本当に純粋かつ悪意のない怪獣だったのか、ただ地球に遊びに来ていただけなのか、その真意は不明です。今回お話ししたギロの事件を概観すると、改めて子どもの世界と大人の事情を両立させることの難しさを感じますが、この事件をシビアかつ包括的に見るならば、私はダン隊長の判断を支持できます。それは、彼がウルトラセブンであるからというわけではありません。ギロが行なった行為は明らかに児童の誘拐であり、例えギロが宇宙からきた故に地球のルールを知らないといっても、社会通念上の視点で見れば到底容認できる行為ではありません。つまり「知らなかった」では済まされないのです。しかしトオルの目線では、地球を守るウルトラマンやMACが、ギロと共に過ごす楽しい時間を阻害する悪者に見えてしまった珍しい事例でした。
そんなダンもトオルにギロを生き返らせる妥協案を提示しました。自身も宇宙人であるダンにとって、怪獣という異物は地球におけないという主張は矛盾が生じます。しかし、これは大人にとって未来ある子どもの気持ちを案じた、出来うる限りの最大限の配慮であることは想像に難くないと思います。
その後、皮肉にもMACは宇宙人が使役する宇宙怪獣(円盤生物)の襲撃を受けて全滅します。その日はとある女性隊員の誕生日であり、基地内は爆音と共に人を溶かす液体に溢れ、隊員達の断末魔が響き渡る地獄絵図でした。ダンはMACの最後を見届けると基地内に残り、行方不明となってしまいました。
「お前はレオだ!不滅の命を持った、ウルトラマンレオだ!お前の命は、お前一人のものでないことを忘れるな!行けぇーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!」(ダン)
MACを失い、指導者(ダン)を失い、ゲンは他にもたくさんの大切な人達を失います。その中には、トオルの妹(カオル)も含まれていました。しかし、ゲン(ウルトラマンレオ)は、他のウルトラマン達の支援を受けながら最後の最後まで戦い、MACを全滅させた敵の総大将(ブラック指令)を滅ぼします。地球こそが本当の故郷となったゲンは、ウルトラマンレオの変身能力を封印し、兄弟同然だったトオルに別れを告げ、一人の人間として旅に出たのでした。
【カモン♪ようこそ♪お子さま♪】大人はバイバイ・・・お子さまランチの夢の国「ドリーミア」を舞台に、プリキュア達が挑んだ支配人の闇とは?
さて、前章ではウルトラマンシリーズにおける遊園地のお話をご紹介しました。ここからは、プリキュアシリーズにおいて描かれたテーマパークの物語についてご紹介したいと思います。
お話に入る前に・・・少しだけプリキュアシリーズのことをご紹介させてください。
プリキュアシリーズは、東堂いづみ先生の原作で2004年に放送が開始された東映アニメーション制作の『ふたりはプリキュア』を起点とするアニメシリーズです。
『ふたりはプリキュア』は、ベローネ学院(中学校)のラクロス部のキャプテンでスポーツ万能な女の子、美墨なぎさ(キュアブラック)と、成績トップで科学部部長の優等生、「うんちく女王」の雪城ほのか(キュアホワイト)がタッグを組み、伝説の戦士・プリキュアとなってドツクゾーン(敵組織)と戦う物語。
「女の子だって暴れたい!」というキャッチコピーのもとで誕生した『ふたりはプリキュア』は大ヒットを記録し、『ふたりはプリキュア Max Heart (2005)』や『ふたりはプリキュア Splash Star(2006)』と派生作品が次々に放送され、以降も『Yes!プリキュア5 (2007)』、『ドキドキ!プリキュア(2013)』、『スター☆トゥインクルプリキュア(2019)』と世代を跨ぎながらシリーズ化されるようになりました。
また今年2023年にプリキュアはシリーズ誕生20周年を迎え、『ひろがるスカイ! プリキュア(2023) 』が現在放送中であると共に、9月15日よりシリーズ20周年記念映画である『プリキュアオールスターズF』(外部リンク)も公開中である等、シリーズの勢いはまだまだ留まるところを知りません。
今回ご紹介するのは、プリキュアシリーズ第19作『デリシャスパーティプリキュア(2022)』。世界中の料理を独り占めにしようと目論む怪盗ブンドル団から、4人のプリキュア達が美味しいお料理を守る物語。みんなでご飯を食べる喜びや温もり、分け合うおいしさを皆で共有する素晴らしさを描いた作品でした。
『デリシャスパーティプリキュア(2022)』に登場するプリキュア達はご飯をモチーフに、米食モチーフのキュアプレシャス、パン食モチーフのキュアスパイシー、麺食モチーフのキュアヤムヤム、デザートモチーフのキュアフィナーレの4人で構成されています。
またプレシャス(米食)、スパイシー(パン食)、ヤムヤム(麺食)はそれぞれエナジー妖精と呼ばれるパートナーの妖精達を連れており、プリキュアと妖精との絆や友情が1年間の放送を通じて描かれていたのも本作の特徴でした。
そんな子どもから大人まで、幅広い世代の心を掴んだ『デリシャスパーティプリキュア(2022)』ですが、本作はテレビ番組の放送に留まらず、映画も公開されました。タイトルは『映画 デリシャスパーティプリキュア 夢みるお子さまランチ!』。本作は「お子様ランチ」のテーマパークを舞台に、プリキュア達が大活躍するお話。どんなお話なのか、早速覗いてみましょう。
ある日、ゆい達(キュアプレシャス)の暮らす「おいしーなタウン」に突然、おこさまランチをモチーフにしたテーマパーク「ドリーミア」が開園します。当テーマパークを創設した発明王「ケットシー」はおいしーなタウンの子ども達を無料招待し(大人は対象外)、ゆい達とエナジー妖精達はドリーミアで遊ぶことにしました。しかし「ドリーミア」における異常を感知したマリちゃん(プリキュアを支援する大人のクックファイター)は当パークに潜入するも、謎の光を浴びてぬいぐるみに変えられてしまいます。
一方、ゆい達とはぐれ「ドリーミア」の地下に迷い込んだエナジー妖精達は、当テーマパークの創設者であり発明王「ケットシー」と出会います。ネコの着ぐるみを纏った姿のケットシーからお子様ランチをご馳走され、心を通わせていくエナジー妖精達ですが・・・ケットシーだけ一緒にお子様ランチを食べないことに気が付きます。
「ケットシーさんはお子さまランチ食べないパム?」(パムパム)
「僕はいいよ。そんな資格ないから・・・」(ケットシー)
一方、ぬいぐるみにされたマリちゃんを探し出すため後を追ってきたゆい達は、エナジー妖精達がいるケットシーの部屋にたどり着きます。
「友達のマリっぺがぬいぐるみにされて連れて行かれちゃったの。」(らん)
「探すのを手伝って欲しいんです。」(ここね)
「もしかしてその人・・・大人ぁ?」(ケットシー)
「そうだが」(あまね)
「そんなことより、上の楽しいテーマパークに戻してあげるから、もっとドリーミアで遊んでよ」(ケットシー)
「マリちゃんをほっといて遊ぶなんてできないよ」(ゆい)
「あーもう、うるさいなー!助けるわけないだろ?僕が命令したんだから!大人は皆見つけたら、ぬいぐるみにしろって・・・そろそろ計画をはじめなきゃ。安心して。僕はいつだって子ども達の味方だよ。君達には僕みたいになって欲しくないだけさ。だから、純粋な夢が邪魔されない世界を作ってあげる。そのためには・・・大人が邪魔なんだ。」(ケットシー)
ケットシーの衝撃の告白の後、ドリーミアから我が子が帰ってこないことを心配した親達がドリーミアの入口に殺到します。すると、マリちゃんをぬいぐるみにした光線が親達に一斉に降り注ぎ、親達はぬいぐるみにされてしまいました。高笑いするケットシー、その姿はまるで狂気に満ちたマッドサイエンティストのようでした。
「世界を変えるのさ!悪戯に人の心を踏みにじる汚い大人を浄化して、子どもの時の純粋な想いのまま!生きていける世界を作るんだ!」(ケットシー)
「・・・なにがあったの?」というゆいの言葉に動揺するケットシー。
「あたしたち、会ったことあるよね・・・覚えてるよ。そのネコ。あたしが書いたネコだもん。」(ゆい)
実はゆいは幼い頃、降雨の中で寂しそうに歩く少年(ケットシー)を保護し、自宅の料理亭(なごみ亭)でお子様ランチをご馳走し、ゆいがお子様ランチの旗に描いたのがそのネコでした。
「あの時の、君なのか・・・?・・・いえるわけないだろ・・・丁度良い!君にも僕が作り出す世界を見せてあげる!!・・・もう戻れないんだぁぁぁぁ!!!!」(ケットシー)
ケットシーは暴走し、ドリーミアで遊んでいる子ども達をバルーン状のフロートの中で安全に隔離します。逃走するケットシーの後を追ってゆい達が訪れたのは、巨大なエネルギー施設。当施設の中心に輝いていた鉱石(デリシャストーン)こそ、今回の事件の発端であり、高度な技術で創設された巨大テーマパークや、大人をぬいぐるみに変える等の超常現象はこの鉱石が原因でした。ゆいは鉱石を通じて、ケットシーの悲しい過去を見ます。
ケットシーは少年時代、その天才的な頭脳に目をつけられ、大人の科学者達に保護され家族同様に育てられます。大人達との共同研究を通じて、「笑顔に満ちた世界をつくる」のがケットシーの目標であり、そのきっかけとなったのは、幼いゆいと一緒に食べたお子様ランチの思い出でした。しかし大人達はケットシーをだましており、ケットシーとの共同研究を世界支配のために悪用することを明らかにします。「だましたんですね!」怒るケットシーを大人達は見下し、「純粋すぎる!」「いつまで子どもみたいなことをいってるんだね?」と嘲笑します。
「子どもみたいで・・・なにが悪い?純粋な夢を持っていて何が悪い!!!!!」(ケットシー)
ケットシーの怒りに共鳴するかのように鉱石が光りだし、その光は大人達を一瞬でぬいぐるみに変えてしまったのでした・・・。ケットシーの過去を知ったゆい達を前に、巨大なロボットへと変形したドリーミアが現れます。操縦していたのはケットシーであり、パーク内で遊ぶ子ども達をバルーンフロートへ安全に隔離したのは、戦闘を前提としてのことでした。
「誰にも傷つけさせたりしない・・・子どもの時も、大きくなってからも!大人は・・・世界は・・・僕の夢を・・・想いを・・・踏みにじり続けた・・・おかしいのはあいつらのはずなのに!」(ケットシー)
ケットシーは目を真っ赤に染め上げ、おいしーなタウンへの侵攻を開始するドリーミアを前に、ゆい以外のプリキュア達が奮闘します。しかし、ゆいとそのパートナーであるコメコメはプリキュアに変身することをためらいます。ケットシーの過去、そして彼が覗かせた悲しき表情を把握していたからです。
「・・・本当に世界はケットシーの言うとおりなのかな?大切な友達・・・優しいお母さんやお父さん・・・大好きなおばあちゃん・・・あたしはそんな皆と毎日一緒で笑顔いっぱいだけど・・・あの人はもしかしたら、子どもの頃からそうじゃなかったのかも・・・。今が幸せでも、いつかどうしようもないことが起きて、心が粉々になっちゃうことって、誰にだって起きるのかもしれない・・・。あの時のお子さまランチじゃ、ご飯は笑顔じゃ、どうにもならないのかな・・・。」
「ケットシーさん。お子さまランチをご馳走してくれたけど自分は食べなかったコメ。だけどたぶん・・・ケットシーさんは今でもお子さまランチが大好きな気がするコメ。そうじゃなかったら・・・あのドリーミアをあんなにおいしいお子さまランチを作れるはずないコメ・・・(中略)子ども達が笑顔でも・・・ケットシーさんはずっと悲しかったコメ・・・」(コメコメ)
暴走する巨大ロボットと化したドリーミア。その姿はどこか悲しげで、哀愁さえ感じます。ケットシーを救いたいという互いの気持ちを確認したゆいはプリキュアに変身し、仲間のプリキュア達の援護を受けながらケットシーの説得にかかります。しかし理性を失ったケットシーにゆい達の想いは届かない上、あろうことか大人達をぬいぐるみにした光線をプリキュア達に発射します。光線からプリキュア達を守ったのはエナジー妖精達でした。
エナジー妖精達は光線の力を利用して人型のプリキュアへと華麗な変身を遂げた上、プリキュア達もそれに呼応するかのように新たな姿「お子さまランチドレス」へとパワーアップを遂げます。プリキュア達は強大な力と連携でドリーミアを圧倒し、優しい光でケットシーを浄化することに成功したキュアプレシャスとコメコメは、ケットシーのもとに舞い降ります。
「僕はひどいことをしたんだ・・・僕をだました奴らと同じ・・・汚い大人になったんだ。僕はもうあのときの子どもじゃない。心から笑顔になったりしちゃいけないんだ・・・それがわかってるから・・・わかってるから・・・お子さまランチだって食べるのをやめたんだ・・・」(ケットシー)
「やめなくてもいいコメ。お子さまランチは誰でも食べていいコメ。ちっちゃいとかおっきいとか・・・ほんとは関係なかったコメ。コメコメもケットシーさんも・・・皆で気持ちを分け合って一緒に食べるコメ」(コメコメ)
「あなたはひとりじゃない。だから笑顔だけじゃなくって、悲しいことも、涙も・・・あたしたちに分けてよ。」(キュアプレシャス/ゆい)
3人の前に光と共に現れたのは、キラキラ輝くお子さまランチ。3人で分け合い、涙ぐみながらおいしさを共有します。
「ごちそうさまでした・・・」(ケットシー、コメコメ、ゆい)
事件は無事に解決し、ぬいぐるみにされた人々は皆元の姿に戻ります。罪を償いに行くというケットシーの後ろ姿を追いかけたコメコメは、ケットシーに抱きつきます。コメコメは(お子さまランチをご馳走してもらった際に)ヒーローになりたいという自分の夢を応援してくれたことに感謝の言葉を述べ、いつか絶対ヒーローになることをケットシーに宣言します。ケットシーは(贖罪を)全部終えたらもう一度夢を追うことをコメコメ達に告げ、コメコメをはじめプリキュア達のような誰かを本当に笑顔に出来るヒーローになりたいといい、消滅するドリーミアと共に姿を消しました。コメコメは、ヒーローになりたいという夢を実は叶えていたのです。
事件解決からしばらく・・・ゆい宛にとある手紙が届き、その中に入っていたのは、ネコの着ぐるみを脱ぎ、シェフとなったケットシー自ら出店したレストラン『DREAMIA(ドリーミア)』の写真だったのでした・・・。
『デリシャスパーティプリキュア(2022)』は、みんなでご飯を食べる喜びや温もり、分け合うおいしさを皆で共有する素晴らしさを描いた「食育」をテーマにした作品です。よって今回の映画に登場する「お子さまランチ」のテーマパークも非常にデパプリ(本作の略称)らしい題目である上、デパプリという作品の命題である「ご飯は笑顔」というメッセージも映画の中で微笑ましい構図で描かれていました。
本作が公開された2022年は、新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受け、「みんなで一緒にご飯を食べる」ことに対する社会の目がまだ厳しい状況の中でした。そんな状況下において放送された『デリシャスパーティプリキュア(2022)』は、お子さまランチという一種の大人と子どもの境界線である食べ物を用いて、子どもの世界と大人の事情の両立の難しさや矛盾を描く傍ら、年齢に縛られない「共有することの大切さ」を観る人々の心に残していったのです。
いかがでしたか?今回は「遊園地とテーマパーク」を中心に、ウルトラマンシリーズとプリキュアシリーズで描かれた2つの物語をご紹介しました。両作品において共通して描かれたのは、大人の事情と子どもの世界の両立の難しさであり、純粋無垢な子どもの世界を破壊する大人達を描く傍ら、大人になるということはどういうことなのか?問題提起した作品であることも挙げられます。遊園地やテーマパークを幼児性の象徴として描いた映画やテレビ番組は数多存在しますが、上記2つの物語は単に子ども達の世界を否定するのではなく、大人も妥協したり、子ども時代の想いを共有したりする姿を描くことで、物語の厚みが増していることに魅力が感じられると思います。
最後までご覧頂きまして、誠にありがとうございました。
・水谷隆介、『デリシャスパーティプリキュア オフィシャルコンプリートブック』、株式会社Gakken
・山口康夫、『「映画 デリシャスパーティプリキュア 夢みるお子さまランチ!」フィルムコミック』、株式会社インプレス