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【京都市】左京区 『聖護院節分会』と鬼さんと福豆

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

聖護院節分会

聖護院(しょうごいん)・聖護院門跡は1090年(寛治4年)に白河上皇(第72代・白河天皇)が熊野三山を参詣する熊野御幸の際、先達を務めた増誉大僧正(ぞうよだいそうじょう)が寺院を賜り、聖体護持の二字から聖護院としたのが起源と言われています。(HPより)

聖護院節分会は、2022年は昨年につづき豆まきが中止になってしまったようですが、我が家では毎年、カード型お守りと一緒になった福豆授与に詣ります。

鬼さんがお出迎えしてくださるので、姪や甥と一緒にいくとテンションが上がってるのがわかります。一緒に写真撮影も喜んでしてくださいます。

宇賀弁財天さま、山王権現さま、稲荷大明神さまの祠にまず手を合わさせてもらいます。

小さな猫ちゃんがチラホラ、見守ってくださっています♪ ほっこりする瞬間です♪

聖護院節分会(せつぶんえ)では厄除け・招福を祈願します。節分会では2日に終日柱源護摩(はしらもとごま)、3日に追儺式(ついなしき)山伏福豆まき・厄除開運採燈大護摩供(さいとうおおごまく)・古札焼きが行われます。なお節分会では本尊・不動明王像(重要文化財)が公開され、本尊の前まで近づくことができます。(要確認)
追儺式山伏福豆まきでは法力によって改心した赤鬼・青鬼・黄鬼も年男・福女などと一緒に豆まきをします。厄除開運採燈大護摩供では山伏による問答・法弓の儀(ほうきゅうのぎ)・法剣の儀(ほうけんのぎ)・法斧の儀(ほうふのぎ)などが行われ、護摩壇で護摩木が焚き上げられます。
追儺は平安時代初期から大晦日に宮中で行われている鬼払いの儀式です。追儺は鬼やらい・鬼遣らい・儺(な)やらい・鬼儺・大儺(たいだ)・駆儺(くだ)などとも言われています。追儺では黄金四つ目の面を付け、右手に矛、左手に楯を持った方相氏(ほうそうし)などが大内裏の中を「鬼やらう」と大声を掛けながら鬼を追い払って回りました。ただその後方相氏は追い払う側から追い払われる側に変わったそうです。なお追儺は文武天皇(697年~707年) の時代に中国から伝わったとも言われています。節分(せつぶん・せちぶん)は元々は季節が変わる節目で、立春・立夏・立秋・立冬の前日を差していたが、江戸時代以降は立春の前日だけを指す場合が多くなりました。節分には邪気悪霊(鬼)が外から入ってくるのを防ぐ為、「鬼は外・福は内」と言いながら福豆を撒き、年の数だけ福豆を食べて厄除けをします。豆撒きは平安時代中期の第59代・宇多天皇(867年~931年)の時代に鞍馬山の鬼が都を荒らしたことから毘沙門天のお告げにより、鬼の穴を祈祷で封じ、鬼の目を炒り豆で打ちつぶしたということに由来しているそうです。なお豆などの穀物には魔除けの呪力や生命力を持つという穀霊が宿っているとも言われています。ちなみに豆は鬼の目を表す「魔目(まめ)」から鬼を滅する「魔滅」を意味するようになったそうです。
鬼は目に見えない邪気を表す陰(おん)に由来するとも、姿が見えずに怖いものを表す隠(おぬ)に由来するとも言われています。その為人智を超え、人に危害を与える災害・疾病・飢饉などは鬼の仕業と考えられました。(HPより)

この節分の2日間のみ、普段は通り抜けできない砂の庭を開放し、『積善院』への通り抜けが可能になります。

2月2日終日に柱源護摩祈願会、2月3日13:00から追儺式、15:00から厄除開運採燈大護摩供、18:00頃から御札焼きが行われます。

「高津商会」の撮影準備でお伺いすることもある「聖護院」さん。とっても素敵なところで、ゆっくりお参りすることができます。

コロナ禍ですので、最新情報を確認して、安全を確かめた上でどうぞお出かけください。

本山修験宗 聖護院門跡
住所:京都府京都市左京区聖護院中町15
電話:075-771-1880

(*写真は2021年節分会のもの)

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。ジャーナリスト、写真映像家、イベントプロデューサー、特殊ツアーガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深める毎日。

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