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「不登校全員を学校復帰させたい」と目標を掲げた団体に批判続出の理由

石井しこう不登校ジャーナリスト
校舎(イメージ画像)(写真:アフロ)

 今年2月~3月にかけて、不登校に関わる関係者のなかで新たに発足した団体の取り組みが物議をかもしました。

 事の発端は「クラスジャパン教育機構」のHPに掲げられた「日本全国の不登校者全員の教育に取り組み、通学していた学校に戻す」という団体ミッションの一文です。

 このミッションに対して、クラスジャパンは「期待の声も多かったが一部批判の声があった」と話していますが、クラスジャパンの理事の一人でもある今井紀明さんも自身のツイッターで「ミッションは僕にとってとうてい受け入れられるものではない」と発言。私が編集長を務める『不登校新聞』にも「こんな時代遅れの団体がどうしてできたのか取材してほしい」という趣旨の声が寄せられました。

 こうした反応を受け、クラスジャパンは3月7日に「クラスジャパンのミッションに関しての真意」という文章を公開しました。「真意」によるとミッションが「誤解を招いた」と謝罪しており、「通学していた学校に戻す」などの文言はHPから削除されています。

 

 しかし事態は沈静化するどころか精神科医の斎藤環さんも「なにひとつ賛同できない」と痛烈に批判する事態にもなっています。

 ただし今回はクラスジャパンの活動の是非について論じたいとは思っていません。私が注目したいのは「学校復帰にこだわる団体」は、いまや批判を集める時代になってきたことです。

学校復帰は悪いこと?

 ツイッターの批判やクラスジャパンのHPなどを見た人は「学校へ行けない人を学校へ行けるようにすることはそんなに悪いことなの?」と疑問を感じるかもしれません。

 学校復帰が「時代遅れ」とまで批判される理由は、一般的には知られていないことです。

 「時代遅れ」と批判された根拠の一つが「新学習指導要領(2017年3月公示)」です。新学習指導要領では、不登校対応について下記のように指摘しています。

 不登校児童については、個々の状況に応じた必要な支援を行うことが必要であり、登校という結果のみを目標にするのではなく、児童や保護者の意思を十分に尊重しつつ、児童が自らの進路を主体的に捉えて、社会的に自立することを目指す必要がある(小学校学習指導要領解説 総則編)

 学校へ行きたくない人が学校へ復帰すること自体は否定していません。しかし、本人の意思を無視して周囲が学校復帰のみを求めるのは、ハッキリと否定しています。学校へ行く、行かないに捉われずに一人ひとりの進路を考えていくのが不登校対応の「公的な新基準」だと言えるでしょう。

 この「新基準」は文科省が独自に定めたものではありません。「教育機会確保法」(2016年成立)を根拠としています。

 教育機会確保法は可決にあたり「児童生徒の意思を十分に尊重して支援が行われるよう配慮すること」「不登校というだけで問題行動であると受け取られないよう配慮すること」などの文言も附帯決議で盛り込みました。

新基準は悲劇的な歴史を背景に

 しかし「学校へ行かなかったらどこへ行くの?」という点は疑問が残るでしょう。不登校の子が通う場として教育支援センター(適応指導教室)や民間のフリースクールなどもありますが、全国の不登校の子が通えるほど整備されているわけではありません。

 不登校後の選択肢が未整備な状態にもかかわらず「学校復帰に捉われないで」という「新基準」ができたのは、ムリな登校圧力によって多くの人が傷ついてきた歴史があるからです。

 極端な例ではありますが、学校復帰をめぐる事件として「不動塾事件」(1985年~87年)がありました。

 ある母親が息子(当時中学2年生)の「家庭内暴力や不登校の矯正」を目的に不動塾へ息子を預けました(85年12月)。少年は不動塾で集団生活を送り「ふたたび家庭内暴力や不登校になった場合は制裁する」という条件で退塾しています(86年3月)。しかし教員の体罰をきっかけに息子は不登校になりました(86年5月ごろ)。「制裁」を恐れた息子は一度、逃亡しましたが、母親と不動塾に所在を突き止められ「不登校になった罰」として塾長らに執拗な暴行を加えられ死亡しています(87年6月)。

 不登校・ひきこもりの矯正施設で死亡者が出た事件は、その後も断続的に起きています。風の子学園事件(91年)、アイ・メンタルスクール事件(2006年)などがそうです。また、不動塾のように「学校復帰」を約束して退所・退院してきたという話は、2010年代に入った最近でも、私の友人が経験していました。 

 私の友人は小学校4年生から13カ月間、隔離病棟に入院させられていました。ある日、数名の大人によって強制的にワゴン車で病院へ連れて行かれました。病院では「お母さんと揉めている」「処方された薬を飲んでいない」「ひきこもっている」という3点の理由から「入院させる」と伝えられました。また、病院からは退院条件として全寮制の学校に通うこと、つまり「学校復帰」を提案されました。友人は全寮制の学校を固辞したため入院は長引き、最後は特別支援学級へ「学校復帰」することで退院が認められました。入院中は精神薬を処方されたことはなかったそうです。

 友人は医療に対する不信感や恐怖感が「いまも消えない」と話しています。このように現在もなお「学校復帰」という名目で暴力的な「支援」が起きていると言えるでしょう。

 これらの歴史や現状を踏まえると、不登校後の選択肢は未整備ではあるものの、とり急ぎ「本人の意思を無視した学校復帰を求めることはやめましょう」と決まっていったのです。

解決策として選択肢の整備を

 文科省も「新基準」を広めようと、有識者会議の報告書、全小中学校への通知(ともに2016年)、「新学習指導要領」(2017年)と3度に渡り周知を図りました。新学習指導要領の完全実施は数年先だということもあり、まだ周知は徹底されていません(小学校は2020年、中学校は2021年)。

 まずは「新基準」が広まることが大事なのですが、周知徹底されたあとで必要なことも付記しておきます。

 やはり根本的な問題は学校以外の「選択肢」が整備されていないことです。子どもにとって真に選択肢になるものがなければ、周囲も本人も「学校復帰」にこだわらざるをえず、悲劇はくり返されてしまいます。

 不登校に関わる市民のあいだでは、多様な教育の学校や居場所(フリースクールやオルタナティブスクール)、家庭教育(ホームエデュケーション)などが、その対抗軸として実践と議論がされてきました。海外ではオランダを筆頭に先進的なとり組みが進められています。まずは海外の実践例や市民が積み重ねてきたものを母体に議論が進められるべきです。

 ただし、本当の意味で学校以外の「選択肢」がつくられるまでには多くの議論が必要です。教育機会確保法の成立過程でも、たくさんの懸念が議論されました。

 大事なことは当事者の眼からもう一度「学び」や「子ども時代をすごす場」として何が必要かが議論されることです。「学校だけが人の生きる道」だと思い込まされ、選択肢を奪われ、命を絶っていった子どももいます。そのことを忘れずに、新しい仕組みがつくられていくことが根本的な解決策になると、私は思っています。

不登校ジャーナリスト

1982年東京都生まれ。中学校受験を機に学校生活が徐々にあわなくなり、教員、校則、いじめなどにより、中学2年生から不登校。同年、フリースクールへ入会。NPO法人で、不登校の子どもや若者、親など400名以上に取材を行なうほか、女優・樹木希林氏や社会学者・小熊英二氏など幅広いジャンルの識者にも不登校をテーマに取材を重ねてきた。著書に『「学校に行きたくない」と子どもが言ったとき親ができること』(ポプラ社)『フリースクールを考えたら最初に読む本』(主婦の友社)。

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