日本で唯一のビュースポット!戦国時代の水運を彷彿とさせる水都について由縁と共に紹介
現代日本のように道路が整備されていない戦国時代から江戸時代頃までは、重い荷物を運ぶのは非常に困難だったため、川の流れにのって人や荷物を運ぶ「水運」が発達しました。
そんな水運で栄えた町こそが、四国地方にある徳島県です。
現代でも、別名「水の都」といわれるほど水運の環境に恵まれた土地であるこの徳島で、どのような歴史があったのでしょうか。
水運が発展した理由
そもそも、全国的に水運が発展したのは、かの有名な「豊臣秀吉(羽柴秀吉)」の物流策が影響していると考えられています。
南蛮文化に興味を持っていた豊臣秀吉は、海外との交易・物流に力を注いでおり、河口の周辺に城を建築して町を発展させたそうです。
そのため、戦国時代に豊臣秀吉の命を受けて徳島を治めていた蜂須賀家の居城・徳島城の周辺には、一級河川「新町川」や、高知と徳島を194kmにわたって流れる「吉野川」があります。
徳島では、この新町川や吉野川を利用することで水運が発展しました。
現代にも残る水運の面影
徳島城跡から車で約5分の場所には、「ケンチョピア」という場所があります。
ケンチョピアとは、ケンチョ(県庁)とピア(桟橋)を合わせた造語のことで、県庁といっしょに桟橋を楽しめる日本で唯一のビュースポットです。
また、ヨットやプレジャーボートなどの小型船舶などもたくさん停泊していて、戦国時代に発展した水運を彷彿とさせる光景も広がっています。
県庁の周辺には、船に乗って水の都・徳島の風景やケンチョピアを楽しめる「ひょうたん島クルーズ」もあるので、ぜひあわせて観光してみてください。