西城秀樹②「ブーツをぬいで朝食を」。ブーメランもボタンもヒデキが歌えばロマンの種
さて、西城秀樹さんの名曲を振り返ろう第2回は、1977年~1978年にリリースされた「ブーメランストリート」「ブーツをぬいで朝食を」「ボタンを外せ」という、〝恋のもどかしさを小物でたとえてみました3部作〟についてである。
ヒデキといえば、恋愛を宇宙レベルの壮大なスケールと美とパッションで魅せる、類い稀なる表現力! 彼にかかれば、日常にある身近なアイテムも、すばらしくドラマチックになる――。それを証明したのが作詞家・阿久悠氏である。
激しく迫るわりには成就率が低い歌の主人公
まずは20thシングル「ブーメラン ストリート」。「きっとあなたは戻ってくる」という懇願に似た気持ちを、投げたら戻ってくる遊具「ブーメラン」にたとえるという、ありそうでなかったアイデアが素晴らしい…!
22thシングル「ボタンを外せ」は、「自分の意志で服を脱いでほしい」という直接的なエロスと「胸の内(心)を見せて」という精神面のお願いというWの意味を兼ねた、ハイテクニックな口説きソングと同時に、ボタンソング革命といってもいいだろう。
そもそも、歌にもよく登場する第二ボタンは、胸の近くにあるため、「好きな人のハートの具現化」として語り継がれ、卒業式では争奪戦となるのはご存じの通り。
しかし、この歌の「ボタン」の意味は、どちらかというと逆。本音を隠す、ギリギリのプライドというか羞恥心として描かれる。そしてこれにより、ヒデキの持つ悲しき〝あと一歩の法則〟が際立ってくるのである。
〝あと一歩の法則〟――。勝手に名付けてしまったが、ヒデキは、ものすごく激しく好きな人に迫るわりには、ここぞというところでモタモタするというか、女性のガードをなぜか突破できないケースが多い(もちろん曲のなかでである)。そのため、焦り、なだめ、懇願する。それがたまらなく愛しい!
この曲にしても「ボタンをーッ外せッ」というサビに至るまでの大騒ぎよ! 彼女に玄関であいさつもなく帰されそうになるのを追う、追う! 阿久悠による脚本のト書きのような小刻みな歌詞と、上がったり下がったりの粋な三木たかしメロディが絡み合い、凄まじい緊迫感で描かれる。それを歌い踊るヒデキの高揚していく声と振りと表情は、聴いているだけで心拍数が上がるので要注意だ!
「ブーツをぬいで朝食を」の「ブーツ」と「白い部屋」とは
そして23thシングル「ブーツをぬいで朝食を」。名曲である!!
「ブーツ」は高さがあるので、非常に脱ぎにくい。経験のある人もいるだろう、紐つきオシャレブーツを履いた日に飲みに行き、座敷へと誘われたときの絶望感。
「これを脱がねばいかんのか。そしてまた履かねばいかんのか……」
天を仰ぎ見たくなる。店を変えようかとも思う。それほど面倒くさいのである。
つまり「ブーツ」とはなかなか脱がない、貞操、ガードの固さの例えなのだろう。主人公がブーツな価値観を持つ彼女に入ってほしいのは「白い部屋」。これは心も体もささげ合う純愛の決意。「二人だけの朝食」は、愛を確かめ合い、朝をともに迎えるということ!
ああ、なんと粋で遠回りなセクシーアプローチ!!
この夢をかなえるべく、なかなか落ちない女性を「回り道などよそう」と必死で説得するヒデキが愛しい。振り付けでも、その熱く燃える感情を全力で表現してくれている。
最初は強気だ。ライターに火をつけ、「さあ、君の心に火をつけるぜ……」とばかりに見せつける。かといって駆け引きも忘れない。「あとは流れゆく~」のところで脇を開け閉めしながら手をキュッキュッと横に振る振り付けは、「心配しなくていいから、怖がらなくていいから!」となだめているようにも取れる。
間奏では「君の魅力にお手上げさ。僕はどうすればいい?」と言わんばかりに、両手を伸ばし、天を仰ぐ。
あと一歩! あと一歩よ、ヒデキ―っ!!
やせ我慢するジュリー、交渉するヒデキ
ちなみにこの曲は、作詞が阿久悠さん、作曲は大野克夫さんだ。同じコンビで、沢田研二さんの「サムライ」が同時期に(1978年1月)リリースされている。
ジュリーは、男の美学を優先するやせ我慢の男。ヒデキは、情熱をぶつけ交渉する男! 最高!
さて、結局女性は「ブーツをぬいだ」のか? 結果は歌詞にはない。
ヒデキの歌いっぷりから妄想してみよう。皆さんはいかがだろう。私は「ぬがなかった」、つまり、主人公は結局、押し切ることができなかった気がする。
ブーツだけではない。「ブーメランストリート」の恋人も、「きっと帰ってくるだろう」と願うばかりで、帰ってこない気がする。「ボタンを外せ」も、彼女の心のボタンを外すことができなかった気がするのだ。
そんな風に聴いてしまうのは、私が失恋木っ端みじん族だからだろうか。ううむ、それもあるだろう!
ただ、彼の絶叫や長い手足を振り回すパフォーマンスは、必死で追うけどつかめない、それでもまた追う哀愁を感じる。
だからこそ、とめどのない切なさが押し寄せ、感動してしまうのだ。