立ち入り禁止!岡山城に隠された不明門(あかずのもん)とは
日本100名城に選ばれている漆黒の城「岡山城」は、築城の天才・羽柴秀吉が建設に力添えをしたといわれています。
そんな岡山城の城内には普段は閉ざされて開かれることのない「不明門(あかずのもん)」が設置されていました。
本記事では、普段は開くことのないその扉が、どのような役目を担っていたのかを紹介します。
・閉ざされた門の正体
不明門が設置されていたのは、岡山城の中でも藩主の公邸や政治の場として活用された「中の段」と藩主が生活を送る御殿「本段」の境目でした。
「本段」への立ち入りは藩主とそれに認められた数名の者しか許されておらず、普段から閉ざされていたことが名前の由来となっているようです。
不明門が存在したのは岡山城だけでなく、京都の神社やほかの城でも稀にみられるものでした。
・戦国時代のセキュリティシステム
藩主が気を休められる空間でもある本段は、セキュリティが非常に重要だったようです。
そのため、本段への入り口でもある不明門の上には櫓(やぐら)が設けられており、常に敵襲の警戒が行われていました。
ちなみに櫓とは、平安時代から活用されているもので、屋敷のセキュリティ強化を図って門の上に置かれた武器庫のことを指します。
高い場所に位置することから偵察機能も兼ね備えており、非常に理にかなった構造でした。
・岡山城のみどころ
築城の天才・羽柴秀吉が携わり、「不明門」が設置されていた岡山城は、セキュリティ面で安心な城だったといえるでしょう。
城としての機能を十分に兼ね備えたほかに、黒いカラスが羽ばたくような漆黒の壁から「烏城(うじょう)」の別名をもつ岡山城。
その美しさも見どころポイントです。
ぜひ観光してみてくださいね。