ジャズとジェンダーの問題をJLPは提起しているのだろうか?
10年ほど前になるでしょうか。
アカペラの多重録音で一世を風靡した
女性ヴォーカリストの取材を終えて、
歓談をしているときのこと。
「ワタシ、女性ばかりのバンドを
組んでみたいのヨ」
という話題になって、ひとしきり
盛り上がったことがありました。
そのころに注目されていた
“女流”ジャズ・プレイヤーは、
ようやくピアノ以外にも出現し、
層が厚くなってきていた感が
あったものの、フロント楽器に
かたよっていることは否めず、
「メンバーを揃えるのは
難儀しそうだ」というオチで
終わったと記憶しています。
“一発屋”的な女性ジャズ・バンド登場?
そんな話をしていた
舌の根も乾かないうちに、
テレビを観ていたら、
とある衛星放送の番組で
女性ばかりのジャズ・バンドが
出演していたのでビックリ。
先述の女性ヴォーカリストが
関係しているものでは
なかっただけでなく、
“女性ばかり”という点を
強調する出演主旨に
なっているようでした。
要するにそのときボクは、
“興味本意”の、いかにも
テレビっぽい企画だなぁと
感じたわけです。
プロジェクトとして存続したJLP
実はそのバンドがこのJLPこと
ジャズ・レディ・プロジェクトの
発端となるものでした。
たしかにテレビ映えするものの
バンドと呼べるつながりを
保つことができるのか?
単純にそう思いました。
しかし、彼女たちの想いは
ボクの表面的な感想を
はるかに超えていたようです。
そしてその翌年、JLPは
ファースト・アルバムを
リリースします。
結局、2015年にもセカンドを
制作、さらに2017年には
メンバーを増強してサードを
完成させるという、
本気度あふれるプロジェクト
として継続することに
なったのです。
JLPはバンドとは言いがたいが…
JLPを“女性によるジャズ・バンド”
という流れで取り上げてきましたが、
バンドというニュアンスではない
ところに彼女たちの強みと
継続の秘訣があったのではないか
と思うのです。
というのは、バンドにある
メンバー間の音楽的な志向性の
共有が希薄であることで、
メンバー数自体も発展できる
組織になっていると感じるから。
再生装置としての組織で
あることがこのJLPの可能性を
広げているというわけです。
ジャズにはもともとビッグバンド
という匿名性の高い集合演奏が
あります。
それをまとめるのにリーダーや
アレンジャーの個性や意志が
用いられてきたのですが、
方法論的にはこれに近いもの
を感じるのです。
しかし、メンバーに取材を
してみると、まず
「このプロジェクトには
リーダーがいない」という
ことを、口を揃えて
言っていたことが
印象的でした。
たしかに、彼女たちは
女性ビッグバンドを作ろうとは
思っていなかったはず。
リーダーやアレンジャーの
個性や意志に依存しない
女性ならではの感性を
ジャズの核にして表現
できないかという“挑戦”
であることがうかがえるのです。
実際にアルバムでは、
収録曲すべてが全員の合奏を
原則とするものではなく、
見ようによってはバラバラの
オムニバス的な構成に
なっています。
それはつまり、それまでの
ジャズではあえて
触れられてこなかった
“女性性”というテーマを
音にしてみようという
ことではないのかと
想像してしまったのです。
もちろん、いい音楽に
男性も女性もあまり関係ない
だろうと思っています。
あるとすれば、個人の
感性の高さとマッチング
でしょうか。
ただ、それを踏まえても、
そこに“化学反応”が起きる
可能性があるのではないか
と思わせる魅力があるのが
JLPを存続させリスナーに
期待させ続ける「なにか」
なのです。
JLPの『シネマに恋して』リリース
記念ライヴのステージは
アルバムに準じてメンバーも
入れ替わるという凝った趣向の
ものでしたが、あえてそうした
“個”や“バンド”としての
固定化したイメージにたよらない
スキゾイド的なコンセプションは、
期せずしてこれまで隠れていた
ジャズでは未発掘の“源泉”を
掘り当てたのかもしれません。
次はどんな“確変”なのか、
という期待を抱いて待ちたいのが、
このJLPなのです。