紋切り型の批判を無効化する安倍内閣の巧みな政治技術?
安保法制の議論を見ながら、常々気になっていたことがある。
反安倍内閣批判のステロタイプである。このステロタイプは、潜在的でより広範な反安倍内閣の共感形成を阻害しているのではないか。「対米従属型、新自由主義売国」「ファシスト」「No War」等々の批判的言説のことである。
むろん安保法制についての説明が不足しているからこそ、反安倍内閣の文言もステロタイプにならざるをえない、という考え方もある。象徴として、わかりやすい言葉が必要でもあるだろう。
とはいえ、「分かりにくい言葉」「も」必要ではないか。というのも、政策の内実は、マスコミが切り取る一部分より相当に複雑である。また安倍内閣が成立させてきた法律はなにも安保法制にかぎらず、社会包摂を推進する法律も含まれている。
この4月に施行されることになった、生活困窮者自立支援法と生活困窮者自立支援制度などはそのひとつである。
生活困窮者自立支援制度 |厚生労働省
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000059425.html
この制度は、外形的な区別なく生活困窮者に対して、生活全般の相談窓口を全国に設置し、下記のような支援事業を提供している。
- 自立相談支援事業
- 就労準備支援事業
- 就労訓練事業
- 一時生活支援事業
- 住居確保給付金の支給
- 家計相談支援事業
- 生活困窮世帯の子どもの学習支援
課題も残されているが、年齢や形式を越えて、こうした支援制度が提供されたのは、大きな一歩である。そしてこの成立もまた安倍内閣の少なくない貢献といえる。ちなみに、第1次安倍内閣でも、「再チャレンジ」をキーワードに、若年無業者支援に手を付けている。その意味では場当たり的な取り組みではなく、外形的には連続的なものといえることもまた事実である。
このとき、安倍内閣を、素朴に「新自由主義」「ファシズム」と批判してもよいのだろうか(ファシズム国家に福祉国家の萌芽を見る議論があることは承知しています)。個人的には抵抗感がある。
適切なキャッチフレーズが選ばれていない可能性があるのと同時に、より専門性の高い政策言語での議論≒「分かりにくい言葉」での記述が薄い、あるいはあまり周知されていないことの問題かもしれない。たとえば、反安保だとしても、必ずしも安倍内閣≒新自由主義と考えない主張を持つ人も、やはり差異に目をつぶって、冒頭のようなステロタイプを掲げる運動に参加すべきなのだろうか。比較的リベラルな論調が強いと思われる、これらに関連する現場の人たちは複雑な思いにとらわれるのではないか。他人のことはよくわからないが、研究者も賛同しにくいように思える。少なくとも、自分はそうである。
一見危うく見えるが安倍内閣は、政権運営が上手い。メディア対応、人選、日程調整、そしてなかでも、それらの「組み合わせ」が抜群に見える。安倍総理は小泉内閣のもとで党と内閣の要職をつとめ、さらに第1次安倍内閣の失敗の経験がある。ブレーンも重複している。幾つもの政治におけるセオリーを破り、支持率が低迷しながらも墜落しない政権運営の巧みさを持つ。
現代政治と政策は複雑である。このように捉えるなら、その端緒として、野党や反安倍内閣の陣営に、適切でわかりやすいキャッチコピーが必要ではあるだろう。政策の幅を取ること自体が、分断の技術という見方もある。ということは、「分かりやすいキャッチフレーズ」に加えて、よりテクニカルで「分かりにくい言葉」も必要に思えるのだがどうか。