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中国、不正ワクチン事件の核心は「医療改革の失敗」

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
子供向けワクチンで不正が発覚した「長春長生」(写真:ロイター/アフロ)

 中国の長春長生公司による不正ワクチン事件に関して習近平自身が会議を開き関係者に対する処分を決議した。ここまで重視する背景には「医療の市場化」問題があり、社会主義国家の根幹を揺るがしかねないからだ。

◆長春長生「不正ワクチン」事件

 7月15日、中国の国家薬品監督管理局が吉林省長春市にある「長春長生生物科技有限責任公司」(以下、「長春長生」)にヒト用狂犬病ワクチンの生産停止を命じた。生産過程に記録改ざんがあり、「薬品生産品質管理基準」に対する違反行為に当たるからだ。

 違反行為はこれに留まらなかった。

 7月20日、吉林省食品葯品監督管理局(吉林省食葯監局)は長春長生により生産された三種混合ワクチンが基準に符合せず、品質不良の「劣薬」と判定されたことを発表。その劣薬ワクチン25万本が山東省疾病予防制御センターに販売され、そのうち約21.5万本が既に山東省などの児童に予防接種されていた。この時点で倉庫には186本しか残っていないとのこと。

 これに関しては実は2017年10月27日に吉林省食葯監局が不正を把握して立件しており、10月31日には、山東省食葯監局がすでに山東省に販売された「不合格の三種ワクチン」を回収するように通達を出している(「魯食葯化市函(2017)52号」)。

 しかしこの重要な通達は今年の7月18日になるまで中央政府の国家食葯監局に報告されておらず、長春長生がある吉林省食葯監局にさえも通報されていなかった。

 その間に21.5万人に及ぶ児童に接種されていたのである。

 南アフリカのヨハネスブルグで開催されるBRICS首脳会議に参加するため7月19日からアフリカ・中東諸国を訪問していた習近平国家主席は、ルワンダ訪問中の7月23日、不正ワクチン事件に対して「実に劣悪だ!あまりに衝撃的な事件だ」「人民の生命安全のデッドラインを死守せよ」と表明し、李克強国務院総理に徹底的な調査を指示した。それを受けて李克強は直ちに調査チームを結成して現地に派遣し、「相手が誰であろうと、人民の生命安全を脅かす者に対しては如何なる容赦もすることなく、徹底して調査せよ」という指示を出した。これら一連の流れを、中央テレビ局CCTVはトップニュースで盛んに扱い、中国共産党新聞網も報道した

◆チャイナ・セブンを招集し緊急会議

 7月末に帰国した習近平は、7月31日に中共中央政治局会議を招集して経済問題を中心に討議し、8月5日から15日まで開催されたらしい北戴河会議で米中貿易戦争問題を中心に討議したあと、北京に戻るとすぐに(8月16日)チャイナ・セブン(中共中央政治局常務委員会委員7人)を集めて、常務委員会会議を開催した。

 この会議で「一地方のワクチン製薬会社」の不祥事に関して討議し、関係者の処分を決定したのである。国家の重要な戦略を討議し決議するチャイナ・セブンの会議が、一地方の一民間企業の不祥事に関して招集されることは非常に稀な現象だ。

 会議では「道徳と良識のデッドラインを越えた」関係者に厳罰を与えることを決定した。その対象は長春長生の関係者のみならず、吉林省副省長、長春市市長、吉林省政治協商会議副主席、市場監督管理局党組織書記、国家葯監局局長、食品葯品監督管理総局副局長など、行政方面も含めた40人以上に上る。

 こうまでする背景には、実は中国の医療改革がもたらした災禍がある。

◆医療の市場化と中国の医療改革の失敗

 1978年末に改革開放が始まるまでは、中国では「ゆり籠から墓場まで」、人民の民生問題は全て終身、中国政府が責任を持って保証していた。医療費も教育費(学費や教科書代)も無料だったのだが、改革開放が始まってからは、紆余曲折を経ながら自己負担となり、「医療、教育、福祉(高齢者問題)」の民営化と市場化が始まった。

 そのような中、2003年12月16日、国有企業の「長春高新」もまた元国家衛生部という中央行政省庁直属の研究所から民営化されて「長春長生」となり、高俊芳という女性が34.68%の株を廉価で入手して総経理になる。彼女は夫を副総経理に、息子を副董事長にして家族経営を始めた。国民の命を預かるワクチン製造を、家族経営と官との癒着による利潤を求めるだけのサイクルに任せてしまったのだ。今回の不正ワクチン事件は、まさに「医療の市場化」がもたらした結果であると言っていいだろう。

 中国では「養老、教育、医療」を、中国経済を支える3本の柱と位置付けて「トロイカ」(中国語では「三駕馬車」=「三頭立ての乗用馬車」)と呼ぶ。「養老」というのは「介護などを含む高齢者福祉」を表す中国語だ。

 今年7月16日付けの「新華網」(中国政府の通信社「新華社」の電子版)は「養老、教育、医療は内需を牽引する“三駕馬車”」というタイトルの記事を掲載した。

 中国の国家統計局によれば、2017年末における60歳以上の老年人口は2.41億人で総人口の17.3%を占め(65歳以上は1.58億人、11.4%)、2050年には4.87億人、全人口の34.9%に達するという。したがって「養老」は爆発的な経済効果をもたらすと、中国はソロバンをはじいている。

 教育費に関しては海外留学する中国人留学生の総数は、2017年には60万人に達しているので、これもまた中国国内で市場化して競争させれば、経済発展を大きく押し上げてくれるだろうというのだ。

 医療費に関しては海外で診療してもらう患者のための仲介業者が年間に稼ぐ金額は、2012年で2.1億元だったのに、2016年では23.5億元と11倍に跳ね上がっている。したがって医療費もまた中国国内で市場競争をさせれば天文学的数値に達するだろうと中国政府は計算している。

 しかし、「養老(福祉)、教育、医療」といった民生の根幹に関わる事業こそは、社会主義国家にふさわしい「機会の平等」を重視しなければならないはず。それが他のどの資本主義の国家よりも市場化して甚だしい不平等をもたらしているのだ。

 貧乏な者は教育を受ける機会もなければ、病気になっても医者に診てもらうことも薬をもらうこともできない。高齢者になっても、老後は誰も見てくれないということになっている。

 いま中国では「養老問題は、昔は国家を頼っていればよく、その後、自分の子供に頼るしかなくなったが、今は自分自身に頼るしかない」という言葉が、よく使われるようになった。それは「“養老、教育、医療”が“支柱産業(基幹産業)”に。誰にビンタを食らわしたのか?」という記事によく表れている。

◆一党支配体制には限界が

 今年は改革開放40周年記念。

 改革開放以来、高齢者問題も教育費の問題も、そして何よりも医療問題も試行錯誤するばかりで、何一つ成功していないのが中国の現状だ。

 この中で「完全な失敗に終わっている」と断言していいのは「医療問題」である。

 習近平は何度も「中国は常に改革のさ中にある」という言葉を使うが、これは「中国は改革開放に、未だ成功していない」という実態を表した本音だと捉えていいだろう。

 もっと正確に言えば、「一党支配体制」の中での「中国の特色ある社会主義国家」というのは、成立しないということだ。おそらく永遠に成功しないまま、試行錯誤しては「今はまだ改革中だ!」と弁明する年月を重ねていくことだろう。

 経済発展をし続けなければ「一党支配体制」は人民の支持を得ることができない。

 だから内需を押し上げるために民生問題さえをも政府が負担するのではなく民営化して市場競争させる。

 そんなことをしたら中国は「社会主義国家」ではなくなり、社会主義国家が救わなければならないはずの下層人民を犠牲にし、不満を蓄積していくという悪循環を抱えている。

 おまけに文化大革命によりモラルを失った大衆も官僚も「向銭看(銭に向かって進め)!」と私利私欲に走り、腐敗にまみれている。

 これが中国の最大の盲点だ。「権力闘争」ばかりを囃し立てて喜んでいると、中国が抱える最大の弱点が見えなくなる。

 問題があまりに大きすぎるので、少ない文字数で全てを説明するのは困難だ。

 少なくとも、今般の不正ワクチン事件の背景には「医療の市場化」があり、それが社会主義国家の根幹を揺るがす問題であるということが、いくらかでも説明できていれば幸いである。

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『中国「反日の闇」 浮かび上がる日本の闇』、『嗤(わら)う習近平の白い牙』、『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。

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