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メルケル首相も王毅外相も見落としている――日本とドイツでは戦後状況が異なる

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

3月9日、ドイツのメルケル首相が訪日し、日本の歴史認識に関して真実を認めるよう求め、まるで示し合わせていたように8日、中国の王毅外相が日本の歴史認識を非難した。しかし二人とも重要な事実を見落としている。

◆メルケル首相と王毅外相が見落としている重大な事実

日本が敗戦したとき、この世に中華人民共和国は存在していなかった。日本が国家として戦った国は「中華民国」である。

中国に話を限定するなら、日本は「中華民国」の領土の上で戦争をしたので、そこには蒋介石率いる国民党の軍隊もいれば、毛沢東が率いる中国共産党の軍隊もいた。国共合作(国民党と共産党が協力してともに日本と戦う)という時期もあったので、中国共産党の軍隊も日本軍と戦った時期があったし、また無辜の中国の民がその犠牲になったことはあった。

しかし日本は敗戦に当たって、国家としての「中華民国」に対して終戦協定として「日華平和条約」を1952年4月28日に結んでいる。戦後賠償に関しては蒋介石が要求しないと言ったために、友好的に戦後処理が終わっている。ただし、1971年に中華人民共和国が国連加盟し、72年の日中国交正常化の際に中国(中華人民共和国)が「中華民国」と国交を断絶することを条件としてきたので、「中華民国」とは国交を断絶し、以後、「台湾」と呼ぶようになった。

つまり戦争をした「中国」である「中華民国」とは戦後処理をきれいに終わらせ友好的に交流し、平和共存してきたのである(馬英九総統が激しい北京寄りになるまでは)。

これが、ドイツがヨーロッパの隣国と戦後処理を「うまく」行なってきた事実と、日本との第一の差である。メルケル首相はこの点に注目していない。

もっと大きな差は、日本は敗戦直後からアメリカに占領され、マッカーサーやトルーマンらの言う通りに動かなければならなかったことだ。

真珠湾攻撃により先制攻撃を受けたアメリカは、第二次世界大戦終盤になると、徹底して日本を集中攻撃し、東京大空襲などにより日本を火の海と化し、原爆投下により日本を降伏させた。

だから敗戦直後、占領軍としてのアメリカは日本の完全な武装解除を実現させるために、憲法第九条を認めさせたのである。

ところが、1950年6月に朝鮮戦争が始まるとアメリカの態度は一転。日本に自衛隊の前身である警察予備隊を作らせ、武器を製造させた。そのアメリカは共産圏と対立し、日本を、共産圏からアメリカ陣営を守るための極東の基地として位置づけるようになる。

その結果、日本は共産圏と対立する構造の中に組み込まれ、現在の中国と対立せざるを得ない立場になったのだ。日本には選択肢はなかった。

ようやく日中国交正常化が出来たのは、キッシンジャーが同盟国である日本にも知らせずに忍者外交により訪中し、米中国交正常化への道をつけてからのことだ。

このようにドイツのヨーロッパ近隣諸国における戦後処理と、日本の戦後処理は全く異なり、日本には選択の余地はなかった。アメリカの言う通りに動き、アメリカのご機嫌をうかがいながら、その意向に沿って動く以外になかったのだ。

メルケル首相も王毅外相も、その事実を直視していない。

もし歴史認識において「真の事実を直視しろ」と言うのなら、1945年8月15日時点、およびそれ以降の、極東におけるこの「事実」をこそ直視しなければならない。そうしなければ、日中の相克は永遠に続く。

◆中国に直視してほしい、もう一つの「事実」

中国にはもう一つ、直視してほしい事実がある。

それは国交正常化後に、日本がどれだけ友好的に中国を支援してきたかという事実だ。あのころ日本国民は本気で中国を信じ、熱い思いで中国を応援してきた。戦後賠償を毛沢東も周恩来も放棄したので、その代わりに巨額のODA(政府開発援助)を中国に注ぎ込み、それにより中国は文化大革命による壊滅的な経済的打撃から脱し、経済発展を遂げる礎(いしずえ)を築くことができたのである。

天安門事件により西側諸国が厳しい経済制裁を中国に科したとき、最初にその制裁を解除して中国に又もや熱い手を差し伸べたのは、ほかならぬ日本である。

しかし当時のソ連との間に中ソ対立があったからこそ、アメリカとも日本とも国交を正常化した中国は、1991年12月にソ連が崩壊すると対日姿勢は一変した。もう日本は必要でなくなったのである。

92年に領海法を制定して尖閣諸島(釣魚島)を中国の領土の中に組み込み、94年からは愛国主義教育を始めて、95年からは反日傾向を増強させていった。

日本国民の厚意を最初に裏切ったのは中国ではないのか――。

王毅外相は記者会見で「誰が最初に(日中関係悪化の)原因を作ったのか、胸に手を当てて考えるといい」という趣旨のことを言っている。

中国はその言葉を、自分自身に対して発するべきだろう。

王毅外相はまた、「被害者は、加害者が反省してこそ心が癒されるものだ」と言った。

この言葉も、中国は自分自身に対しても言って欲しいと筆者は切望する。

1947年~48年、中国共産党軍は国民党軍を打倒するために、国民党が占拠していた長春を食糧封鎖した。国民党軍は空輸による食料補給で一人も餓死していないが、あのとき長春市内にいた数十万の無辜の民(中国人)は餓死している。

しかし中国はこれを中国共産党軍の汚点として、天安門事件同様に認めない。封印してしまっているのだ。その中で家族を餓死で失い、死体の上で野宿して恐怖のあまり記憶を喪失した者として、筆者は生きている限り、この事実を言い続ける。人類の歴史に刻むべき、この歴然とした事実を、中国は絶対に直視しようとはしない。それを直視してこそ、あの包囲網(チャーズ)内における犠牲者の魂は鎮魂されるのである。

中国には、自国民に対して、その義務がある。

そういうことができる中国になれば、こうした一方的な非難を日本に対してし続けるという姿勢も変わってくるであろうから、その意味でも筆者は命ある限り、この事実を主張し続けるつもりだ。

◆戦後70周年の総理大臣談話

王毅外相が8日、日本政府が発表する予定の「総理大臣談話」を暗示して、過去の談話を踏襲するよう言及すべきという趣旨のことを言ったのに対して、菅官房長官は「わが国の戦後70年間の歩みは、民主的で、人権や法の支配を守り、国際平和に貢献してきた。そこは全く不変だ。世界からも高い評価をいただいている」と述べた。

総理大臣談話に関して、日本政府はわざわざ有識者会議を設けているようだが、「有識者」は、日中関係における、このコラムで書いた事実をしっかり認識してほしい。

これは中国で生まれ育った筆者が、身をもって経験してきた厳然たる事実だ。

日中両国とも、互いに「事実」を認めるのは結構なことだろう。

しかし、その事実を直視する目は一方的であってはならないし、高圧的でも卑屈でもあってはならない。

一方、ドイツと中国が、この7年間、どれだけ深い蜜月関係を築いてきたかを考えれば、メルケル首相の「戦後70周年目!」における訪日と、中国の王毅外相の記者会見が、「偶然!」、時期を同じくしたとは考えにくい。

このタイミングでのメルケル首相の訪日を、「中国経済にも陰りが見えてきたから」とか「日中に対してバランスを考えたためでしょう」といった感じの、「めでたい」解説が散見されるが、日本人は誠に人がいいとしか言いようがない。あるいは、中国の外交戦略の狙いを見る目がないと言うべきか……。

中国がなぜ「反ファシスト戦勝70周年記念祭典」を「ロシアとともに!」盛大に行おうとしているのか、なぜ日本を敗戦に追いやった「反ファシスト側の最大の国であるアメリカ」と組んでいないのか。

そのことを考えれば理由は歴然としている。

日米同盟があるため、アメリカを困らせるためだ。アジア回帰しようとするアメリカのアジアにおけるプレゼンスを低めたいからである。ターゲットは日本ではない。

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『中国「反日の闇」 浮かび上がる日本の闇』(11月1日出版、ビジネス社)、『嗤(わら)う習近平の白い牙』、『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。

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