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神が創った島、奄美大島の開闢伝説「アマンディ」

泉順義フリーライター/探検家

ふたりの神がこの地に降り立ち、奄美大島を創成したという奄美開闢伝説が「アマンディ」だ。

■すべてはこの地から始まった

古代、奄美諸島は南西海域に漂うただの浮島の群れでしかなかった。これを天から見ていた天照大神(アマテラスオオミカミ)はこの群れを整理しようと、ふたつの神に伝令した。伝令を受けたのは、女神の阿摩彌姑(アマミコ)と男神の志仁礼久(シニレク)。ふたつの神は節田の山中の丘に降り立つ。そこが奄美開闢の地であるアマンディだ。
アマミコとシニレクは南下しながら奄美大島を造成していく。そして、三男二女をもうける。長男は「天孫子」となり国が始まり、次男は「按司」となり社会が始まり、三男は百姓の始まりとなり、長女は君々の始まりとなり、次女は祝々(ノロ)の始まりとなった。


何とも壮大でロマンのある物語・・

奄美大島の聖地である「アマンディ」は、島の史跡のほとんどが山中あるいは集落の中にひっそりと佇んでいるように、この地もまた小高い丘に隠れるように身を潜めていた。

墓の周りには枯れかかった松の木がまっすぐに天に向かい、この枯木を伝ってアマミコとシニレクのふたりは降臨したのかと、はるか古代のロマンを彷彿させる。眼下には広大な太平洋と大地が広がり、ふたりの神もまた遥か彼方の故郷を想っていたのだろう。

■奄美開闢後は琉球を開闢

奄美諸島を造成した後、ふたつの神はさらに南下し、そして琉球を開闢した。奄美の文化は琉球からの影響を色濃く残しているのだと思っていたのだが、奄美の方が先に開闢し、そして同じ神によって後から琉球ができたというのだから、わんきゃ島っちゅにとってはなんとも嬉しく誇らしい話ではないか。

琉球の開闢伝説は詳しくは知らないが、やはり奄美と同じような伝説がある。浜比嘉島には「アマミチュー」の墓が祀られており、女神を「アマミキヨ」男神を「シネリキヨ」と言うそうだ。そう、アマミチュー=奄美んちゅ=奄美の人、ということで「奄美の方が先」説は案外的を得ているのかもしれない。

更にいうと、奄美のアマミコが降臨した地が山中ならば、琉球のアマミキヨが降臨したのが海だったという点。奄美の伝説あるいは日本神話の神の多くは対になっている。女神男神、月と太陽、陰と陽、そして海と山。奄美の聖地が山で琉球の聖地は海なのだ。奄美を男神とするならば琉球は女神になり、奄美と琉球が一対の神として奄美琉球列島を創成したとも考えられる。

■アマンディは日本の聖地

もっと飛躍して考察してみる。奄美は信仰的な神や御先祖様を敬うだけではなく、海や山や地の大自然、そこに存在する動植物、さらにはハブやケンムン、そして台風や潮の満ち引きにまで、全てのものに神を見いだし、そしてそれを敬っている。日本神話の神の多くが「アマ・・」であり、奄美の「奄」が「天」からきているのならば、「アマンディ」は奄美開闢の地だけではなく「日本」そのものの開闢の地であり、「アマンディ」は奄美の聖地だけではなく日本の聖地なのかもしれない。

と、古事記や日本書紀さえも無視した妄想的で壮大なロマンは果てしなく広がっていくのだ。

フリーライター/探検家

南の孤島に棲む探検家でフリーライターの泉順義(JungiIzumi)。30代で突如山登りに目覚め、丹沢・八ヶ岳・北アルプスの縦走を繰り返す。ヒマラヤのカラパタール(標高5500m)に二度登頂。2015年にふるさとの南の島にUターンし、スローライフを楽しみながら秘境の滝や限界集落めぐりをSNS・ブログで発信している。地元新聞社では記者として自然環境分野を担当。