「オーダー、オーダー」英下院議長が辞任へ 「合意なき離脱」の最後のブレーキ役が退場する
「私は平議員の砦」
[ロンドン発]「静粛に、静粛にぃぃぃー(Order, Order)!!!」の掛け声で世界的に有名になった英下院のジョン・バーコウ議長(56)が9日、10月いっぱいで10年間務めた議長職を辞任することを突然、表明しました。下院議員も辞職するそうです。
フランス・ビアリッツで開かれた先進7カ国首脳会議(G7サミット)ではホスト役のエマニュエル・マクロン仏大統領が新顔のボリス・ジョンソン英首相に対して「オーダー、オーダー」と声を掛けるジョークを披露。ジョンソン首相は気に入らなかったのか、顔をしかめるシーンが印象的でした。
英国が欧州連合(EU)離脱の崖に向かって突き進む中、与野党の十分な審議を促したため、「合意なき離脱」に傾く保守党強硬派から辞任圧力が強まっていました。 総選挙では主要政党は議長の選挙区に候補者を立てないのが慣例ですが、保守党はバーコウ議長の選挙区に対立候補を立てると脅していました。
バーコウ議長の辞任演説は感動的でした。
「議長として、ずっと、この立法府の権威が(政府に対して)相対的に増すように努めてきました。そのことについて、いかなる時も、いかなる場所でも、いかなる人にも頭を下げるつもりもさらさらありません」
「危ない言い方かもしれませんが、私はバックベンチャー(平議員)の砦になることを心掛けてきました」。バーコウ議長は傍聴席の妻のサリーさんと3人の子供に感謝の言葉を述べると、大きな目に涙がにじみました。
「ここは、国益という概念、公共の利益という認識、民主主義者(選挙区の利益の代弁者)としてではなく、私たちの国にとって正しいと信じていることを行う代表者としての義務に動かされる人々に満たされた素晴らしい場所です」
作り上げられた「国民vs議会」の対立構図
「この議会を貶めれば私たちを脅かします」とバーコウ議長は秋の党大会による休会を通常の3週間から6週間近くに引き伸ばしてEU離脱を巡る審議を避けようとしたジョンソン首相を暗に批判しました。
とにかく解散総選挙に突入し、市民生活と企業活動を大混乱に陥れる「合意なき離脱」の既成事実化を企むジョンソン首相が離脱期限の10月31日までにどんな手を打ってくるか分かりません。それまでに議会が解散される事態になればバーコウ議長は即、辞任すると述べました。
ジョンソン首相の上級アドバイザー、ドミニク・カミングス氏は白人英国人の高齢者、低所得者や失業者の不満を煽り、ソーシャルメディアを駆使して「国民vs議会」の対立構図を作り上げています。バーコウ議長はその格好のターゲットです。
テリーザ・メイ前首相はEUとの離脱協定書と将来の関係に関する政治宣言の採決を巡り、英下院で3連敗。1度目は史上最悪の230票差、2度目もワースト4の149票差という歴史的な大差で敗北を喫し、3度目も58票差で否決されました。
メイ前首相は涙をこぼしながら「妥協とは決して汚い言葉ではないことを忘れてはいけません。人生は妥協にかかっています」という言葉を残して無念の退場を強いられました。
ジョンソン首相の採決はすでに7戦6敗
ジョンソン首相に至っては就任してから7回の採決で6回も敗北し、9日に提出した2度目の解散総選挙動議では保守党から279票の支持しか得られませんでした。
下院の過半数は326議席(実質的には320議席)なので閣外協力してもらっている北アイルランドの地域政党・民主統一党(DUP)の10議席を足しても大幅に過半数割れしています。
10月31日の離脱期限を来年1月31日まで再延長してから解散総選挙を行うか、野党連合による暫定政権を樹立するか、世論調査の政党支持率をにらみながらの駆け引きが続くと見られます。
バーコウ議長は子供の頃、地元はマーガレット・サッチャー首相の選挙区でした。「鉄の女」に刺激されて政治家を志したバーコウ議長はもともと右派で保守党学生連盟の議長に就任するも、同連盟は過激な言動がたたって廃止の憂き目に。
右派からリベラルに転向したバーコウ議長
労働党から区議会議員選挙に立ったことがあるサリーさんと結婚してから考え方を変え、保守党の中で同性愛者の権利を擁護し、大麻の吸引者を取り締まるのは馬鹿げていると主張してリベラルの旗頭になります。
下院議員の不正経費スキャンダルで辞任した前議長の後を受けて議長に選ばれました。当時はまだ労働党政権でしたが、労働党の多くの議員からも支持を集めました。
バーコウ議長になってから議長の公式衣装の下に背広を着用するようになり、事務官のかつら着用義務を廃止。男性議員のネクタイ着用を免除する方針も打ち出しました。
長年の慣習を破って、バーコウ議長は自由民主党のジョー・スウィンソン党首が乳児をだっこして議場に入ることも認めました。
チベット自治区の人権問題や香港の民主化問題を棚上げした「英中の蜜月」がうたわれた2015年10月、中国の習近平国家主席が訪英。バーコウ議長は習氏の議会演説を前に、ミャンマーのアウン・サン・スー・チー国家顧問の名を出し「自由という本質的な人権の国際的な象徴だ」と持ち上げました。人権派弁護士や活動家らを不当に拘束する中国を牽制するためです。
イスラム圏7か国出身者らの入国禁止を命じたドナルド・トランプ米大統領の公式訪問に際しても、議会で演説を行うことに「強く反対する」と表明しました。
どうなる英国のEU離脱
妻のサリーさんは裸体をシーツ1枚で覆ったセミヌードを英夕刊紙イブニング・スタンダードに披露し、「権力は媚薬だから、政治はセクシーになりうる」と発言して話題をまいたことがあります。
首相の暴走を止め、与野党が議論を尽くせるよう努めてきたバーコウ議長は首相に対する野党の質問時間を長くとり、首相や保守党からにらまれてきました。
3年前のEU国民投票では残留に投票し、車にブレグジット(英国のEU離脱)に反対するステッカーを貼っていたことから残留派とみなされ、パワハラ疑惑や強硬離脱派に対する「馬鹿な女」発言疑惑で保守党からの攻撃にさらされてきたバーコウ議長。
辞任演説で労働党からはスタンディングオベーションで送られたものの、保守党からは完全に無視されました。与野党が完全に逆転した今の下院では保守党が議長を送り込むのは難しいでしょう。
EU離脱派は完全に集団ヒステリー状態に陥り、「合意なき離脱」を唱えています。今、英国も英国の政治も大きな転換点を迎えています。保守党はもはや、かつての保守党ではありません。白人英国人の欲求不満を煽る新党・ブレグジット党と何ら変わりません。
劇的な政界再編が起きない限り、英国が長い停滞に突入するのは避けられそうにありません。
(おわり)