騎手・浜中俊が、急に星となってしまったダービー馬のお墓を訪ね、伝えた事とは?
祖父の口癖
8月28日。武豊とC・ルメールが札幌で行われたアジア競馬会議でトークショーを行っていた時、浜中俊は約140キロ離れた静内にいた。
「イケメンですね」
鼻面まで流れる流星を持つ鹿毛馬の顔写真を見て、そう言った。
被写体はロジャーバローズ。この6月25日に星になった5年前のダービー馬だ。
1988年12月、福岡県北九州市の、競馬とは無縁の家庭に生まれた浜中。競馬好きな祖父に小倉競馬場へ連れて行かれるうちに「ジョッキーに憧れるようになった」と言い、さらに続ける。
「小倉競馬場の乗馬苑で乗馬を始めたのも、祖父がチラシを持って来たからでした」
競馬学校に合格した時も最も喜んでくれたのは祖父だった。
「そのおじいちゃんが『ダービーを勝ってね』とよく口にしていました」
デビュー4年目の2010年。初めてダービーに騎乗した。15番人気のサンディエゴシチーと臨む憧れの初舞台だった。
「藤岡佑介さんに他の乗り馬がいたから回って来た馬でした。結果は8着でしたけど、意外と差はありませんでした」
実際、勝ったエイシンフラッシュとは0秒5差に健闘した。
「負けたけど感動しました。勝った内田(博幸)さんに対する周囲の祝福ぶりが他のGⅠとは違うと感じました。いつか自分が祝福を受ける立場になりたいと思いました」
しかし、その“いつか”はなかなか来なかった。
18年までに、ミッキークイーンでのオークス(GⅠ)やラブリーデイを駆っての天皇賞・秋(GⅠ)、ミッキーアイルによるマイルチャンピオンシップ(GⅠ)等、GⅠを8勝した。しかし、ダービーは5回の騎乗で最高が5着。それが唯一の掲示板で、3回は二桁着順に沈んでいた。
「乗るだけでも難しいし、まして勝ち負けになるのはいつになるか?と感じました」
ロジャーバローズと挑んだダービー
そんな19年の春に出合ったのが角居勝彦厩舎のロジャーバローズ。5月4日に行われた京都新聞杯(GⅡ)で初めてタッグを組むと、序盤の1000メートルを60秒0の逃げ。縦長になった馬群を引っ張り直線でも粘りに粘った。
「最後は捉まってクビ差2着でしたけど、操縦性が高くて乗りやすい事が分かりました。加えてなかなかバテないのも分かったので、もっと速い流れで行っても良かったと感じました」
続くダービーではその経験を活かそうと考えていた。
すると、厩舎サイドから良い情報が伝えられた。
「前走後、歯が生え代わって飼い葉をかなり食べるようになり、体調がアップしていると聞きました」
実際にはダービー当日の馬体重は前走比マイナス8キロの486キロ。減っていた。しかし、追い切りに跨った浜中は手応えを感じていた。
「数字的にはマイナスだったけど、乗っていると前走の時よりドッシリしてきた印象を受けました。追い切りの動きも良かったので、無駄肉が取れたのだと思いました」
枠順が発表されると最内1番枠。これに関しては「スタートは速い馬なので歓迎」した。しかし、レース直前、思わぬ出来事が起きた。
「スタート直前のゲート裏で輪乗りをしている時、曳いてくれていた担当の厩務員さんが『令和元年の1枠1番だから、1番最初にゲートに入れたい』と言ってきたんです」
スタンド前でもあり、他も皆、興奮気味。それを考えると出来るだけ遅く枠入りさせたかった浜中は「マジか?!」と思った。
「結局、1番最初に入れられました」
ちなみに世間の評価は決して高くなかった。単勝オッズは93.1倍で、18頭立ての12番人気。その18頭の中で、枠内での待ち時間が最も長くなったわけだが、鞍上の心配は杞憂に終わった。
「ずっと落ち着いたまま辛抱してくれていました」
いよいよスタートの時を迎えた。
「集中して気をつけました」
すると、好発を切った。
「心の中で『決まった!』と思いました」
「逃げても良い」と考えていたが、リオンリオンが行く構えを見せると無駄な戦いは避けて2番手に控えた。
「予想していた通りの隊列になりました。ペースも理想的でした」
道中はうまく息が入った事もあり、終始、好手応えで進めた。そして、直線に向くや鞍上で手を動かした。「速過ぎるのでは?」と思えたそれだったが、当時の胸中を次のように語った。
「ゴールまでまだ500メートルくらいあるのは分かっていました。でも、後ろの事は考えずに行くと決めていたので、追い出しました。正直『いずれはかわされる』と覚悟していました」
ところが考えていた以上の粘り腰を披露した。かわされないまま、300メートル、200メートル、100メートルとゴールが近付いた。
「この時はもう『早くゴールして!』と考えるだけで、直線が無茶苦茶長く感じました」
あと少しのところで後続の気配を右後ろに感じた。
「ダノンキングリーが来たのが分かりました。声を出して追うタイプではないので、必死に『我慢してくれ!』と思いながら歯を食いしばって追いました」
すると、クビ差しのいで真っ先にゴールに飛び込んだ。
「ゴールの瞬間は『粘れたかな?』という感じでしたが、同時に『そんな事ないか?』という気持ちもわいて、テンパり、ターフビジョンを見ていました」
そこには自分とロジャーバローズが映っていた。
「改めて『え?!勝った?!』と思いました」
それでもまだ半信半疑の浜中は、最も近くにいた戸崎圭太に声をかけた。
「僕、勝っていますか?」
この時の事を述懐する表情は今でも苦虫を嚙み潰したように歪む。
「2着に惜敗した戸崎さんに声をかけるなんて、無神経で失礼な行動だけど、まともな精神状態ではなかったので、聞いてしまいました。でも、戸崎さんは良い人だから『勝っているよ、おめでとう!』と言ってくれました」
他の騎手達にも祝福されて、やっと現実を受け止めた。そして、ウイニングランに移ろうとして、踵を返した。
「人気馬を負かして人気薄で勝っちゃったせいか、スタンドがざわついている感じが分かりました。歓迎されてないかと思いつつ、近付くと、『浜中、おめでとう!』という声援が聞こえ、大きな拍手で迎えられたので感動しました」
やっと平常心を取り戻すと、天に人差し指を突き上げて報告をした。
「この時はもう他界していた祖父に『約束を果たせたよ』と伝えました」
急逝したダービー馬のお墓を訪問
ロジャーバローズはこのダービーを最後に、脚元を痛めて引退。種牡馬となった。すると今年の6月23日には産駒のオーキッドロマンスが準重賞のパラダイスSを勝利。新たな馬生に期待が持たれたが、その僅か2日後の25日、8歳の若さで突然、逝ってしまった。
8月28日、ロジャーバローズにとって終の棲家となった牧場を訪ねた浜中は言う。
「過去のお手馬を牧場に訪ねた事はないのですが、今回は『行かなくちゃ』という気持ちになりました。牧場の方の話だと、食べると寝転がってしまうのが何日か続いたようで、回復手術をして調べたけど原因を究明出来なかったそうです。560キロくらいあった体重は380くらいまで落ちてしまったそうですが、苦しんでいる様子はなかったらしいので、それがせめてもの救いです」
来年生まれるのが最後の世代。僅か5世代の子供しか残せなかったが、浜中は言う。
「自分にとっては特別な馬。良い子が出てほしいし、乗る機会がある事を願っています」
そして、墓前で手を合わせ、改めて感謝の意を伝えた。
「ダービージョッキーになりたいという自分の夢をかなえてくれた事と、おじいちゃんとの約束果たせた事に『ありがとう』と伝えました」
さらにその後、ひと声、かけた。
「淋しくなるけど、ゆっくり休んでください」と……。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)