娘は「9トリソミーモザイク」――医師の宣告に世界が一転、未知の障害がある娘を持つ両親の絶望と再起
高知県に住む近澤莉央(りお)ちゃんは染色体異常を持って生まれた。5歳になった今も、言葉を発することや1人で歩くことはできない。世界で過去に50症例程度しか報告されていないと言われる極めてまれな症例「9トリソミーモザイク」で、この先どこまで成長するかは誰にもわからない。そんな彼女と、出産直後に一家心中を考えたというほどの絶望から立ち直ってきた父と母。家族のありのままの姿を見つめることで、「障害」とはなにかを考えた。
莉央ちゃんが生まれたのは、母の知美さんが38歳の時。切迫早産で予定日の60日前から入院した末でのことだった。1カ月健診で耳の高さや目の大きさが左右で違うと指摘されたことから、染色体の検査をした。3週間後に受けた医師からの宣告が、知美さんを絶望の淵へと追いやることになる。
「9番の染色体に異常があります。9トリソミーモザイクと呼ばれる疾患ですが、症例が少なすぎて私たちにも情報がありません」
ヒトの細胞には46本の染色体があり、それぞれが2本1組の対をなしている。「トリソミー」と呼ばれる染色体異常は、通常は2本の染色体が3本存在することであり、それがさまざまな症状を引き起こす。「ダウン症」と呼ばれるのが21番染色体が3本になる21トリソミーであり、他にも18トリソミー(エドワーズ症候群)や13トリソミー(パトウ症候群)などが知られている。「モザイク」とは、染色体の中でトリソミー細胞と正常な細胞が混ざっている状態をいう。
9トリソミーモザイクは、死産や流産になることがほとんどだ。これまで出産が報告されたのは、世界でも50症例ほどしかないとも言われる。
父の敦史さんは、当時をこう振り返る。
「医療機関から確かなことは何も教えられず、インターネットを検索しても情報はほとんどありませんでした。あったとしても『すぐに死ぬ』とか『合併症を発症しやすい』というような話ばかりで、娘もそうなるんじゃないかと思って、本当に暗くなって」
目が見えるようになるのか、歩けるようになるのか、それどころか、どれだけ生きられるのかも、わからない。途方もない不安と深い孤独感にさいなまれ、知美さんは自身が生活することもままならない状態に陥った。食事はとれず、夜も眠れない。なにをしていても涙が流れ続けた。ひとまず、敦史さんと暮らす高知を離れ、莉央ちゃんを連れて横浜市に住む両親のもとへ帰った。当時を振り返って思い出すのは、実家2階の6畳間で「死にたい」という思いを書き続けたノートだという。
知美さんのブログに、当時の心境がつづられている。
「私は、一生、この子の面倒をみなきゃいけない。私はやりたいことはできない。保育園に行かれないかもしれないから仕事もできない。私は、自分のやりたいこともできずこの子のために生きていくんだって絶望していた」
両親に支えられて産後半年を過ごした後、高知へ戻った知美さんは丘の上の一軒家で敦史さんと莉央ちゃんと共に暮らしている。コロナ禍以前は高知市内の大学病院に定期的に通院していたが、9トリソミーモザイクについて新しく得られた情報はない。いまだに全てが手探りだ。しかし、5年の月日をへていく中で、家族の未来に覆いかぶさっていた絶望は少しずつ解消されてきた。
なによりもの安心は、莉央ちゃんが確かに成長していることだ。ほかの子よりもペースは遅いが、心配された合併症が発症することはなく、動脈管開存症(出生後に動脈管が自然閉鎖しない病気)も治まった。県の療育福祉センターに月に1度リハビリに通い、「PT」と呼ばれる理学療法で歩行や動作の改善、「ST」と呼ばれる言語聴覚療法で咀嚼(そしゃく)して飲み込む練習に励んでいる。関節が外れやすい膝を補強するサポーターや、外反扁平足(へんぺいそく)を改善するための靴のインソールなど、整形外科医による装具を使った治療も試みている。
音の出るおもちゃとお父さんの髪の毛を引っ張るのが大好きで、うれしい時は体をビクビクッと震わせる。ハイハイで進むスピードは年々速くなっており、歩行器があれば歩くこともできる。そして、食べることには目がない。
「好き嫌いもせずにバクバクと本当にいろんな物を食べます。その姿を見ると、『この子は大丈夫やな』って思います」。そう語る敦史さんの表情は明るい。
心配された保育園も、保育士を多く配置してもらうことで自宅近くの施設に受け入れてもらうことができた。発達の遅れがあることで迷惑をかけるのではないか、ほかの園児が仲良くしてくれないのではないか――。こんな心配を募らせていた知美さんだったが、すべては杞憂(きゆう)だった。大人であろうと子供であろうと、まわりの人は莉央ちゃんを莉央ちゃんとして、同じ目線で接してくれた。知美さんはそれによって、かつて自分を苦しめていたものの正体を突き止めた。
「どこかで自分の中に『障害』に対する偏見や差別する心があったってことだと思う。そうじゃなかったら、そんな心配そもそも生まれないと思うんだよね。『障害者がかわいそう』とまでは思わなかったけれど、やっぱりどこか受け入れがたいとか、自分には関係のないゾーンだと思っていたのは事実だと思う」
できることは少ない。ペースだって、明らかに遅い。それでも、立ち上がろうとする。その先を見ようとする。新しいことに果敢にチャレンジし、うまくいかなくても決して諦めない。そんな莉央ちゃんの姿や彼女に向けられる社会のまなざしに、知美さんと敦史さんは固定概念を揺さぶられ、勇気を与えられてきた。2人はいま、こう口をそろえる。「莉央と共に過ごす世界は優しい」
知美さんはかつて、インターネットで「自殺の方法」を検索していたという。今では自分たち家族のありのままを発信することで、情報がなくて苦しんだかつての自分のような境遇にいる人たちに、力を与えたいと願っている。
「なにかができるから莉央を愛おしく思うのでもなく、何もできなくてもこの子が存在してること、自分の人生において自分の命より大事なものがあると感じられることが、幸せだなって思う。この瞬間を自分がどう捉えて、どう感じるかで世界は変わる。この先なにがあっても大丈夫。そう思えるかどうかは、莉央ではなく自分自身の問題だから」
「どこまで成長するかわからない」と言われた莉央ちゃんは5歳になった。家族は幸せに生きている。その事実は、きっと誰かの希望になるだろう。
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本作品は【DOCS for SDGs】にも掲載されております。
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クレジット
監督 / 撮影 / 録音 / 編集 杉岡太樹
ドローン撮影協力 近澤敦史
楽曲提供 paniyolo「家族の字」(SCHOLE)
プロデューサー 前夷里枝
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