祇園祭コラム ~ 消えた山の名前を発見 ~
今年の祇園祭は、後祭に鷹山が196年ぶりに復活することが話題で、いよいよ宵山期間に入り、鷹山が建っている三条新町と三条室町界隈は人でごった返している。
鷹山は文政9(1826)年の大風雨の被害を受けて「休み山」となり、その後、元治元(1864)年の大火によって部材を焼失し、復興がさらに遠のいていた。しかし2015年に保存会が結成され、長年の苦労の末に今年巡行復帰を果たす。
休み山はその名の通り、あくまで休んでいるだけで、いずれは復活する可能性がある場合の呼び方であり、2014年には大船鉾が復帰したのも記憶に新しい。また布袋山という山も休み山として、現在復興へ向けた動きもあるという。
実はこういった休み山以外に、受けた被害の大きさや決定的なダメージから、休み山にもならずに姿を消していった山鉾は多い。
今年は鷹山を含めると前祭、後祭合わせて34基の山鉾数となるわけだが、最盛期はその倍はあったと考えられており、半数ほどがすでにあとかたもなく消えてしまっていると考えていい。
しかし例外もあり、町名などにその痕跡を残すものもある。その事例で紹介できるのが、京都の中京区にある御射山(みさやま)公園だ。南北は東洞院通、東西は蛸薬師通の北東角にある公園で、休日ともなれば家族連れでにぎわう比較的大きな公園といえる。
公園の名前は「御射山町」に由来し、「御射山」というのは信州の諏訪大社の末社である御射山神社に由来するという。かつてこの地域には信州から移住して来た諏訪氏が住んでいたとされ、町内には諏訪社も祀られており、例祭として御射山祭も行われていたという。
このように当初は血縁に端を発し、その後も地域の結束が強かったためか、この地域からはかつて祇園祭には「御射山」という「山」が出ていたことがわかっている。
写真は役行者山で授与されている手ぬぐい(一部)で、この地図はかつての祇園祭に出されていた山鉾を集めたものだが、御射山がしっかり記載されている。
現在の東洞院蛸薬師上ルという場所で、今も人通りの絶えない場所だ。こういった地名からそのルーツを探していくと思わぬ発見があるのも京都らしい。