Yahoo!ニュース

【名古屋市南区】名古屋を再発見!教科書には出てこないディープな歴史スポット3選

土庄雄平愛知深掘りライター(名古屋市)

戦国時代の三英傑を輩出し、有松などに代表されるように東海道の要所として繁栄した愛知県。しかし、歴史の教科書に登場するのはその一部で、隠れた歴史スポットが名古屋市内に点在しているのはご存知でしょうか。

名古屋の歴史や文化を紐解ける、意外と知られていないディープなスポットでは、壮大なドラマに思いを馳せたり、独特の世界観に感銘を受けるなど、ロマンで溢れています。今回はそんな名古屋の中から、南区の歴史名所を厳選してご紹介していきましょう。

笠寺一里塚

江戸時代初期、幕府が主要街道を整備した際、一里(約4km)ごとに塚を築き、その上に木を植えて道しるべとした一里塚。旅人に距離を示しただけでなく、荷物の運賃計算と基準ともなりました。

笠寺一里塚は、愛知県内に現在も残る5つの一里塚のひとつで、名古屋市内では唯一の資料です。かつての東海道の繁栄が偲ばれる場所。当時生きていたわけではないのに、なんだか人の活気を感じられます

生き生きと根を張り、生命力の感じられるエノキの木も見事ですよ。違う区ではありますが、有松の町並みや宮の渡しなど街道史跡と一緒に巡ってみてはいかがでしょうか。

<笠寺一里塚>
住所:愛知県名古屋市南区笠寺町下新町
アクセス:名鉄名古屋本線・本笠寺駅から徒歩約10分

笠寺観音

三英傑の一人、徳川家康公ですが、実は幼少期は波瀾万丈な人生を送っています。それを伝える場所が、南区の「笠寺観音」です。実は織田家の人質だった竹千代(のちの家康公)が、今川家に人質として差し出された場所が、この笠寺観音だったのです。

後には信長→秀吉→家康公へと天下の切符が渡った後は、この笠寺観音は尾張四観音の一つとして名古屋を守護することになります。

人質から天下統一へと数奇な運命をたどった家康公の人生ですが、これも笠寺観音の仏様のご加護によるものと考え、その後も篤く笠寺観音を信仰されました。

ひっそりと南区の佇み、名古屋を見守ってくれている観音様の背後には、安土桃山時代のリアルな歴史が隠れています

<笠寺観音>
住所:名古屋市南区笠寺町上新町83
拝観時間:8:00~16:00(お札・お守りは授与、朱印の方)
拝観料:無料
電話番号:052-821-1367
アクセス:名鉄名古屋本線・本笠寺駅から徒歩約3分

泉増院

笠寺観音は、かつて平安時代の貴族・藤原兼平より寄進を受けて繁栄した大寺院で、十二坊を有する一大寺院だったとも言われています。笠寺観音の向かいにある「天林山 泉増院」も、それを象徴する笠覆寺十二坊の一つです。

密かに有名なのは、この泉増院に、笠寺観音のご由緒ともなった玉照姫(たまてるひめ)の像が祀られていること。

美人だったが故に、妬まれ辛い日々を送っていた玉照姫ですが、雨ざらしの観音様に笠をかぶせてお祈りを続けていると、京都から立ち寄った藤原兼平が玉照姫を見初めて、正妻にしたというシンデレラストーリーが伝わっています。

その後、霊験あらたかな寺院として江戸まで評判が伝わり、なんと徳川家の姫君をはじめとして、多くの参詣者が訪れたのだとか。

<泉増院>
住所:愛知県名古屋市南区笠寺町上新町76
電話番号:0528211366
アクセス:名鉄名古屋本線・本笠寺駅から徒歩約3分

いかがでしたでしょうか。少しディープですが、地元を再発見できる歴史名所が名古屋には多くあります。ぜひアンテナを張って町中を探検してみてくださいね。

愛知深掘りライター(名古屋市)

1993年生まれ、愛知県豊田市出身、同志社大学文学部卒。第二新卒を経験後、愛知へUターンをして、メーカー営業職とトラベルライターを両立。現在は、IT企業に勤務しながら、自然や暮らしに一歩踏み込む、情報発信に精を出す。美味しい地元グルメを探しながら、名古屋市内の色彩豊かな自然を愛でるのがルーチン。 ※12月18日からLINEにて土庄雄平「名古屋深掘りチャンネル」配信スタート!毎週月曜日の10時にお届けします。名古屋のグルメから週末おでかけ情報、ディープなスポットまで盛りだくさん。ぜひ登録してくださいね♪(記事内のリンクは、Yahoo!ニュース エキスパートとの取り組みで特別に設置しています。)

土庄雄平の最近の記事