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なぜ勝てた?理解不能な強さで徳川家康を導いた伝説の戦国武将「水野勝成」紹介

山内琉夢歴史プレゼンター
「福山自動車時計博物館」に展示されている「水野勝成」の蠟人形

水野勝成は、安土桃山時代から江戸時代前期に活躍した戦国武将です。

備前国福山藩(現在の広島県福山市)の初代藩主であり、幕末の館林藩士・岡谷繁実が作成した「名将言行録」には、誰にも止められない暴馬という意味を持つ「倫魁不羈(りんかいふき)」と記されています。

ネット上でも高い人気と知名度を誇る彼には「戦国最強のフリーター」や「戦国最強のニート」など、数多くの異名が存在。今回は、そんな水野勝成の初陣〜青年期について紹介します。

□伝説の初陣

福山城
福山城

水野勝成は、1564年に三河国(現在の愛知県東部)で誕生しました。

戦国時代の最盛期を生きた彼は、幼少期の厳しい環境や修行に耐えぬき初陣から大躍進を果たします。

そんな水野勝成の初陣は16歳のときです。対戦相手は戦国屈指の最強軍団で知られる「武田軍」でしたが、何人もの敵兵を薙ぎ倒して織田軍の勝利に貢献。織田信長にも認められるほどの戦果を残しています。

□徳川家康を勝利に導く男

「福山自動車時計博物館」の展示物
「福山自動車時計博物館」の展示物

1582年、徳川家康の従軍として「天正壬午の乱」に参戦。たった数百の部下を引き連れて、1万もの大群に突っ込み300人の敵兵を討ち取って無事帰還しています。

また水野勝成は、織田信長の後釜を巡って羽柴秀吉と徳川家康が対立した「小牧・長久手の戦い(1584年)」にも徳川軍として参戦していました。

このときの彼は、眼病を患っていたため兜をつけずに出陣していたそうです。これに対して父親・水野忠重が兜をつけろと叱りつけたそうですが、父の言葉を無視して敵軍に突撃。その結果、この戦いで1番の首をとる武功を挙げています。

今回は、戦国最狂の戦士「水野勝成」の初陣〜青年期について紹介しました。

無鉄砲で怖いもの知らずの彼には、父親の部下と口論になり斬りつけて勘当されたエピソードなど、まだまだとんでもないエピソードがあります。それは、またの機会に紹介しましょう。

歴史プレゼンター

歴史ライターとしての活動経験を持ち、今までに32都府県の歴史スポットを巡ってきました。実際に現地へ行くのが難しい方に向けて、取材した歴史スポットについて紹介します。また、歴史に興味をもったことがなかった方にも楽しんでいただけるよう、歴史偉人の意外な一面や好きな食事・おやつの紹介など、ワクワクするような内容をお届したいです。

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