江戸時代の乱行パーティー?当時の盆踊りと性事情を解説
盆踊りは、古来より続く日本文化です。
現在では、「阿波踊り(徳島)や「郡上踊り(岐阜)」など、地方の地域性に合わせて進化したものあり、例年賑わいをみせています。
今回は、そんな「盆踊り」の意外な性欲との関係性を紹介します。
・盆踊りの起源
盆踊りは、盆時期に先祖を供養する神聖な踊り行事です。
ルーツは、鎌倉時代に一遍という僧が広めた「踊り念仏」だといわれています。
踊り念仏とは、念仏で救済される喜びを踊りで表現したもの。激しく踊り狂うため、僧や尼の衣服が肌けるシーンも珍しくありません。
一遍は、この踊り念仏を全国各地で披露し、最終的に日本全国でブームを巻き起こしました。
・大流行と雑魚寝堂の文化
江戸時代になると、未婚男女を1箇所(寺の堂)に集めて一夜をともに過ごさせる風習「雑魚寝堂」が大流行。この「雑魚寝堂」は大晦日の晩に行われるものでしたが、次第に「盆踊り」と結びつき、同時開催されるようになります。
そして、当時の盆踊りは未婚男女の出会いの場として人気を博しました。
一方、既婚者の一時的な肉体関係を築ける場としても提供されており、盆期間に限り不倫も浮気も容認されたため、一部の夫婦はパートナーを交換して性行為をするスワッピングを楽しんだとも…
明治に入ると「雑魚寝堂」は風紀を守る警察の取り締まり対象となり、衰退の一途を辿ることになります。ただ、全国の農山村にまで広まっていたため、風習自体は昭和まで続きました。
その後の盆踊りについては、出雲阿国が披露した「歌舞伎踊り」を通して「歌舞伎」、日本三大踊りの「阿波踊り(徳島)」「郡上踊り(岐阜)」「西馬音内盆踊り(秋田)」へと派生し、日本の代表的な踊りとなっています。
・流行の背景と現在
盆踊りや雑魚寝堂が性的趣向として流行したのは、江戸時代の貞操観念や性への価値観が大きく関わっていました。
例として、江戸時代の仏教は性欲を忌避する存在としていますが、一方で子宝を授かる神聖な行為や感情とも考えられていたのです。上記の名残として、一部の神社仏閣には男根や女性の乳房を模した御神体が設置されていることも珍しくありません。
現在の「盆踊り」や「地方踊り」は、地域のコミュニティとして愛されているほか、外国人人気を集める日本の観光財産としても注目されています。今年の夏も盆踊りを満喫してください。