織田信長が日本で初めて食べた!古王国カスティーリアで愛されたスイーツとは
カステラは戦国時代に日本へと伝わり、大名や姫君に捧げられて急速に普及し、江戸時代以降には一般家庭でも親しまれるようになったポピュラーなお菓子です。
今回は、そんなカステラの歴史を振り返ってみましょう。
鉄砲と同時に伝来!
カステラの歴史は古く、種子島に鉄砲が伝来したのと同時期の16世紀頃にポルトガルから伝わったとされています。
語源はカスティリア(スペイン)王国で生まれたお菓子に由来しており、珍しい南蛮のお菓子だということで瞬く間に日本で普及しました。
現代でも「タピオカ」や「ふわふわパンケーキ」といった珍しいスイーツが登場したときには大ブームを巻き起こすなど、日本人は昔から新商品に目がなかったのかもしれません。
ちなみに、カステラを日本で初めて食べたのは「織田信長」という説があり、甘いお菓子も好んで食べていたといわれています。
滋養・栄養効果
カステラは甘いお菓子にもかかわらず、滋養・栄養効果が期待されていました。
流行してすぐの日本では、卵や砂糖を使用した料理は珍しく、カステラは貴重な栄養源として重宝されていたのです。
こういった背景もあり、江戸時代初期頃までは見舞いの品や贈答品として利用されることも多く、お金持ちや大名、天皇にまで捧げらる一品でした。
蘭学生がレシピを公開
江戸時代中期になるとカステラのレシピが出版され、全国の家庭でも再現されるようになったそうです。
この地方伝播に一役かったのが長崎に遊学していた医学・蘭学の徒たちでした。
南蛮文化の医療・医学を勉強する学生たちは、卵や乳を使用する「カステラの滋養」にいち早く気づき、その効果を広めるために製法を学んでレシピを伝えたとさています。
徳島城では「うどんの粉」でカステラ
徳島城では「うどんの粉」でカステラ
徳島城があった現在の徳島県には、江戸時代中期のカステラに関する記述が残されています。書き残された記述には「うどん粉」の文字があり、一般的なカステラの原料である薄力粉の代わりに用いられていました。
ちなみに「うどん粉」とは、適度な弾力を持つ「中力粉」のことです。なかには、強力粉や薄力粉を使ってうどんを作ることもあるようですが、今回はもっちりとした食感が楽しめるよう「中力粉」を使用しました。
かつては大名や姫君にも愛されたスイーツを、簡単アレンジレシピで挑戦してみてください。
型なしOK!簡単カステラのレシピ
材料
中力粉…100g
砂糖…100g
卵Mサイズ…4個
作り方
1.材料を全て混ぜ合わせる
2.上記の生地をグラタン皿(ココット)に流し込む
3.アルミホイルをする
4.オーブン170Wで、40〜50分焼く
5.あら熱がとれたら完成