【光る君へ】中宮彰子(藤原彰子)の壮絶な生涯。紫式部との出会いでどう変わる?(家系図/相関図)
NHK大河ドラマ『光る君へ』。世界最古の小説『源氏物語』の作者・紫式部(まひろ)(演:吉高由里子)と、平安時代に藤原氏全盛を築いた藤原道長(演:柄本佑)との愛の軌跡を描きます。
まひろの『源氏物語』はついに一条天皇(演:塩野瑛久)の心を動かし始めました。そしてまひろは中宮彰子(演:見上愛)と急接近。
まひろの「殿御はかわいいもの」の言葉は中宮に深く響いたようです。今後、中宮はどう変わっていくのでしょうか?
ドラマでは言葉少なで不思議な中宮彰子は、史実ではどんな人だったのでしょうか。今回は史実で伝わる彰子について書いてみたいと思います。
◆紫式部に「この方こそお仕えすべき人」と言わしめた彰子
◎定子の子・敦康親王には笑顔を見せる彰子
登場したころには、ほぼ自分の意志を表に出すことのなかった彰子。少しずつ変化してきています。
先週(9/1)は、まひろに「冬が好き」「(まわりは、わたしがピンクが好きだと思っているけれど)本当は青が好き」。そして「(天皇が読む)物語を読みたい」と伝える場面が描かれました。
また、定子の子である敦康親王(演:池田旭陽)にこっそりお菓子をあげたりする茶目っ気ある彰子の姿も。
シチュエーションはやや異なりますが、『源氏物語』の藤壺と光源氏には、彰子と敦康親王のことが反映されていそうです(彰子は「藤壺中宮」ですし)。
彰子と親王は、少しずつ親子としての絆を深めていったと考えられています。
◎『紫式部日記』に描かれた中宮彰子
1008年、彰子は入内して9年後、21歳になってようやく懐妊します。
そんなにも長い間、天皇の外戚を狙う道長や周囲からの「子を産め」というプレッシャーに耐え続けたのです。
やっと懐妊しても当時の出産は命がけ。無事出産できるか、さらにその子が男子であるかなど、次々と目の前にハードルが登場します。
彰子の初産は、30時間以上もの難産だったといいます。控えめでいつも人を気遣い、苦しみに耐える彰子。
紫式部は「このつらい世の中においても、このような方こそ、お仕えすべき方」だと確信を得て、『紫式部日記』に記しています。
式部は『源氏物語』の作者として充実した女房生活を送りつつも、ふと「世の無常」を想い、家に引きこもるような人。(弟が言うところの「根暗」なのかもしれません…)
そんな式部が『紫式部日記』終盤ではしっかりとプライドを持った女房に成長するのは、それは彰子のような「思わず支えたくなる主人」と出会えたからなのでしょう。
◆権力者の父に見せた意外な意志の強さ
◎自分の子より定子の子・敦康親王を優先した彰子
彰子は、敦成(あつひら)親王(のちの後一条天皇)を出産。翌1009年に続けて敦良親王(後朱雀天皇)も産み、一条天皇との仲の良さが伝わります。
彰子は天皇と知的な会話の出来る后でありたいと、紫式部に漢詩を学んでいました。そんな中宮のいじらしい努力が天皇に通じたのでしょう。
こうして彰子の後宮での地位は揺るがないものとなりました。
ちょっとわかりづらいので、家系図(役職付)を載せますね!
1011年、病に倒れた一条天皇は譲位を考えるようになります。
定子の産んだ敦康親王を次の春宮にと希望しますが、道長と行成(演:渡辺大知)に阻まれ断念。
それに対して彰子は怒りをあらわにします。彼女は定子の産んだ子が天皇になるべきだと考えていたのですね。
彰子が1008年に最初の出産をした数か月後には、定子の兄である伊周(演:三浦翔平)と親族が、道長と彰子を呪詛したことが発覚する、という事件がありました。
伊周は謹慎後許されるも、1009年敦良親王が生まれると、失意のまま翌1010年に37歳で薨去。
伊周のしたことはもちろん許されるべきではありません。それでも彰子は、敦康親王にも定子にも、もしかしたら伊周にも同情していたのかもしれません。
彰子は父道長と敵対し、父に唯一対抗できる藤原実資(秋山竜次)に急接近。中宮彰子と実資の取次は、紫式部が勤めたと伝わります。
式部は『紫式部日記』に記したように、中宮彰子を支え続けたのです。
◆祖母・母・彰子の長生きの理由
◎全員80overの超長生き家系
一条天皇は31歳の若さで亡くなり、彰子は24歳で寡婦となりました。しかし彼女は非常に長生きで、87歳まで生きます。
母の倫子は90歳、祖母の藤原穆子(演:石野真子)も86歳まで生きました。
彼女たちが長生きだったのは家系以外にも理由があると感じます。その理由とは何でしょうか?
道長と倫子の結婚は不釣り合いで、道長はいわゆる「逆玉」だといわれます。この結婚を決めたのは母穆子だとするのが定説です。
倫子を一条天皇に入内させようとする夫に猛反対して、摂関家の五男という微妙な立場の道長に娘を嫁がせた彼女は、ドラマのように、なかなか強い奥方だったのでしょう。
倫子もドラマ同様よくできた妻で、最高権力者の道長も、倫子には頭が上がらなかったようです。
『紫式部日記』には「わたしのようないい夫をもって倫子は幸運だ」という道長にあきれて、席を立ってしまった倫子。慌てて妻を追いかける道長の姿がしっかりと書き留められています。
◎母と祖母の共通点
倫子とその母穆子に共通するのは、どっしりと構えていること。決して良い条件の婿とはいえない道長の出世を信じた穆子も、道長を完璧にサポートした倫子も心の奥に「揺るがない」ものを持っています。
2人には、世間の幸せにとらわれず、おのれの信じる道を行く肝の座ったところがあるように見えます。
女性の生き方が大きく制限され、生きづらかった時代に、自らの幸せを切り開き、自らの選んだ夫を出世させるような女性には、こういった「芯の強さ」がありそうです。
それこそが彼女たちの長寿の秘訣だとしたら、彰子にもそういった点があるでしょうか?
◎パワーアップしていく彰子
彰子は、今後人生の岐路に立つたびにどんどんパワーアップしていきます。
きっかけはやはり、皇子を産んだこと。一条天皇という伴侶を得て彼女は強くなったのだと考えられます。
彼女は入内から70年以上も後宮に君臨して存在感を保ち続けます。
道長亡き後の彼女は、摂関家を支える存在だという自覚が芽生え、子どもや弟妹たちをサポートするゴッドマザーとなっていくのです。
わかりやすくシンプルな家系図もどうぞ!
だからといって彼女は身内のみの私利私欲に溺れるようなことはなく、政敵を許す懐の大きさもある人でした。彼女は没落した中関白家(道長の兄・道隆やその子伊周たちの家)にも贈り物をするなど、交流を続けたと伝わります。
「やさしく強く」が長生きの秘訣なのかもしれませんね。
(イラスト・文 / 陽菜ひよ子)
◆主要参考文献
紫式部日記(山本淳子編)(角川文庫)
ワケあり式部とおつかれ道長(奥山景布子)(中央公論新社)
フェミニスト紫式部の生活と意見 ~現代用語で読み解く「源氏物語」~(奥山景布子)(集英社)