【青酸連続殺人】なぜ被害は拡大したのか?
青酸化合物による3件の殺人と1件の強盗殺人未遂の罪に問われていた筧千沙子被告(70)に、11月7日、死刑判決が言い渡されました。
この事件の詳細は、すでに多くのメディアで報じられているので省略しますが、実際にはこの裁判で『被害者』とされた4人のほかにも、少なくとも筧被告の身近にいた関西圏の4人の男性が不審な死を遂げていることが明らかになっています。
それにしても、なぜ、ここまで被害が広がってしまったのでしょうか?
もちろん、人を殺めた犯人に責任があるのは言うまでもありません。しかし、警察が1人目で本当の死因をつきとめ、しっかり捜査をして犯人を逮捕していれば、第2、第3の被害者は絶対に生まれなかったはずです。
身近な関係者の「供述」に惑わされたり、先入観から「病死」や「事故死」と判断し、長年にわたって連続殺人犯を野放しにした捜査機関の過失は非常に大きいといえるでしょう。
大半の死者は「事件性なし」で処理
今回の連続殺人事件が最初に発覚した京都で、犯人が逮捕される前からこの事件の推移を見てきた京都府医科大学法医学教室の池谷博教授は、現状の死因究明システムについてこう指摘します。
「現在の日本の警察は、死体の外表や現場に特に不審なところが見つからなければ『事件性なし』と安易に判断し、司法解剖には回しません。最終的に死因を特定するのは医師の仕事ですが、検案を行う警察医も、法医学的な検査ができないまま、『病死』や『自殺』として死体検案書を作成せざるを得ないのが現状です」
日本の司法解剖率の低さについては、すでに<交通事故>あなたの地域は大丈夫!? 都道府県別の解剖件数を一挙公開でも執筆しましたが、筧千沙子被告の周辺で死亡した夫や交際相手8人のうち、司法解剖されたのはわずか2人でした。
かつて警察庁は国家公安委員会に対して「5年程度で法医解剖率を20%に引き上げ、将来的には50%を目指すことが望ましい」と報告していましたが、予定の5年が過ぎた現在も、法医解剖率は約11%にとどまっており、逆に死因究明に関する予算は減らされ、解剖数自体も減少傾向にあるといいます。
池谷教授は現場から現状を訴えます。
「ひと昔前なら、若い人や既往症のない人、また、屋外で発見された変死体はまず解剖にまわされていました。ところが、京都では今回の事件でたまたま検視のときに青酸が見つかったため、逆に『薬物検査さえしておけばよい』という風潮が広がってしまい、解剖率は上がるどころか、最近は極端に減ってしまいました。ちなみに京都府内の昨年の法医解剖率は6.11%と、近畿圏で最低です。国の方針を受けてせっかく解剖医を増やしたのに、このままでは減らさざるを得ないのが現状です。死体を外表から見ただけで、死因を正確に診断することはできません。特に、今回の事件のように、犯行に薬毒物が使われている場合は、血液や尿の検査は不可欠なのです」
不十分な薬毒物検査
しかし、たとえ血液や尿が採取されても、日本の警察が主に行っている薬毒物検査では極めて不十分だと、池谷教授はさらに警鐘を鳴らしています。
「実は、現在行われているのは、たいていの場合『トライエージ』という簡易薬毒物検査だけで、わずか8種類の薬物しか検査できません。本事件で筧千沙子被告が使った青酸化合物や、ヒ素、農薬なども、特殊な検査をしなければ検出できないのです。しかも『トライエージ』は死体用のキットではないので、正確な判定ができているのかどうかも定かではありません。また、鎮痛剤や睡眠薬などの常用薬物による殺人は、過量の薬物が検出されて初めて犯罪が認知できるので、定量検査、つまり血液中の薬物の量を検査しなければ意味がないのです」
諸外国の場合、解剖率が高いだけでなく、遺体から採取した血液や尿は冷凍庫で長期保管しており、後になって連続殺人が疑われるような場合でも再検査が可能です。
しかし、日本ではそれらを保管する場所も費用もなければ、それを規定する法律もありません。
外国人ジャーナリストが「This is crazy!」と驚愕
日本の現状を重く見た池谷博教授は、科学雑誌『NATURE』(2014.3.20号)に寄稿し、
「日本の解剖率は先進国の中で最も低く、ほとんどの死因は百年前と同じく目視で決められている」
と主張しました。
すると、この論文を読んだニューヨークのジャーナリストからすぐに「This is crazy!」という驚愕のメッセージと共に、取材の依頼が入ったそうです。
外国から見れば、今回のように同じ薬毒物を使用した連続殺人事件が発生すること自体、信じられないのでしょう。
「先に死刑が確定した木嶋佳苗死刑囚による連続不審死事件、睡眠薬を使った鳥取連続不審死事件など、いずれも複数人殺されないと事件が発覚しないのはなぜでしょうか。また、本件も含め、事件が発覚しても証拠がないため、全ての被害者に対する容疑で犯人を起訴できていないのが現実です。人ひとりが不審な死を遂げているのです。きちんと解剖を行って捜査を尽くす姿勢が必要ではないでしょうか。犯罪見逃しの原因がどこにあるのかは、明らかだと思います」(池谷教授)
法医学的な調査をせずに死因を見極める今のシステムのままでは、また犯罪が見逃され、同様の事件が繰り返されてしまいます。
日本の捜査機関は専門家からの具体的な指摘を真摯に受け、死因究明の制度改革に急いで取り組んでほしいものです。