中国は北にどこまで経済制裁をするか?
北朝鮮が核実験に踏み切れば中国は完全「断油」を考えている。だから北朝鮮は小規模なミサイル試射に留めている。米国も手詰まりの中、中国の制裁に期待するしかない。中国が推進する辺境貿易の特殊性を分析する。
◆中朝貿易には政府レベルと辺境レベルがある
中朝貿易を大きく分けると、中国政府が認可した企業が行う「一般貿易」と、国境周辺の地方人民政府が許認可権を持っている「辺境貿易」の二種類がある。北朝鮮に関しては、吉林省延辺朝鮮族自治州など、北朝鮮と国境を接する地域が辺境貿易地区と指定されている。
辺境貿易は北朝鮮に限られたものでなく、1989年6月4日の天安門事件などを受けて頓挫した改革開放路線に対して、業を煮やしたトウ小平が1992年に市場経済の号令をかけたことから始まる。
1992年初頭、国務院は13の都市を「辺境貿易都市」として指定した。その主たるものは黒竜江省の黒河、吉林省の琿春、内蒙古の満州里…などがある。1994年には「中華人民共和国対外貿易法」第八章第四十二条に明記し、その後激しい勢いで発展していった。
ひところテレビでよく見られたロシア国境でのごった返した市民レベルの貿易や北朝鮮国境の延辺などにおける光景が、その最たる例である。本来は20キロ以内となっていたが、どんどん広がっていき、2000年には中朝貿易は、たとえば一般貿易「90」に対して辺境貿易は「3,000」に達するに至っている。
◆文革期における紅衛兵による金日成罵倒――罪状20項目
朝鮮戦争(1950年~53年)以降における中朝関係が非常に険悪なものだったことは4月25日付の本コラム<中朝同盟は「血の絆」ではない――日本の根本的勘違い>に書いたが、その後の文革期(1966年~76年)における北朝鮮の存在は、「敵国」さながらのものとなっていった。
毛沢東を崇拝する紅衛兵たちが、金日成(キムイルソン。金正恩の祖父)を走資派あるいは逃亡派として血祭りに上げ始めたのだ。
走資派というのは、主として金日成が背広を着ていて黒メガネをかけ、かつ男女関係が非常に乱れていたといった種類のことが批判対象となっており、逃亡派というのは、旧ソ連との間の中ソ対立が激しい中で、「金日成は敵国ソ連に逃亡した売国奴だ」という類いのものだ。それも日中戦争中、中国東北における抗日聯軍を毛沢東の力を得て組織しながら、中国共産党の第一路軍や第二路軍などを引き連れて1940年にソ連に逃亡したということが大きな罪状として挙げられた。
おまけに筆者が住んでいた吉林省長春市の食糧封鎖(1947年~48年)の包囲に配備されていた朝鮮人八路(第八路軍)を新中国誕生(1949年)とともに朝鮮に帰国させている。その後彼らを粛清し、朝鮮戦争で中国人民志願軍が血を流した事実を侮辱したなど、罪状は20項目に及び、激しい金日成批判運動が展開された。北朝鮮も負けていず、国境の鴨緑江(おうりょくこう)を挟んで、互いの罵倒合戦が展開されたほどだ。
中朝貿易どころの騒ぎではない。
◆ソ連崩壊で中国に接近――中国は北朝鮮の後ろ盾なのか?
そんなわけで中ソ対立の間、北朝鮮はおのずと旧ソ連との距離を縮め、経済支援だけでなく、ミサイルや核開発に関するノウハウを仕入れた。1991年12月に旧ソ連が崩壊すると、今度は中国に接近しようとしたが、1992年8月に中国が韓国と国交樹立。まだ休戦協定中で朝鮮の南北戦争が終わっていない状況において北朝鮮にとって、韓国は戦争中の敵国だ。その韓国と国交樹立したことに激怒した北朝鮮は、「それなら『中華民国』と国交を樹立してやる!」と中国を脅した。
トウ小平は「やるなら、やってみろ!北朝鮮と国交を断絶してやる!」と北朝鮮を威嚇。
根を上げた北朝鮮だったが、「それなら経済援助を強化せよ」という威嚇外交を中国に突き付けたのだ。
「それなら改革開放をしろ!」と要求する中国に対して、北朝鮮は応じなかったが、少しずつ歩み寄りの姿勢を見せ始めた。
◆北朝鮮との辺境貿易は「改革開放」を促す手段
そこでトウ小平は改革開放の良さを思い知らせるために、辺境貿易を促進し、北朝鮮庶民の商売根性を刺激した。90年代の中国庶民の「銭への爆走」のエネルギーが、こんにちの中国の経済繁栄をもたらした原因の一つになっているが、金正日(キム・ジョンイル)は胡錦濤政権時代に改革開放に興味を持ち、中国を視察している。
この時代は、中国はまだ何とか北朝鮮をコントロールできた。
◆北朝鮮の核・ミサイル開発と中朝貿易――北の対中依存度90%に
北朝鮮は早くも1994年6月に国際原子力機関(IAEA)からの脱退を宣言している。それに対してアメリカは懐柔策を採り、「米朝国交正常化への道筋の枠組み」を条件にしながら「北朝鮮国内での核開発の凍結」を約束させた。ところが北朝鮮は核開発を凍結してはいなかった。そこから一気に今日までの状況に至るが、3月17日に来日したティラーソン米国務長官が「アメリカの、ここ20年間の対北朝鮮政策は失敗だった」と言ったのは、この辺の状況を指したものだろう。
国連における経済制裁や韓国のパククネ政権時代の開城(ケソン)工業団地閉鎖などに伴い、2010年前後までは対中依存度が約50%程度だった北朝鮮の貿易は、今では対中依存度90%にまで達していることが分かった(WTOデータなど)。
中国が政府として一定程度の経済制裁をしていてもなお、貿易額が減少せず、あたかも北朝鮮の経済を中国政府として支えているように見えるのは、この辺境貿易があるからだ。
一党支配体制で絶対的ヒエラルキーがあるはずの中国で、なぜ政府の命令に逆らって辺境貿易がはびこるのかという疑問があるが、これは「なぜ国有企業の構造改革ができないのか」という疑問と同じで、回答はただ一つ、地方人民政府の力が強いからだ。
改革開放に当たって、トウ小平は地方人民政府同士を競争させた。文化大革命で、中国経済が壊滅状態にあり、国の財産があまりに乏しかったからである。そのため地方人民政府による偽装GDPの中央政府への報告という現象も起きたが、実は中国は地方政府がまるで「一国一城の主」のような要素を持っているというのが、中国の他の一面でもある。一党支配体制では想像しにくいかもしれないが、中国経済に致命的な供給側の構造改革が進まない理由もそこにある。
同様に、「銭に向かって突進してしまった庶民のエネルギー」は、辺境であればあるほど、まだまだそのポテンシャルは高い。網の目のようにくまなく浸透してしまった辺境貿易を全て取り締るのは、容易ではない。
最近、中央テレビCCTVでは、中国政府が禁止した無煙炭の輸入を未だにこっそりやっている小規模企業の経営者の摘発などを盛んに報道している。逮捕された若い経営者が「禁止されているなんて知らなかった」と告白する場面をクローズアップすることもあれば、「取締りがもっと厳しくなるだろうから、今のうちに輸入して金儲けをしておきたいと思った」などという告白もある。そのため、かえって貿易額が増加している品目もある。
核兵器製造に必要とされる物品の輸出に関しては、中国は早くから禁止しているが、その法の網を潜り抜けて大企業に成長した「遼寧鴻祥実業発展公司」の経営者・馬暁紅が中米両国の協力で昨年逮捕されたことは象徴的だ。
◆第6回目の核実験がなくても中国は石油を止めるべき
トランプ大統領の褒め殺しによって追い詰められた習近平国家主席は、いよいよ決断の時が来たはずだ。
ティラーソン米国務長官は27日、「中国が北朝鮮に対し、『再び核実験を行えば独自制裁を科す』と警告したと、アメリカ側に伝達した」と語った。
その独自制裁とは「石油の北朝鮮への輸出を断つこと」であろう。
これを中国語では「断油」と称する。中国は「北朝鮮を支援したくて『断油』に踏み切らない」のではない。あくまでも戦略的理由で止めないだけだ。北朝鮮の崩壊の仕方によっては、崩壊した後の北朝鮮への影響力に影響が出てくるので、あくまでも中国の影響下にある「緩衝地帯」としての北朝鮮を残しておきたいだけなのである。金正恩(キム・ジョンウン)政権になってからの北朝鮮を、中国はもはや守ろうとは思っていない。習近平政権になってから中朝首脳会談が行われてないことからも、それは歴然としている。
もし、アメリカが斬首作戦で、「他に影響をもたらさずに!」金正恩だけの命を狙えるならば、それは米中連携の下でなら容認するだろう。核・ミサイル施設へのピンポイント攻撃ならば中国は軍事介入はしないと宣言したのと同じ状況だ。
しかし、どんなにピンポイントであれ、ひとたび「武器を使う」という手段に出たからには、韓国や日本へのミサイル攻撃は不可避と言っていいだろう。
中国は「戦争だけは絶対に反対する」と言い続けている。
ならば、次の核実験を待たずに、「断油」を断行すべきだ。
それによって北朝鮮が暴発し、結局、戦争になる可能性もあるにはある。それでも日米韓が連携している間に、そして米中蜜月が存続している間に、徐々にでも「断油」に踏み切れば、金正恩を会話のテーブルに引き出すことも、不可能ではないかもしれない。
ただし、北朝鮮が核拡散防止条約(NPT)に加盟することが絶対的な前提条件だ。これ以上、核・ミサイル開発をやらないことを取りつけるまで、中国が「断油」を実行する以外にない。石油は辺境貿易ではないので、中国政府の決意一つでできるはずだ。
人道的に、などという弁明など、もう、している場合ではない
北朝鮮はロシアに走るだろうが、そこは日露の連携に期待したい。