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中国共産党には日本に「歴史問題を反省せよ」という資格はない 中国人民は別

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
中国共産党党旗(写真:ロイター/アフロ)

 8月15日、日本の現職閣僚が靖国神社に参拝したことや岸田首相の全国戦没者追悼式における式辞などに関して、中国では「日本は依然として戦争を反省していない」という批判が沸き起こっている。

 一般中国人民がそれを言うならまだ理解できるが、中国共産党にだけは、日本に反省を促す資格はない。なぜなら日中戦争中、毛沢東は日本軍の侵略行為を利用し、日本の外務省在外公館と接触して、日本と戦っている国民党軍を弱体化させるためのスパイ活動をしていたからだ。

 中華民族を裏切っていたのは毛沢東、その人である。

◆中国外交部の発言

 2024年8月15日、中国外交部の記者会見で林剣報道官は、日本の共同通信社の質問に対して、おおむね以下のように答えている

質問:日本の岸田首相は15日、自民党総裁の名義で靖国神社に「玉串料」を奉納し、日本の木原防衛大臣、新藤経済再生大臣などの閣僚や何名かの国会議員も靖国神社に参拝した。これに関して中国はどのような見方をしているか?また日本側に抗議するつもりか?

回答:79年前の今日、日本はポツダム宣言を受け容れ、無条件降伏を宣告した。中国人民は世界人民とともに、日本軍国主義侵略者とファシスト主義を倒し、偉大な勝利を収めた。この歴史的な瞬間は国際社会に永遠に刻まれるだろう。

 靖国神社は日本軍国主義の侵略戦争の精神的道具であり象徴であり、そこには第二次世界大戦のA級戦犯が祀られている。靖国神社問題に関する一部の日本の政治家の行動は、歴史問題に対する日本の誤った態度を再び反映している。中国は日本に対し厳粛な申し入れをし、厳正な立場を表明した。

 中国は日本に対し、侵略の歴史を直視・反省し、靖国神社などの歴史問題についての言動を慎み、軍国主義と完全に決別し、平和の道を歩むことを求める。実践的な行動があってこそ、アジアの近隣諸国や国際社会の信頼を得ることができる。

◆中国共産党傘下の「環球時報」の論評

 中国共産党機関紙「人民日報」姉妹版の「環球時報」電子版「環球網」は8月15日、<日本メディア:敗戦当日の岸田文雄の最後の式辞は、基本的に安倍式辞のコピー、第二次世界大戦の「反省」には触れなかった>という見出しで、日本政府の「歴史の反省」に関する欠如を批判した。報道はあくまでも「日本メディアはどのように報じているか」が主要な内容だが、中国が何に強い関心を持っているかが分かるので、以下に略記する。

 ●(日本の報道)によると、安倍首相は2012年に2度目の就任後、前首相の演説の内容を変更したという。2013年8月以降、日本の首相は全国戦没者追悼式典での式辞で第二次世界大戦の「反省」に言及しておらず、安倍氏が退任した後、菅氏と岸田氏の式典での式辞は、安倍氏の演説にほぼ追随するようになった。   

 ●一方、今年は岸田首相の式辞の終盤部分に、過去2年間の式辞に比べて若干の変更があったという。安倍氏が提唱した「積極的平和主義」を引き継ぐのではなく、米国がよく口にする「法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序」に言及した。

 ●それに対して、今年の全国戦没者追悼式での天皇陛下の式辞はあまり変わっておらず、「戦争への深い反省」に言及している。

 ●岸田首相は8月15日、自民党総裁の名義で代理人を通じて靖国神社に「玉串料」を自費で奉納した。靖国神社は、日本の軍国主義者が外国に対して侵略戦争を開始した霊的な道具であり象徴であり、第二次世界大戦のA級戦犯14人を祀っている。(環球網からの引用は以上)

 環球網はまた8月15日、<国際識局:敗戦・降伏の日、日本の一部の政客(せいかく)は「霊を崇め」、岸田首相も同様に動いた>という見出しで、「日本の政治家が靖国神社に参拝するのは、自分の政治的姿勢を国民に見せることによって、自らの政治生命を維持しようとするためだ」という趣旨のことを書いている。

◆習近平政権になってから毎年発表される「中国共産党こそが抗日戦争の柱」

 習近平政権になってから、「中国共産党こそが抗日戦争の柱石だった」という主張が全面的に押し出されるようになった。

 たとえば2014年9月3日の「共産党員網」は中共中央党史研究室による<中国共产党是全民族抗战的中流砥柱(中国共産党こそは全民族による抗日戦争の柱石だ)>という論考を発表し、2015年9月2日にも同じタイトル<中国共产党是全民族抗战的中流砥柱(中国共産党こそは全民族による抗日戦争の柱石だ)>を中国共産党機関紙「人民日報」の電子版「人民網」が発表している。

 これはその後も毎年発表され、たとえば今年は7月6日に同じタイトル<中国共产党是全民族抗战的中流砥柱(中国共産党こそは全民族による抗日戦争の柱石だ)>で、中共中央党史・文献研究院が発表しており、内容も同じだ。

 習近平としては、中国共産党が如何に偉大であるかを強調することによって、全国の統治を堅固なものにしたかったからだろう。

◆毛沢東は日本軍と共謀していた!

 しかし、中国共産党によるこれらの主張は全く虚偽のものだと断言することができる。

 なぜなら毛沢東は日中戦争の間、日本軍と密かに連絡し合い、国民党を弱体化させることしか考えていなかったからだ。

 日本が中国と戦争をしていた時の中国は国民党が政権与党である「中華民国」で、毛沢東は何としても国民党軍を率いる蒋介石を倒し、自分が天下を取って共産党による「新中国」を誕生させようとしていた。

 だから日本が「中華民国」の国民党軍と戦ってくれるのは、毛沢東にとっては非常にありがたいことで、上海に駐在し「岩井公館」を運営していた日本外務省系列の岩井英一氏の下にスパイを送り込んでいたのである。

 このことは2015年11月16日のコラム<毛沢東は日本軍と共謀していた――中共スパイ相関図>で詳述した。当該コラムと重複するが、拙著『毛沢東 日本軍と共謀した男』に掲載した「スパイ相関図」をご覧いただきたい。

筆者作成(『毛沢東 日本軍と共謀した男』より)
筆者作成(『毛沢東 日本軍と共謀した男』より)

 「スパイ相関図の」左側には毛沢東の密令により動いた中共スパイの代表的な人名と命令系統が書いてあり、右側には中共スパイが接触した日本側組織や個人名が書いてある。接触した目的は、蒋介石率いる重慶「国民政府」の軍事情報を日本側に高値で売ったり、日本軍に和議を申し込んだりするためだ。

 1939年、毛沢東は潘漢年(はんかんねん)という中共スパイを上海にある外務省の出先機関「岩井公館」に潜り込ませ、岩井英一(当時、上海副領事)と懇意にさせた。

 潘漢年は中共中央情報組特務(スパイ)科出身のスパイのプロだ。

 岩井公館には「五面相スパイ」と呼ばれた世紀のスパイ袁殊(えんしゅ)が、中共スパイとして早くから潜り込んでいた。潘漢年はこの袁殊に頼み、岩井英一と面会。その後、国民党軍の軍事情報を日本側に提供し続けた。その見返りに高額の情報提供料を岩井から受け取っている。

 くり返すが、日本が戦っていたのは、重慶に首都を移した蒋介石が率いる「中華民国」国民政府(国民党の政府)だ。その軍事情報を得ることができれば、日中戦争を有利に持っていくことができる。

 なぜ、潘漢年が国民党の軍事情報を詳細に持っていたかというと、それは1936年12月に毛沢東が策略した西安事変により、第二次国共合作(国民党と共産党が協力して日本軍と戦う)が行われていたからだ。

 毛沢東の右腕だった周恩来(のちに国務院総理)は、この国共合作のために重慶に常駐していたので、国民党軍の軍事情報を得ることなどは実にたやすいことだった。

 日本の外務省との共謀に味をしめた毛沢東は、一歩進んで日本軍と直接交渉するよう、潘漢年に密令を出している。

 ある日、岩井は潘漢年から「実は、華北での日本軍と中共軍との間における停戦をお願いしたいのだが……」という申し入れを受けた。これは岩井英一自身が描いた回想録『回想の上海』(「回想の上海」出版委員会による発行、1983年)の中で、岩井が最も印象に残った「驚くべきこと」として描いている。

 潘漢年の願いを受け、岩井は、陸軍参謀で「梅機関」を主管していた影佐禎昭(かげさ・さだあき)大佐(のちに中将)に潘漢年を紹介する。潘漢年は岩井の仲介で南京にある日本軍の最高軍事顧問公館に行き、影佐大佐に会い、その影佐の紹介で日本の傀儡政権であった国民党南京政府の汪兆銘主席に会う。

 汪兆銘政権の背後には軍事顧問として多くの日本軍人がいたのだが、潘漢年は都甲(とこう)大佐にも会い、中共軍と日本軍との間の和議を申し込んでいる。

毛沢東は希代の策略家だ。

 もくろみ通りに日本敗戦後から始まった国共内戦において成功し、蒋介石の国民党軍を台湾敗走へと追い込んでいる。その結果毛沢東は、1949年10月1日に現在の中国、すなわち中華人民共和国を建国したのである。

 「新中国」=「中華人民共和国」が誕生してまもなく、毛沢東は自らの「個人的な」意思決定により、潘漢年や袁殊など、毛沢東の密令を受けてスパイ活動をしていた者1000人ほどを、一斉に逮捕し投獄する。実働した者たちは毛沢東の「日本軍との共謀」という策略をあまりに知り過ぎていたからだ。

 習近平の父・習仲勲も、似たような時期に、今度は鄧小平の陰謀によって16年間も投獄されるのだが(詳細は『習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』)、その習近平が結局は毛沢東と同じように、中国共産党の歴史に関する虚構を強調するのは、なんとも皮肉ではないだろうか。

 いずれにせよ、かつて日本軍が中国人民に災難をもたらしたのは確かであっても、中国共産党には「日本はいつまでも反省しない」と言う資格はない。自らの真相を認めてから言うべきだろう。

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『中国「反日の闇」 浮かび上がる日本の闇』(11月1日出版、ビジネス社)、『嗤(わら)う習近平の白い牙』、『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。

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