【春日部市】春日部の由来になったあの武将が眠る寺
春日部市はかつては粕壁宿(かすかべしゅく)と呼ばれ、日光街道及び奥州街道の宿場町として栄えました。朝に江戸からきた旅人が夕刻頃に粕壁宿に辿り着き宿をとったと言われています。
春日部市内、特に春日部駅東口周辺にその名残のある歴史ある建物や施設も多く「粕壁宿めぐり」としてそれらを巡るツアーが催されたりもしているんです。そんな歴史のある粕壁宿の中から今回は「最勝院」というお寺をご紹介させていただきます。
最勝院は新義真言宗智山派の寺院で、華林山最勝院慈恩寺というそうです。この最勝院のある一帯は粕壁でも「寺町」と呼ばれていて、他にも付近には妙楽院・成就院・玉蔵院・普門院などの寺院があり「粕壁宿」と呼ばれた当時の粕壁の面影を残しています。
最勝院:本堂
こちらが本堂です。お庭はキレイに整備されていて木々も豊かです。交通量の多い道に面していますが、境内にいるとそれを忘れてしまうくらいに静かで落ち着いた雰囲気に包まれます。秋には銀杏の木から落ちた葉っぱで地面が黄色く埋め尽くされ、春には数種類の桜が咲き、訪れる人も多く隠れた桜の名所であるとも言えます。
最勝院:春日部重行公の墓
本堂の左側に鳥居があります。この鳥居の先にも道がありましたので行ってみました。先はそれなりに広かったです。明治時代には粕壁小学校や粕壁税務署などにも利用されたという記載もありました。広い境内は大相撲の地方巡業やサーカス、武道大会も開催されていたようです。まさに当時の粕壁の中心だったんですね。
鳥居をくぐって少し行くとそこには小さな丘がありました。この墳丘は、春日部八幡神社を創建した春日部重行公を葬ったものといわれているということです。春日部重行公は、南北朝時代に後醍醐天皇を支持し新田義貞に仕え戦った武将で、春日部市の祖とされいます。そして春日部の名前の由来とも言われています。
千住馬車鉄道開通の碑
1893年(明治26年)に開通した馬車の鉄道「千住馬車鉄道」は、現在の国道4号線千住新橋から越谷市を通り、現在の春日部市粕壁三丁目の最勝院付近まであったと言われています。最勝院から古利根川沿いに南下するとある古利根公園橋に千住馬車鉄道開通の碑があります。
他にも徳川三代将軍家光公の遺骸を日光に埋葬する際、一時安置していたなど、様々なエピソードが最勝院にはあります。歴史上重要な役割を果たしてきたということですね。
春日部市の歴史を語る上で欠かせない「最勝院」のご紹介でした。
「最勝院」
〒344-0061 埼玉県春日部市粕壁3丁目9-20
電話番号 048-752-3274
春日部駅東口から徒歩約15分