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プロ選手、代表として。柳田将洋が見てきたミハウ・クビアクの姿。「彼は世界でも稀有な存在」

田中夕子スポーツライター、フリーライター
柳田にとって初めてのW杯は15年。ポーランド戦ではクビアクに向けサーブを打った(写真:アフロスポーツ)

パナソニックで見せつけられた影響力

 さかのぼること8年前。柳田将洋が初めて出場した2015年のワールドカップの印象は鮮烈だった。

 広島でのエジプトとの開幕戦は人気もまばらで、スタンド席の空席を隠すべく、ところどころに黒い布がはられていた。だがフルセットで日本が勝利した翌日には黒い布の範囲が少なくなり、3日目のオーストラリア戦では布自体が消えた。3対1で勝利したことも加わり、4日目のカナダ戦からは満員御礼。柳田と共に日本代表の若きエースとして強烈な印象を残した石川祐希の活躍もあったが、身長で劣る分を速さばかりで補おうとするのではなく、しっかりボールを叩いて打つ。そのための高さを活かした丁寧なセットと、セッターがさまざまな選択肢を持てるようなパスの供給。シンプルだが、やるべきことを徹底する。若いスターの誕生だけでなく、見せるバレーの面白さが日本男子バレー人気の復活を後押しした。

 前半7試合を5勝2敗と勝ち越すも、イタリア、イランといった強豪に敗れ、広島から大阪、最終東京ラウンドで対峙するのはさらなる強豪ばかり。中でも柳田にとって「すべての選手がすごかった」と振り返るのが10戦目で戦ったポーランド。そのチームで主将を務めたのがミハウ・クビアクだった。

「日本戦でクビアクはスタメンではなくて、2セット目から出てきたんです。そこで一発目に(自分がクビアクに)サーブを打ったのはよく覚えていますよ。当時のポーランドは紛れもなく世界一のチームで、すごい選手ばかりだったからいい意味でクビアクは目立たず、でも統率していた。それだけでもすごさは伝わってきましたけど、本当の意味で彼の影響力を見せつけられたのは、パナ(ソニック)に来てから。プレーの幅もそうですけど、彼を中心に動いていって、ああいう人が日本に来たら、こんな風になるのか、と見せつけられました」

自分で見せ、周りを動かす強さと凄さ

 同じアウトサイドヒッターとして、プレー面で受けた刺激は計り知れない。他の選手も口を揃えたように「今までの常識を覆した」。柳田にとって、最も印象的だったのは、クビアクが織りなすリズムだった。

「バレーボールは1、2、3と一定のリズムで行うことが絶対の世界ではないと見せてくれた。あえてパスを低くして自分でクイックに入ったり、2本目をセッターが上げるのが当たり前、という常識に彼はとらわれていないから、自分も打つし、フェイクセットもする。相手にとって一番嫌なソリューションは何か、常に考えているからできるんです」

 ただバレーボールをしているだけでなく、相手と対峙して、どういう形で相手を崩していくかを考え、実践する。そこで圧倒的な“個”のレベルを見せつけてきた、と柳田は言う。そして自身も同じプロ選手という立場で、同様に自国以外のリーグでプレーした経験を持つ1人として「自分とは圧倒的に次元が違う」と言いながらも、決して恵まれた体躯を持ち合わせているわけではない中、世界トップで戦い続けるクビアクの強さに敬意を払う。

「世界で戦ううえで自分が小さいということを一番理解して戦っているし、その分の運動量も課している。僕も小さいので、そういう面ではすごくいろいろな視点から感じることがあったし、その時々で変化して、周りも動かすためには絶対的な信頼関係を築く技術がなければできない。ずっと評価がまとわりついて、プレッシャーがあり続ける中でただ結果を出すだけじゃなく、周りにも『あのプレーに合わせないとダメだ』と思わせるのが、彼の強さですごさなんです」

今季はジェイテクトへ移籍、パナソニックのクビアクと何度も対峙した
今季はジェイテクトへ移籍、パナソニックのクビアクと何度も対峙した写真:西村尚己/アフロスポーツ

贅沢だった、で終わらせず「どうつなげるか」

 これまでも日本のⅤリーグで超一流の選手たちがプレーし、強い影響力や印象を残してきた。だが、その誰とも異なる、クビアクは稀有な存在だった。柳田はこうも言う。

「たとえば(マテイ)カジースキ(※15年から18年、19年までジェイテクトSTINGSでプレー)と比べた時、カジースキはまさに高さとパワーを持つTHE世界、という選手で、オポの経験もあり一定のテンポで攻撃を繰り出してくる選手です。じゃあクビアクは、と言うと、もちろんパワーもあるけれど常にここへ来るとはわからないし、テンポも一定じゃない。傾向やデータを取って分析しようとしても、結局どのコースにも打ってくるし、こんな決め方もある、と次々出てくる。そういう相手と対峙する時は手探りでしかなくて、ラインを空けたらティップもあるし、クロスを締めても超クロスにも打ってくる。指先も狙えるし、中にも切り込んできて、リバウンドを取ってからの攻撃も選択肢の数が違う。あの幅は圧倒的で、しかもそれを感覚ではなく考えてやっているというところが、世界でも稀有な存在ですよね」

 自分がベストパフォーマンスを発揮し、チームを勝利に導く。そこに加えて、共に戦う周りの選手も底上げする。クビアクが日本にいた7シーズンはまさにその繰り返しが為され、日本のバレーボールのレベルは間違いなく上がった。あの素晴らしすぎるプレーを間近で見られることは何よりの喜びで、贅沢な時間だった。

 だからこそ、それだけで終わらせてはいけない。未来へとつなぐのは、ここからだ。柳田の言葉も熱を帯びる。

「たとえいつかクビアクがプレーを退く時が来たとしても、一緒にプレーをしていた選手たちが後輩たちへどう伝えていくかが文化になっていくと思うんです。あくまでアウトサイドの話ですけど、そうやってつなげていくことで、たとえば1つ1つの選択、プレーの幅、『これができないとこのステージではできないよ』というベースが上がるじゃないですか。もしかしたらそれはクビアクだけでなく、もっと前から始まっていたことかもしれないけれど、彼が7年日本にい続けて、見せてくれたことによって十二分に浸透させてくれた。だって、高校生がフェイクセットをうるなんて考えもしなかったし、そもそも代表でやっている僕らだってやらなかった。でも今は違いますよね。あのプレーがやってみたいと思えば、それができるクオリティまで身体を持って行かないといけない。じゃあどういう練習が必要か、トレーニングが必要か。考えてやっていかないといけない。そうやってつないで、積み重ねていくことが、バレーボール界全体の底上げになるんだと思います」

パナソニックで、ポーランド代表主将としてクビアクのプレーは常に多くの人々を魅了した
パナソニックで、ポーランド代表主将としてクビアクのプレーは常に多くの人々を魅了した写真:ロイター/アフロ

7年間に心からの敬意と感謝を

 5月8日、パナソニックパンサーズは公式ツイッターで契約満了によるクビアクの退団を発表した。

 共に添えられたクビアクのコメントには、チームやファンへの感謝が綴られ、最後はこう締めくくられていた。

 この経験は一生忘れません!

 皆様も私を忘れないことを願っています!

 忘れるはずなどない。

 思い返すたび、何度も思うはずだ。あのクビアクのプレーは本当にすごかった、と。

 バレーボールの楽しさ、厳しさ。紛れもなく世界で戦い続けてきた超一流と呼ばれる選手の凄さと強さ。

 22/23シーズンは閉幕し、日本でクビアクが見られた7シーズンが終わった。

 見るたびワクワクする、夢のような時間を過ごせたこと。日本のバレーボールを愛し、たくさんの力や知恵を与えてくれたこと。

 心からの感謝を、今もこれからも届けたい。クビアクが見せた戦う姿勢と、バレーボールを楽しむことが、日本でも当たり前につながっていくように、と願いを込めて。

日本でのラストゲーム、7シーズンを戦い終え取材陣のリクエストにも最後まで笑顔で応じたクビアク(筆者撮影)
日本でのラストゲーム、7シーズンを戦い終え取材陣のリクエストにも最後まで笑顔で応じたクビアク(筆者撮影)

VOL.1 日本バレーを変えた男、ミハウ・クビアク。清水邦広にとって「対戦するのが一番楽しく、燃える相手だった」 から読む

スポーツライター、フリーライター

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、月刊トレーニングジャーナル編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に「高校バレーは頭脳が9割」(日本文化出版)。共著に「海と、がれきと、ボールと、絆」(講談社)、「青春サプリ」(ポプラ社)。「SAORI」(日本文化出版)、「夢を泳ぐ」(徳間書店)、「絆があれば何度でもやり直せる」(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した「当たり前の積み重ねが本物になる」(カンゼン)などで構成を担当。

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