震災影響で天然ガスや石油も増加中…日本の一次エネルギー供給推移(2014年)
人が社会生活を営む上で欠かせないのが各種エネルギーだが、その多くは自然界から取得されている。そこで日本国内における主要な一次エネルギーの供給推移について、資源エネルギー庁の公開資料「エネルギー需給実績」からその動向を確認する。
なお「一次エネルギー」の定義だが、これは自然界に存在するそのままの形を用いてエネルギー源として使われているものを意味する。例えば化石燃料(石油、石炭、天然ガスなど)、ウラン、そして水力・火力・太陽熱・太陽光・地熱など、自然エネルギーから直接得られる類が該当する。他方「二次エネルギー」とは電気やガソリンのように、一次エネルギーに手を加えて得られるエネルギーを指す。電気やガソリンが、すぐにでも利用できる形で自然界に存在しているわけではないことを思い起こせば、理解はしやすい(ちなみに日本においては、国内で供給される一次エネルギーのうち、二次エネルギーなどに転換される割合は約31.0%)。
次に示すのは、日本国内の一次エネルギーの供給推移。横軸の年度は、掲載されているデータの都合上、1990年度以前は同期間の間隔では無いので注意が必要になる。
J(ジュール)はエネルギーの大きさを表す指標の一つ。1M(メガ=100万)Jは0.278kWh=0.256リットル(A重油)に相当する。
石油が以前からエネルギー供給のメインだったことに違いはないが、1970年代をピークに漸減、今世紀に入ってからはその勢いを増していた。また、前世紀末以降エネルギーの供給総量がほぼ横ばいとなっているが、これは「エネルギー消費側の効率化」「多量のエネルギーを消費する国内工場の増加スピードの鈍化(海外移転)」など複数の要因によるもの。
そして2008年度から2009年度における合計値の下落、2010年度の上昇は、金融危機・リーマンショックによる不景気で産業方面でのエネルギー消費が減退したことと、その後の回復がそのまま数字となって表れている。さらに2011年度の減退は、2011年3月に発生した東日本大地震・震災によるもの。2012年度はさらに減退しているが、こちらは2011年度に続き単純に原子力の供給が大幅に減ったことによる。代替としての天然ガス、石油、石炭は増加を示している。
エネルギー供給の構造変化を詳しく見るために、それぞれの要素の全体構成比変移を折れ線・棒グラフ化したのが次の図。折れ線グラフの2001年度以降と棒グラフでは石油・石炭・原子力・天然ガスの4項目はそれぞれの比率もグラフに盛り込んでいる。
第一次石油ショックまでは日本のエネルギーは石油に大きく頼っていた。しかし一つの手段に傾注し過ぎることのリスクを二度の石油ショックで経験し、大規模なエネルギー構造の転換が中長期的エネルギー戦略として実施される。以降、石油が一次エネルギー供給全体に占める比率は少しずつ、しかし確実に減少を見せていた。
代替エネルギーの筆頭として注目を集めたのは原子力。1970年の0.3%から、一時期は1998年につけた13.7%にまでシェアを拡大している。しかし多様な問題点を抱えているのも事実で、以降は供給量は横ばいか低減。比率も少しずつ減少を続けている。
一方で天然ガスや石炭など、旧来の化石燃料が再び見直されているのも注目に値する。石炭は適切な対応を施すことで従来のデメリット「二酸化炭素の排出量」を相当レベルまでに抑えることができるようになった。天然ガスは安定供給・保存を確保できれば、容易に使える燃焼エネルギーとして注目を集めており、昨今では利用比率・利用量共に増加を見せている。
直近の2012年度だが、震災とその後の政策的混乱により、原子力の供給が大幅に減少。シェアにおいては0.7%にまで減退してしまっている。エネルギー供給不足を補うため、天然ガスと石油の供給量が大幅に増加している。構成バランスの異様な変化が、折れ線・構成棒グラフの双方で把握できるはずだ。
震災やそれに伴う政策上の混乱(致命的失策)による電力供給不足を受け、エネルギー供給比率をどのようなバランスに保つべきか、そして安定したエネルギーの供給をいかに維持するかが、これまで以上に重要な課題となっている。将来性のある技術開発が強く求められている。
その成果は国内のエネルギー供給に貢献するだけでなく、海外とのビジネスの材料としても非常に有望となる。そしてそれは海外においても、エネルギーの安定供給をはじめとする、さまざまな恩恵をもたらす。
技術開発は「必ず結果が期待できる」類のものばかりでは無い。例えるなら発芽率の悪い種を植える行為ともいえる。そして芽が出ても、それが実を成らせるとは限らない。しかし種をまかずに、実を期待することなど出来はしない。即効の効果が確認できないから、具体的な短期的成果が見えてこないからとの理由で、種をまくことを「無駄」と切り捨てる、それどころかその種もみを自ら食するような短絡的な考え方で、未来をも切り捨てる行為は厳に慎んでほしいものである。
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