【光る君へ】モヤモヤがスッキリ!大河ドラマがおもしろくなる『源氏物語』理解へのオススメ本(家系図)
2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』。世界最古の女性文学『源氏物語』の作者・紫式部(吉高由里子・演)と、平安時代に藤原氏全盛を築いた藤原道長(柄本佑・演)とのラブストーリーです。
『源氏物語』を漫画化した『あさきゆめみし』(大和和紀・著)のメイン読者の40代Over女性の間では、まるで漫画の実写のようで「胸キュン」だと評判なのだそうです。(筆者ももれなく同世代)
今回は、『源氏物語』や『あさきゆめみし』を読んで引き込まれる一方で、何かしっくりこないモヤモヤを感じた方、大河ドラマを新しい視点で見たい方などに、おすすめの書籍をご紹介します。
『源氏物語』とは?
母の面影を求めて恋愛遍歴を重ねる貴公子の物語
まずは『源氏物語』についてざっくりとおさらい。わかってるよ!という方は読み飛ばしてやってください。
本編
光源氏は、桐壺帝の第二皇子として誕生。幼少時に母が亡くなり、後ろ盾もないために臣下にくだり「源氏姓」を賜ります。成長した源氏は亡き母の面影を持つ藤壺の宮(父帝の后)を愛するように。藤壺との間に生まれた子は、父帝の子として育ち、のちに冷泉帝となります。
藤壺への思慕は募り、彼女の面影を宿す少女(藤壺の姪)を引き取って養育し、妻(紫の上)とします。政敵・右大臣家の姫(朧月夜)と関係を持ち須磨に流されたのち、許されて帰京。
源氏は六条院として絶頂期を迎えますが、朱雀天皇の皇女・女三宮(藤壺の姪)を妻に迎えたことで六条院の栄華はもろくも崩れはじめます。女三宮によって源氏第一の妻の座を追われた紫の上は、病を得て逝去。生きる希望を失った源氏は一年後にこの世を去ります。
宇治十帖
時代は下がり、源氏と女三宮の子(実際の父は柏木)・薫と源氏の孫で親王の匂宮(におうのみや)が主人公。宇治に住む八の宮(源氏の異母弟)の娘、大君(おおいぎみ)、中君(なかのきみ)・異母妹の浮舟(うきふね)との間に起こる恋愛模様と悲劇。
…ここまでが源氏物語のあらすじです。
源氏物語に感じたモヤモヤ
光源氏は果たして理想の王子様か?
少女漫画の定番といえば、イケメンに「愛されすぎる」「しあわせなヒロイン」設定の作品でしょう。それは『あさきゆめみし』の描かれた70~90年代(昭和50年代から平成初頭にかけて)も、令和の現代も同様なようです。
『源氏物語』は光り輝くようなイケメンで帝の皇子・光源氏が(以下、源氏)主人公です。そこで、源氏に「一途に愛される」「しあわせなヒロイン」が登場するのだろうと思って読みはじめると、なんだか肩透かしを食らいます。
筆者も正直、源氏にモヤモヤしました。当時はモヤモヤの理由をうまく言葉にできず、そのモヤモヤが解決することはありませんでした。
圧倒的な力を持つ男が若い女性を「口説く」「関係を持つ」ことへの違和感
特に筆者がモヤモヤしたのは、以下の場面。
源氏は、亡き恋人の忘れ形見である娘(源氏とは血のつながりがない)を二度、手元に引き取ります。
六条御息所の忘れ形見の斎宮(神に仕えた皇女)と、夕顔の忘れ形見・玉鬘(たまかずら)です。源氏はそのどちらの女性に対しても恋愛感情を持ち、あわよくば関係を持ちたいと考えます。
源氏は斎宮を自分の弟(実際には子)である冷泉帝の后(斎宮女御)にします。そこまではいいのですが、すでに後宮に入った斎宮女御を、親代わりに迎えた自邸で口説こうとするのです。
みなさんご承知かと思いますが、平安時代には高貴な女性ほど、家族以外に顔を見せることはありませんでした。斎宮の場合はまだ、御簾(みす)を隔ててなので、「ギリセーフ」といえるかもしれません。
しかし玉鬘のケースはもっと気持ち悪く、「親代わり」であるのをいいことに、御簾(みす)の中に入り、玉鬘の手を握ったり、抱き寄せたりするのです。
筆者は当時、このくだりを読んで生理的な気持ち悪さ「モヤモヤ」を感じたけれど、それが「どうしてなのか」まではわかりませんでした。時代は80年代後半。「セクハラ」という言葉がまだ日本にはなかった頃です。
そのモヤモヤを解消する助けとなるのが、本書『フェミニスト紫式部の生活と意見 現代用語で読み解く「源氏物語」』(奥山景布子)(集英社)です。
読んでスッキリ!ジェンダー視点で読み解く『源氏物語』
令和によみがえった紫式部の想い
本書は、紫式部(以下、式部)の書いた『源氏物語』と『紫式部日記』に、著者の奥山さんの実体験を重ね合わせて、独自のジェンダー視点での「源氏物語論」を展開。読み進めていくと、「なるほど、そういうことだったのか!」と腑に落ちつつ目からウロコがぽろぽろ流れ出て、カタルシスを得られます。
実際にWeb-magazine『集英社 学芸の森』で連載中(筆者も愛読)に、奥山さんのもとには読者からの「読んで納得できた」「これまで感じていたモヤモヤがスッキリした」というメールが数多く寄せられたのだそうです。
ホモソーシャルな男たちの連携を暴き出す筆致
『紫式部日記』には、大河ドラマ『光る君へ』でおなじみの実在の人物も出て来ます。町田啓太さんが演じるイケメン貴公子・藤原公任(きんとう)も何度か登場。親王誕生の五十日の祝いの席で酔っぱらった公任は、女房たちのいるほうにやってきて、「若紫はいませんか?」とたずねるのです。
一般的には、和歌、漢詩、管弦すべてに堪能な諸芸の達人である公任が『源氏物語』を読んでいることを知り、式部はうれしくて日記に記した、と解釈されています。しかし奥山さんの解釈は違います。(この続きは本書で)
大河ドラマでの公任は、清少納言(ファーストサマーウイカ・演)が登場したあたりから、藤原斉信(ただのぶ:金田哲・演)と一緒に「あのような生意気な女は好かん」「鼻をへし折ってやりたい」など言いたい放題です。
前回(第7回)にいたっては、紫式部のことも「地味でつまらん」「清少納言のほうがおもしろい」「いずれにしても身分の低い女など、遊びだけどな」など発言はエスカレート。偶然立ち聞きして傷ついた式部は、雨の中を(ネコを探すのも忘れて)駆け出してしまいます。
『源氏物語』の読者ならよくご存じですが、『源氏物語』作中にもよく似たシーンがあるのです。奥山さんはこれを「ミソジニーにあふれたホモソーシャルな空間」でのできごとだと解釈します。
もしかしたら式部は男たちの言いたい放題を覚えていて、源氏物語の中に登場させて留飲を下げたのだろうか…テレビを見て彼らの発言に腹を立てつつも、半分ほくそ笑む。この本を読むと、そんな大河ドラマの楽しみ方ができるのです。
光源氏に与えられた宿命
『源氏物語』は、ほかの長編小説と比較しても「読破した人」が少ない作品だといわれます。その長さや難解さ以上に問題なのが、そもそも主人公の「光源氏」に感情移入できない点なのだそう。
確かに、光源氏はこの作品の中でほとんど「成長」しません。藤壺の宮を想い続けて追いかけてあきらめきれず想いを遂げて、さらによく似た紫の上を愛する。まだここまでは理解できます。
しかし、紫の上が傷つくとわかっているのに、またもや藤壺の面影を求めて、女三宮の降嫁を承諾するのは行き過ぎです。なんという懲りなさでしょう。
藤壺に対して決して一途とはいえず、朧月夜と密会して須磨に流されたり、流されたその先で明石の君と関係を持ったりと、結局誰でもいいのでは?と思えるほどの節操のなさ。理解に苦しみます。
奥山さんによれば、光源氏には「宿命」があり、紫式部が彼に与えた「ルール」にのっとって、宿命に挑んでいるのだといいます。その「宿命」「ルール」をもとに源氏物語を見てみると、急に物語が理解できるようになるのです。うーん、スッキリ!
対比させることで際立つ「女性の生きづらさ」
本書では、意外な登場人物を対比させながら、「紫式部がこの物語で伝えたかったこと」を紐解いていきます。以下はほんの一部で、ほかに朝顔の君と源典侍、宇治十帖の登場人物に対して解説。それまでそれぞれの人物に抱いていた印象ががらりと変わるのがおもしろいのです。
紫の上 VS 末摘花
『源氏物語』本編のメインヒロインはもちろん紫の上です。美しく賢く心優しく、主人公に一番に愛された理想の女性として描かれます。紫の上と対比するように描かれるのが、醜く愚かな末摘花(すえつむはな)です。
表層だけ見れば、玉の輿に乗って幸運な紫の上と、光源氏の憐れみで生活できているだけの哀れな末摘花、といえるでしょう。でもそんなに単純なものでしょうか。当時の女性の生きづらさを含めて、2人を対比させての考察には考えさせられます。
藤壺の宮 VS 朧月夜
光源氏が関係を持っていた中でも「禁断の相手」とされるのが、父帝の后である藤壺の宮と政敵の娘・朧月夜です。当時の一般的な女性らしい藤壺の宮と、自由奔放で当時としては破格な女性・朧月夜の源氏への対処の違いにも、興味深い視点が投げかけられます。
1000年を超えても色あせないメッセージ
紫式部が自分に重ね合わせた意外な人物
『源氏物語』の登場人物の中で、紫式部自身がモデルだといわれているのが空蝉(うつせみ)です。上流貴族の姫君として生まれた空蝉は、娘の入内を望んでいた父が早くに亡くなり、受領階級の男性と結婚。源氏に迫られてもかたくなに拒み通します。
確かに、「地味だけど慎み深くて品があり、趣味がよい」と描写される空蝉と紫式部のイメージは近そうです。しかし、奥山さんは紫式部をモデルにしているのは、まったく別の人物だと考えています。
その女性と紫式部は必ずしも出自や境遇が同じではありませんが、「処世術」と普段の柔和な顔の底に隠された「辛辣な本音」が似ているのだといいます。さて、誰なのかはぜひ本書を読んでお確かめください。
平成の世もまだ女は生きづらし
本書はサブタイトルにあるように、「フェミニズム」「サブカル」「ジェンダー」「ホモソーシャル」「ミソジニー」「ウィメンズ・スタディズ(女性学)」「シンデレラ・コンプレックス」「サーガ」「境界上(マージナル)」「おひとりさま」「シスターフッド」「マンスプレイニング」「終活」「都合の良い女」「ルッキズム」「ステップファミリー」「婚活」「欲望の三角形」「ピグマリオン・コンプレックス」「ナラティブ・セラピー」といった現代用語を使って読み解いていきます。
紫式部のメッセージを現代用語で読み解くと、不思議なほどスラスラと理解できるようになるのです。
筆者の印象に強く残ったのは、奥山さん自身が味わった、研究者として活動していく上での「ジェンダー的な壁」。平安時代から1000年後の平成の世でもまだ「女なのに」「女のくせに」といわれることが少なくなかったことを筆者自身も思い返します。
令和の世になって、ようやく少しずつ女性が生きやすい世の中が作られようとしています。今の世だからこそ、もっと女性が生きづらかった時代に「女の、女による、女のための文学」を志した紫式部の想いを、わたしたちは理解できるのではないでしょうか。
(文・イラスト / 陽菜ひよ子)
主要参考文献
フェミニスト紫式部の生活と意見 現代用語で読み解く『源氏物語』(奥山景布子)(集英社)
ワケあり式部とおつかれ道長(奥山景布子)(中央公論新社)
紫式部日記(山本淳子)(角川ソフィア文庫)