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「ウクライナ戦争」で苦悩するテレビ報道現場…「遺体映像」はどうする?トラウマも深刻

鎮目博道テレビプロデューサー・演出・ライター。
(写真:ロイター/アフロ)

「テレビの現場」は「ウクライナ戦争」をどう報じているか?

長期化するロシアによるウクライナ侵攻。一般人の犠牲者は増える一方で、連日テレビでも悲惨な映像とともに悲しいニュースが放送されている。遺体などの映像を視聴することでストレスを受ける方も増えてきており、報道のあり方についての批判の声も多いのが現状ではないだろうか。

しかし他方、目を覆いたくなるようなものであっても、戦争の現実を報道することが非常に重要な意味を持つことも確かだ。こうした中、テレビ報道の現場では現在どのようなことを思い、どんなジレンマを抱えて日々ニュースを制作・報道しているのだろうか。

長年テレビニュースの制作に関わってきた筆者が、ニュース番組の制作現場で働くディレクターとプロデューサーに「テレビのウクライナ報道のいま」について話を聞いた。以下、太字で紹介する文言は民放の東京キー局のニュース番組の現場で働くスタッフの証言である。

「遺体の映像」をどのように扱うべきか?

今回のロシアによるウクライナへの侵攻を報じるにあたって、テレビニュースのスタッフは、日々どのようなことに気を遣っているのか。その筆頭は「遺体など悲惨な映像の取り扱い方」に関するものだった。

『なぜ遺体を映すのかというと、取材者・表現者としては、そこで発生した悲惨な出来事をなるべく伝えようと思っての事ですが、過剰にならないような配慮はもちろん必要だと思います。線引きは確かに難しいです。

例えば、1993年の湾岸戦争では、米軍が誤爆したシェルターなど凄惨なシーンは、さすがにそのまま放送することは、編集側の判断でしませんでした。翌94年のルワンダ内戦の虐殺現場の映像は、あまり悲惨なのはモザイクを掛けましたが、悲惨さを伝えるため「逃げ惑うまま後頭部を殴打されて倒れたままの遺体」などは、そのまま放映してもらいました。

その後は視聴者側からの細かいクレームも増え、現在は「遺体が映っていてはNG」となっていると思います。

悲惨でなくても遺体が映っているのを見るのはイヤだとか、苦痛だとの声も寄せられているのも確かで、極論を言うと、街中の雑踏の顔すらモザイクをかけて配慮する番組も増えているのが現状で、番組によってまちまちな印象です。』(ニュース番組プロデューサー)

このプロデューサーも指摘するように、筆者の経験から言っても、テレビ局には「ニュース番組で遺体の映像をどのように放送するか」についての具体的な決まりは存在しないと思う。もちろん「視聴者に不快感を与えないようにしなければならない」などの抽象的なルールは決められてはいるが、では実際にどのように映像を加工すべきか?などの詳細については、ケースバイケースであり、それぞれの番組の責任者が判断すべき問題であるとされているはずだ。

今回のウクライナ侵攻についても、現場のスタッフたちに「遺体映像をどのように扱うべきか」についての具体的指示がされているケースは筆者の知る限りなかった。ただ、かつてよりも「悲惨な映像には配慮すべき」という現場の空気は強まっているようだ。しかし、こんな声も聞かれた。

『今の日本のテレビ報道は「きれいな戦争現場」のみを伝えすぎていると思います。

もちろんテレビというメディアの特性上、子供が見る時間帯などに凄惨な映像を流す事は避けるべきでしょう。

しかし、映像には何かを伝える力があると信じるからこそ、我々(テレビ報道関係者)はカメラを使って撮影し、編集し、放送しているはずです。それを安易に捨て去ってしまって良いはずはありません。

また深夜の時間帯や、ネットを活用し、登録者限定の形などの方式を使ったりしながら、モザイク処理なしの映像を使った番組を制作するなどのチャレンジがあっても良いと思います。』(ニュース番組ディレクター)

今回のウクライナ報道では「これから遺体の映像が流れます」という注意喚起のテロップを表示してから、モザイク処理された遺体の映像を流す対応をしている番組がほぼ標準的なようだ。こうしたテロップによる注意喚起は、東日本大震災の津波映像などで多く取られた方法である。

いずれにしろ、戦争の悲惨さを伝えることは報道機関としての使命であり、そこには重要な意味もあると考えられるわけで、いかに「子どもなど、悲惨な映像を見せるべきではない人や見たくない人」に配慮しつつ、伝えるべき真実をきちんと伝えるべきかについての努力が必要なのは間違いのないところだろう。

前出のディレクターも、こうした遺体映像の扱いについて「今回の戦争が終わってから議論するのではなく、現在進行系でもっと議論を深め、その過程も公開していくべきではないでしょうか。こういう議論をする時間がなく、現場の声があまり反映されない点が課題として挙げられると思います。」と指摘している。この指摘は非常に重要なポイントだと私も思う。

現場で「悲惨な映像」を扱うスタッフへのケア

そして、遺体などの悲惨な映像に関しては、こんな問題を指摘する声もある。

『今回ウクライナから送られてくる映像には結構な量の、生々しかったり、焼け焦げた死体が映っています。若い女性の編集担当者は悲鳴に近い声をあげていました。僕がこれまでに仕事で担当した経験では、ここまで厳しい状況の映像はありませんでした。

そういうショッキングな映像を「これは放送すべきか、もし放送するとしたらどのような表現方法が良いか?」など1カットごとに判断し、人力でカットしたり、モザイクをかけたりしながら放送は成り立っています。

編集担当の人たちは、長時間そういう映像を見る事になります。そして当然の結果として、かなりタフな人以外は、精神的にやられてしまいます。イスラム国の時は、生きてる人間を切断する映像が色々と送られてきて、僕も数カ月間ぐらいはトラウマになっていました。

なんというか、こうした問題にそろそろケアが必要なんじゃないかと思います。』(ニュース番組ディレクター)

海外の戦地から送られてくる無修正の映像素材は、私もこれまでに多く見ているが、通常人の感覚では耐えられないほど悲惨で、目を覆いたくなる。こうした映像をディレクターや編集マンなどがひとつひとつ目視で確認し、選別することは避けられないわけだが、長期間にわたってこうした仕事を行うことで、精神的なダメージを受けてしまうスタッフが出てくる可能性にも配慮する必要があるだろう。

しかし、現在のところどこかの放送局がこうしたスタッフのメンタルケアなどに取り組んでいるという話は、私は聞いたことがない。ぜひこのあたり、放送局には早急に対応策を考えてもらいたいものだ。

海外と比較して日本のテレビの問題点は?

ウクライナ報道に関して、日本のテレビ局は、海外のテレビ局と比べてどうなのか?これについては、内部からも厳しい批判の声が上がっている。

『戦場に記者を派遣していない日本のメディアは、「スタートラインに立ってすらいない」と思います。これはとても恥ずべき事ではないでしょうか?

また日本は「署名記事(や番組)」が圧倒的に少ないと感じています。

海外のメディアの中には、すべての記事の文末に記者のメールアドレスを記載しているところもあります。日本ももっと個人の名前を出す形での報道があって良いと思うし、それが画一的な報道を脱却する一つの手立てになると思います。』(ニュース番組ディレクター)

このように、日本の放送局などが現地に入るのが遅れたことや、危険な現場の取材をフリーランスに頼りがちであること、報道内容が画一的になりがちなことについては、テレビ報道の現場でも危機感を持つスタッフが相当数いるようだ。さらに、戦争取材経験豊富なテレビマンからは「日本ではこの戦争はロシアだけが唯一悪だという流れが強すぎると思う。アゾフ大隊が元々はネオナチ集団で、ロシア系住民を迫害したりしていた集団なのは事実。こうした集団を無批判に英雄視するのは正しいとは思えない。」という、日本のテレビ報道全体のスタンスについて問題視する指摘もあったことを紹介しておきたい。

※現在、極右的な思想は薄れているという報道もあり、アゾフ大隊に関する見解は多数みられる

【参考】

https://www.newsweekjapan.jp/mutsuji/2022/03/post-145.php

https://www.cnn.co.jp/world/35185777.html

https://www.nhk.jp/p/kokusaihoudou/ts/8M689W8RVX/blog/bl/pNjPgEOXyv/bp/prN2jjll6r/

進化する「戦争報道」と現場の試行錯誤

そして、「テレビの戦争報道」も時代を経て大きく変わってきている。例えば1990年代の湾岸戦争の頃と比べると、その取材・放送方法は全く異なってきており、現場は様々な試行錯誤を繰り返して、進化を続けている。

『湾岸戦争の頃はまだ現地テレビ局のパラボラアンテナがある地上中継局などに予約して時間を確保しなければ、現地からの素材送りも掛け合いレポートも出来ませんでした。

2001年のアフガン戦争では、PCと大型アタッシュケースくらいの大きさの「圧縮伝送装置」が開発され、それによって機材や資金力が乏しいフリーや中小のメディアやディレクター集団が独自に活躍できる様になりました。

その10年後の「アラブの春」では、SNSなどプライベートな情報発信が威力を発揮する様になり、マイナーメディアと同様に、反政府組織やグループの情報発信や組織化ツールとして威力を発揮するようになりました。

そして今やウクライナでは、フリージャーナリストが、スマホ一つで遜色のないライブ中継も可能となりました。』(ニュース番組プロデューサー)

『湾岸戦争時との一番の違いは、現地の人が投稿しているSNSから映像や情報を拾ったり、現地の人と直接Zoomで中継やインタビューが出来るようになった点だと思います。

沢山のニセ情報やノイズの中から信頼でき、報道に値する価値のある情報を拾い上げていく事は、簡単なようでいてなかなか難しい事です。

そこはもっと評価されても良いかなと思います。』(ニュース番組ディレクター)

時代が大きく変わる中、テレビ報道を取り巻く状況も大きく、そしてものすごい速さで変わり続けている。ウクライナに関する日本のテレビニュースの報道には、残念ながら多くの問題点があると言わざるを得ないと私は思う。

しかし、現場では今日も多くのテレビマンたちが苦悩しながら、最善を尽くそうとしていることもこれまた間違いのない事実である。ぜひ視聴者の皆さんにも、「どうすれば日本のテレビの戦争報道が少しでも良くなるか」を考えて、積極的に苦言を呈していただき、かつ温かい目で応援していただければ幸いである。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

テレビプロデューサー・演出・ライター。

92年テレビ朝日入社。社会部記者として阪神大震災やオウム真理教を取材した後、スーパーJチャンネル、スーパーモーニング、報道ステーションなどのディレクターを経てプロデューサーに。中国・朝鮮半島やアメリカ同時多発テロなどを取材。またABEMAのサービス立ち上げに参画。「AbemaPrime」「Wの悲喜劇」などの番組を企画・プロデュース。2019年8月に独立し、テレビ・動画制作のみならず、多メディアで活動。公共コミュニケーション学会会員として地域メディアについて学び、顔ハメパネルをライフワークとして研究。近著に『腐ったテレビに誰がした? 「中の人」による検証と考察』(光文社)

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