Yahoo!ニュース

香港の抗議デモに参加した少女は中国本土の取調施設で手錠をされ、囚人ベストを着せられていた

木村正人在英国際ジャーナリスト
在香港英国総領事館元職員サイモン・チェン氏(本人提供)

[ロンドン発]昨年8月、中国公安に17日間にわたって拘束され、イギリスへの政治亡命が認められた在香港英国総領事館元職員サイモン・チェン氏(29)のインタビューの続きです。チェン氏は何の理由も告げられず突然拘束され、秘密警察の残酷な拷問を受けます。

取調官から「国家転覆罪で追起訴されるので、15日で釈放されることはない」と告げられました。私が正気を失わなかった理由はおそらく、取り調べがどんなに厳しくとも15日後には釈放されるという希望があったからです。しかし身に覚えがないスパイの汚名を着せられ、闘う意欲を失いました。

釈放されたかったらイギリスとデモの関係の情報を提供しろと迫られましたが、私はただの周辺参加者で暴力的な抗議活動にも加わらなかったと主張しました。取調官は「暴力よりもはるかに悪いものがある。お前はデモの首謀者でイギリスのエージェントだ」との嫌疑をかけました。

私は泣きながらひざまずいて許しを乞いましたが、拒否され、立たされました。集合取り調べセンターで、手錠をかけられ、囚人ベストを着ている1人の少女を見かけました。秘密警察は「香港での反政府デモに参加して逮捕されたクズの1人だ」と言いました。

「私は新疆ウイグル自治区の強制収容所に移される可能性はあるか」と尋ねると、秘密警察は「強制収容所はナチのものだ」と怒りだしたので「再教育・訓練キャンプ」と言い直しました。後で知ったことですが、私の失踪が世界的なニュースになった11日目から待遇が良くなりました。

取調官は突然「買春の勧誘容疑で拘束した」「香港には中国公安の司法管轄権は及ばない」と言い出しました。彼らが初日に主張したことと正反対だったので、混乱しました。2つの異なる決定書が示されました。1つは「15日の拘束」ともう1つは「2年間の再教育」です。

取調官はいくつか質問しました。「両親に通知されたいですか?」。私は「はい」と頷いたものの、「2年間の再教育」の決定書には「いいえ」と首を振りました。

「自白は拷問や強制によるものですか?」「いいえ」

「警察の取り扱いは良かったですか?」「はい」

「なぜ弁護士を頼まなかったのですか?」「恥ずかしかったからです」

それから取調官は私の自白を記録するためビデオカメラを回し始めました。日付などの欄が空白の決定書に署名して指紋を押し、秘密警察に「協力的な態度」を示しました。

制服を着た取調官はネームプレートを胸の前に持って私が謝罪し「買春の勧誘」を自白するところを撮影し始めました。「買春の勧誘」と「祖国への裏切り」を悔い改める陳述を暗唱させられ、それを撮影しました。私は15日の拘束で釈放されることになりました。

しかし決定はすぐに覆り、13、14日目ごろに秘密警察の新しいチームがやって来て尋問を始めました。取り調べはこれまでで最長の48時間も続きました。3人の取調官とバックアップする5人のチームが隣の部屋に待機していました。彼らは礼儀正しく私に接しました。

リーダー格の取調官は「良い警官」役で、中国本土にいる私の親族や、両親のことを詳しく知っているようでした。彼は私の故郷と深いつながりがあり、私のことを同胞とみなしました。そして2年以上の刑を宣告されると私の将来が破壊されることを憂いました。

私の学問的、職業的な達成は一般家庭には容易ではなく、祖先の故郷の全ての人の誇りだと繰り返しました。彼は私にとって最後の希望であり救世主であることを示そうとしました。上級指導者は私の「態度」をまだ中途半端に思っているとも述べました。

取調官は、暴力も辞さない「勇武派」のオンラインフォーラムに英軍のバックグラウンドを持つ人がいるかどうか尋問しました。あるグループが持っていたことを覚えていたため「はい」とだけ答えました。しかし実際に参加したわけでもなく、詳しいことは知りませんでした。

秘密警察は、香港のデモ参加者を中国本土で逮捕・拘束し、さまざまな情報源と拘束者から情報収集して相互検証していると明言しました。ある写真を見せられました。彼らには香港で情報収集する目と耳があるようです。

彼らは、私がいつ、どこで中国本土から香港のデモに参加して香港警察に逮捕された男性に会ったのか詳細に尋問しました。この男性が中国本土で買った装備や衣服、ポスターを香港のデモ参加者に売っていなかったか問い詰めました。

この男性は自由主義者で、以前は中国本土でジャーナリストをしていましたが、メディアの検閲が厳しくなり、ジャーナリストを続けられなくなりました。秘密警察は彼が香港や台湾から持ち込んだ政治的な発禁本を中国本土で売っていたとして目をつけていました。

この男性は8月11日に釈放され、香港から中国本土に移送されました。私が男性に政治亡命の申請や保釈金の支払いをアドバイスしたことを自白させられていました。秘密警察の狙いはこの男性と私、そしてイギリス政府を結びつけることだったのです。

取り調べで分かったのは以下の3点です。(1)秘密警察はイギリスが香港のデモに関与する外国勢力の1つだと固く信じている(2)抗議デモはよく組織されており、リーダーがいないわけではない(3)私を首謀者でイギリスのエージェントだと疑っている――ということでした。

秘密警察は私を国家転覆、武装した反乱と暴動、スパイ活動、裏切りのいずれかの罪で追起訴しようとしていたと確信しています。

秘密警察は「反中」の政治家、活動家であるクリストファー・パッテン英オックスフォード大学名誉総長や周永康(アレックス・チョウ)氏、本土派(香港独立派とされる)エドワード・レオン氏とのつながりをしつこく問いただしました。

ある英大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの講師が、レオン氏が香港と台湾の分離運動を支援している台湾のエージェントだという供述書に署名と指紋を押すよう取調官は私に迫りました。

秘密警察は、私の親族と家族が中国本土で経験した困難を覚えておくべきだと強調しました。私の両親は1970年代の文化大革命直後に起きた大飢饉の最中に中国本土から逃げ、私を英統治下の香港で生んだと述べ、中国本土にある祖先の家と資産に気をつけろとほのめかしました。

釈放されたあと、メディアのインタビューに「買春の勧誘」以外のことを話すと、香港から中国本土に連れ戻すと脅しました。釈放されたとしても、それから試練が始まるのだと釘を刺しました。中国共産党の代弁者に転向した人物の具体的な名前をささやきました。

自由と民主主義について私の思想信条を尋ねたあと、彼らは「なぜ西側の民主主義システムが中国にとって適切ではないのか」についてよく考えろと言いました。祖国のために働くべきだと言い、「釈放後に困った時は電話をしろ」と電話番号を渡されました。

国内安全保衛局が最後の尋問を終えたのは8月24日の未明でした。iPhoneやバッグ、身の回りの品、衣類、メガネを受け取り、ようやくはっきりとした視界を取り戻しました。午前5時30分ごろ、私は拘置所から釈放されました。

秘密警察から「いつでも香港から中国に連れ戻すことができる」と脅されていたため、在香港英国総領事館から数カ月の有給休暇が与えられ、台湾に逃れました。その年の11月、2年間務めた総領事館を辞めました。今はイギリスにいて6月26日に政治亡命が認められました。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

木村正人の最近の記事