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種苗法改正の問題点 種子と農民の歴史的関係から考える

松平尚也農業ジャーナリスト、龍谷大学兼任講師、AMネット代表理事。
愛媛県松前町筒井にある義農作兵衛の像(愛媛県松前町HPより)

 新型コロナの影響で国内外において食料不安が囁かれ始めている。その中で食料生産の基盤であり日本で話題になっている種苗法改正について農民と種子との関係そして歴史的観点から考える。

  

種子は農の本

 まず愛媛と京都の農民と種子をめぐる二つの歴史的エピソードを紹介したい。東アジアは潜在的飢餓地帯と言われる。近世に入っても農民は飢えと向き合いながら、田畑を耕してきた。1732年(享保17年)、享保の大飢饉が起きた年、西日本では天候不順と害虫被害のため稲作が大打撃を受け、人々は食料がなく餓死者が続出していた。

 多くの農民が毎日休まず耕作に勤しむ中で、松山藩筒井村(現・愛媛県松前町筒井)の作兵衛という一人の農民が飢えと激しい労働のため、田んぼに昏倒した。近隣の者が作兵衛の保存していた麦種を食べてはどうか、と勧めた。しかし作兵衛は「農は国の基、種子は農の本。一粒の種子が来年には百粒にも千粒にもなる。僅かの日生きる自分が食してしまって、どうして来年の種子ができるか。身を犠牲にして幾百人の命を救うことができたら私の本望である」と言い、種を食べず後世に残し大儀に死んだとされる(※1)。

 1777(安永6)年、藩主松平定静が碑を建立し、1881年(明治14 年)には義農神社が建立された。作兵衛の精神は「義農精神」として、今日まで受け継がれている(※2)。このエピソードは当時の農民が種子に持つ思いを体現し、種子が農民によって守られてきたことを示す象徴的な例ともいってよい。

 私が住む京都では、近代以降で初めての種子交換会が旧紀伊郡(現・京都市南区)上鳥羽小学校で1875年(明治8年)に開催されている(※3)。穀菜品評会と呼ばれたその会では、穀物520種、そ菜350種などが出品され、紀伊郡吉祥院村奥田作兵衛(以下、奥田)の稲種が最良とされた。奥田は、播磨国(現・兵庫県)から持ちこんだ種を試し収穫量が増大した経験から、稲作の要点は良い種籾を選ぶことが重要と説いた。紀伊郡内で奥田の種籾を使う農家が増え「奥田穂」とよばれるようになったということだ(※4)。このエピソードからも農民が種子の保存や採種において中心的役割を果たしてきたことがわかる。

 近代以降、作物の採種における国家の役割が大きくなる中で、農民と種子との歴史や関係に言及されることは少なくなった(※5)。しかし今後の持続可能な農業や食料を考える上で種子と農民の関係は重要であり続ける。この観点から今国会で議論される種苗法改正案の課題を考える。

 

種苗法改正の問題点

 政府は3月3日、種苗法改正案を閣議決定した。今国会に提出し2021年4月の施行を目指す。改正案では、日本の優良品種海外流出防止のため、作物の品種登録の際に栽培地域や国の指定が可能となり指定外への持ち出しは、育成者権の侵害となり、刑事罰や高額の損害賠償の請求が可能になった。さらに登録品種の自家増殖が育成権者の許諾を必要とする許諾性となり、農民の自家増殖が著しく制限される方向性が出された(現代農業2018)。

 種苗法改正における問題は、種苗の「知的財産権」が強化される一方で、農民の「自家増殖の権利」が制限される点にある。「自家増殖」とは農業者が収穫物の一部を次期作付け用に種苗として使用する、いわゆる「自家採種」のことを指す。何より農家として怒りを覚えるのが、企業らの利益を目的とする知的財産権確保のために、国内農家の自家採種の権利を原則禁止にしていく政府の態度そのものである。

 種苗法は、品種育成の振興と種苗流通の適正化により農業の発展を目指す法律である。種苗法が成立した1978年には、農家の自家増殖の慣行に配慮し、対象品目は、栄養繁殖の植物であるキク等の花卉類とバラ等の鑑賞樹に限られていた(大川 2019)。しかし近年、農水省が定める「自家増殖禁止の品目」は、2016年の82種から2019年には387種まで急拡大し、さらに登録品種が全くない野菜(ニンジン・ホウレンソウ)や果樹も対象に含まれるようになった(現代農業2018)。

現場での混乱

 農水省の改正案を検討する会合では、農協の委員から自家増殖禁止の流れと金銭の負担も発生する許諾性について繰り返し疑問が呈された。そのポイントは、多様な農民がいる中で許諾制導入は本当に可能なのか。農民が追加で払う必要がないように、また農民の自家増殖がこれまで通り認められ、許諾においては、生産者と間に立つ団体に負担がないよう要望が出された(農水省 2019)。

 改正案では、農協の疑問が反映されないまま、許諾について明記されてしまった。農水省は、許諾は種苗メーカーと生産者や農協ら当事者に丸投げする意向で、今後は農業現場で混乱が起こる可能性が高い(現代農業2020)。許諾料が発生すると、小規模農民が種苗購入において不利になる可能性もある。なぜなら多くの農家は農協出荷を基本としており、そこは農協等の団体を通じて種苗メーカーと交渉が出来ることが予測される一方で小規模農民は交渉力を持つことが困難であるからだ。最悪、一般向け種苗代が上昇する可能性もある。欧州では、すでに許諾料の支払いが生じているが、種苗メーカーと小規模農民の構造的関係を考慮して小規模農家への許諾料の支払い免除規定がある(生産量・穀類92トン、ジャガイモ185t/年以下)種苗法改正においては、こうした免除条項についても議論がなされるべきである。

 

農民の権利と自家採種の意味

 種苗法改正の背景には、国際社会で日本の植物の知的財産権や種子の輸出権益を守るという思惑があり政策に影響を与えている可能性もある。特に日本の大手種苗メーカーの中には、国内よりもアジア各国への輸出や知的財産権収入の方が大きくなってきており、日本政府は他国へ知的財産権強化する国際条約である「植物の新品種の保護に関する国際条約(UPOV)」を推進している。そうした流れの中で種苗法改正が、種子法廃止の際のように国会で議論もなく通過してしまう可能性があり、日本の種子を守る会や農山漁村文化協会そして農民運動が異議申し立てを行っている(※6)。

 一方、日本は「食料・農業植物遺伝資源条約(ITPGR)」という国際条約にも加盟している。そこでは食料や農業の植物遺伝資源である農作物のタネは、農民により保全・改良されてきたことが明記されている。農民はその貢献から発生する「農民の権利」を保有することが謳われ、農民が自家採種する権利の自由はその中心の概念となっている(大川2020)。

 農民の自家採種は、農作物と地域文化そして遺伝資源の多様性を保存し、気候変動の中で重要視される持続可能な農業と人類の未来を担保する(西川2019)。政府は本来であれば種苗法改正の中で、「農民の権利」の考え方を入れ込む必要があるのだ。農民の権利では、農民の意思決定への参加の権利も含まれている。政府は種苗を議論する場所で自家採種する農家の意見を聞き、当事者を参加させる義務もある。農民や関係者もこの視点を土台として未来の種苗と食料・農業の議論を展開していく必要があり、拙速に改正案を通すことはITPGRの理念にも大きく抵触する。

 上述した京都で開催された種苗交換会は後の農業改良事業という農民への技術普及方法の嚆矢となる集まりとなった(中村1968)。こうした豊かな歴史をふまえつつ、農民の自家採種の権利を守るために改正案が持つ課題について検討を続けていきたい。

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農業ジャーナリスト、龍谷大学兼任講師、AMネット代表理事。

農・食・地域の未来を視点に情報発信する農業ジャーナリスト。龍谷大学兼任講師。京都大学農学研究科に在籍し国内外の農業や食料について研究。農場「耕し歌ふぁーむ」では地域の風土に育まれてきた伝統野菜の宅配を行ってきた。ヤフーニュースでは、農業経験から農や食について語る。NPO法人AMネットではグローバルな農業問題や市民社会論について分析する。有料記事「農家ジャーナリストが耕す「持続可能な食と農」の未来」配信中。メディア出演歴「正義のミカタ」「めざましテレビ」等。記事等に関する連絡先:kurodaira1974@gmail.com(お急ぎの方は連絡先をご教示くだされば返信します)。

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