みんなが一斉に休むことは必要なのか?
3年ぶりの行動制限なしで迎えたGWは最大で10連休、全国各地で「混雑」がニュースになっている。この報道は、コロナ禍を除けば毎年の恒例と言ってもよいだろう。
なぜこれほど混むのかといえば、多くの人の休日のタイミングが一緒だからだろう。
みんなが一斉に休むことを前提としたルールになっていないか
はたして、みんなが一斉に休むことは必要なのだろうか?
「日本人は休日が少ない」とよく耳にしてきたが、独立行政法人労働政策研究・研修機構が出している「データブック国際労働比較2022」によると、「年間休日数」(週休日+週休以外の休日+年次有給休暇付与日)は138日で、ドイツ(143日)、フランス、イタリア(ともに138日)、イギリス(132日)と遜色ない(2020年実績)。
ただし、年次有給休暇の取得率は、日本は56.6%(厚労省「令和3年就労条件総合調査の概況」)と、近年上昇しているが、民間旅行会社エクスペディアのアンケート調査による各国の2020年の取得率は、イギリス65%、ドイツ83%、フランス83%、イタリア58%と、日本はまだ低い状況だ(なお、厚労省の同調査では、従業員数の少ない事業者ほど取得率は低くなっており、30~ 99人の事業者の取得率は51.2%)。
他方で、週休以外の休日、つまり祝祭日は、イギリスが8日、ドイツ、フランス、イタリアが9日、アメリカ12日のところ、日本は16日。群を抜いて多い。
日本の祝日は、法律(「国民の祝日に関する法律」)によって決められている。つまり、自分の都合では休みにくいから、ルールを作ってみんなで一斉に休むことを制度が推奨しているように私には感じられる。
以前のニュースで、男性が「自分はサービス業だからGWはほとんど休みがなく、子どもが旅行に行く他の家と比べて寂しがっている。ただ年間を通しての休みは少ないわけではないし、子どもの振替休日などに合わせて平日に休めるので、家族での時間も少ないわけじゃないんですが」
と言っていた。
男性のような休日の取り方は、混雑しないときに休むことができるという利点があるはずだが、「みんなで休む」という集団意識が今でもあるから、そこから漏れると疎外感を持ってしまうのではないだろうか。
経済性を考えても非効率だ。高速道路も一般道路も、この時期は渋滞が激しく、道路の車線拡張の要望が至るところで出る。しかし、そのような渋滞は、年間でごく僅か。そのために莫大な投資をするよりは、ピークを平準化する方が合理的だろう。
このことは、休日の取り方に限らず、日常の働き方にも垣間見える。
首都圏の通勤時の満員電車は世界的にも有名だ。コロナ禍でテレワークが増え一時は緩和されたが、コロナが落ち着くと再び通勤が増えており、電車の混雑も戻ってきている。
居住地や通勤に関する規則や制限を撤廃し、特急や飛行機による出勤(月15万円まで)を認めたヤフー株式会社など、みんなが会社に来ることを前提としない働き方に舵を切っている企業も増えているが、まだ主流になっているとは言えないだろう。
以前、スウェーデンに視察に行った際、人口3万人程度のダンデリード市の中学校では、混雑緩和や効率性を重視し、登校時間は一律ではなく単位制にしていた。大学と同じようなシステムといえる(スウェーデンは学校長にカリキュラムを決定する権限がある)。
それが絶対正しいというわけではないが、みんなで一緒に通勤・通学することのメリット、デメリットを今一度見直してもよいのではないだろうか。
真の働き方改革は一律性を打破すること
2019年4月から施行された「働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律」の趣旨は、「労働者がそれぞれの事情に応じた多様な働き方を選択できる社会を実現する働き方改革を総合的に推進するため、長時間労働の是正、 多様で柔軟な働き方の実現、雇用形態にかかわらない公正な待遇の確保等のための措置を講ずる。」(首相官邸ホームページより)とされている。
「それぞれの事情に応じた多様な働き方を選択できる社会」を目指すからこそ、すべてを一律に考えるのではなくて、休みたいときに休めるような文化を作ることが必要ではないのだろうか。休日に限らず、定時に帰りたい人は帰れる、逆に例えばこの1週間は徹夜してでも仕事したい人はできるような環境にすることも同じだろう。
休日のあり方は、働き方にも大きく結びついている。副業や兼業がさらに拡大してくれば、休日の捉え方もより多様化するだろう(私自身がパラレルキャリアで休日や勤務時間の概念が専業の人とは異なっている)。
自由に休みやすい環境や多様な働き方の実現に向けて、政府からの働きかけも引き続き必要になるが、それだけでなく、常に複数での共有をベースとして一人が休んでも業務が停滞しない体制をつくるなど、当事者である私たちも働き方の多様性を認められる意識を持つことが重要だ。
私自身は、「働く」ことと生きることや生活そのものを一緒に考えられるような働き方をしたいと思うし、今はそれができていると感じられていることはとても恵まれていると思う。
※本記事は、2019年に寄稿したものを修正・加筆したものです。